ワシントンDC

2016年

11月

01日

ワシントンDC 2016年11月1日号

 ◇米テロ支援者制裁法が成立

 ◇軍人・外交官に訴訟リスク

 

安井真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 9月末、連邦議会でテロ支援者制裁法(JASTA)が成立した。この法案は5月に上院、9月9日に下院を通過したが、9月23日にオバマ大統領が拒否権を発動。法案が戻された議会は10月1日から1カ月半休会する。それまでに上下両院で3分の2以上の多数で可決しなければ廃案となる状況下、この法案は党派を超えて議員の支持を集め、9月28日、上院は賛成97、反対1、下院は賛成348、反対77の圧倒的多数で大統領拒否権を覆した。議会が大統領拒否権を覆したのは、オバマ政権で初めてだ。

 新法により、米国内で発生したテロで人的・物的被害をこうむった米国民は、当該テロ活動を直接的・間接的に支援したと疑われる個人、団体、国を相手取り、米国の裁判所に民事訴訟を起こすことができるようになった。2001年9月11日の同時多発テロでは、ハイジャック犯19人のうち15人がサウジアラビア国籍だった。新法がサウジアラビアを念頭に置いているのは明らかだ。ただ、サウジアラビア当局は、同時多発テロへの関与を否定しており、FBI等の調査でもサウジアラビア政府が組織的に関与した証拠は見つかっていない。

 テロ支援者制裁法の成立は、米国内でも衝撃をもって報じられた。懸念点は主に3点だ。

 1点目は、主権国家は外国の裁判権に服さないという、国際法における主権免除原則を切り崩す点である。米国の政府関係者が外国で訴えられる事態を免れているのは、米国が外国政府に対して同様の権利を与えているからだ。新法成立により、反対に、他国が米国を当該国の裁判所で裁く対応を取れば、海外に駐留する米国の軍、諜報機関、外交関係者を訴訟リスクにさらす。

 2点目は、米国とサウジアラビアとの関係悪化のおそれである。イスラム過激派やテロとの戦いは長期に及び、中東における戦略的パートナーであるサウジアラビアとの協調は欠かせない。一方、イラン核合意後の経済制裁解除を契機に、足元では、中東の覇権を巡りサウジアラビアとイランの緊張が高まっている。こうした中、今回の法律成立がどのような影響をもたらすか、一部議員やシンクタンクから不安視する声が上がっている。

 3点目は、公開を原則とする裁判で、外交・安全保障関連文書が取り上げられる危険性である。司法手続きのディスカバリー(証拠開示)の際に 、機密はどこまで守られるだろうか。相手国側から当該国以外の情報が漏れる可能性もあり、米国と他の同盟国との外交・安全保障関係をも脅かすおそれがある。

 

 ◇選挙後の修正も

 

 今回の法案採決では、大統領選挙と同時に行われる上下両院議員選挙を直前に控え、テロの犠牲者遺族に反対する行動が取れなかった議員も多いと言われている。共和党のマコネル上院院内総務やライアン下院議長は、選挙後に始まる議会で、テロ支援者制裁法を再び取り上げ、適用範囲を同時多発テロの犠牲者に限定する等の修正を試みることをにおわせている。ただ、修正内容や再投票の時期は未定だ。

 また、この法律は、判決の執行に関するメカニズムを定めていない。米国に存在する相手国の資産を実際に差し押さえられるのか、実効性にも課題が残る。

 テロの真実を希求するための新法が、例えば司法の場での情報開示を狙った、新たなテロを誘発しないとも限らない。テロにもっともらしい口実を与えてはならない。同時多発テロから15年、テロとの戦いは続いている。(了

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2016年

10月

25日

ワシントンDC 2016年10月25日特大号

討論会後は「最悪の1週間」 Bloomberg

 ◇追い込まれるトランプ氏

 ◇「大統領の素養」で馬脚

 

今村卓(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 米大統領選は、9月26日の第1回テレビ討論会を境に情勢が大きく変化した。討論前は民主党候補のヒラリー・クリントン前国務長官と共和党候補の不動産王ドナルド・トランプ氏がほぼ互角だった。だが討論会はクリントン氏が圧勝し、その後の選挙戦はクリントン氏が優勢だ。


10月上旬の主要世論調査の平均支持率では、全米でクリントン氏のリードが4ポイント近くに広がり、激戦の15州の大半も同氏が優勢になっている。

 クリントン氏の初回討論の勝因の一つは、「トランプ氏が大統領を任せられる人物かどうか」という、選挙戦終盤の討論としては異例と言える素朴な争点を掲げたことだ。過去の大統領選では、この「大統領の素養」という根本要件を欠く候補は、予備選初期で撤退に追い込まれた。だが、今回の共和党の候補者選びでは、トランプ氏が大統領の素養を問われないまま指名を獲得していた。クリントン陣営と民主党は、この共和党の予備選の機能不全を見逃さず、素養のなさを有権者に訴えた。

 もう一つの勝因は、トランプ氏の過去の発言と行動から、大統領を任せられない人物である根拠をみつけ、それを基に説得力ある主張を組み立てたことだ。実際、討論でクリントン氏が指摘したトランプ氏の不動産事業での人種差別、女性蔑視に当たるミス・ユニバース中傷問題、確定申告書の未公開問題などは、トランプ氏もろくに反論できなかった。

 

 ◇再び暴言と開き直り

 

 トランプ氏にとって、今回の討論敗北のダメージは相当大きい。過去最多の8000万人超が視聴した討論会で、自らが大統領を任せられる人物ではないとの印象を広げてしまったからだ。

 トランプ氏の過去の問題発言を知りながら、これまで同氏を「攻めあぐねてきた」主要メディアも勇気付けてしまった。実際、討論会の直後から、ミス・ユニバース中傷問題の報道に拍車がかかった。その後は、同氏が9億ドル超の巨額損失を1995年に申告し、連邦所得税を最大18年間免れていた可能性が報じられた。加えて同氏は、ニューヨーク州法違反で、慈善団体のトランプ財団が募金停止命令を受けるなど、新たな問題も生じた。

 トランプ陣営からは「討論会以降、最悪の1週間になった」との嘆きの声が上がる。

 討論会でトランプ氏の大統領としての素養のなさを訴えたクリントン陣営の判断は、今後の選挙戦の方向も変えた可能性が高い。

 この判断がなければ、トランプ氏も動揺せずに大統領らしい振る舞いを続け、多くの有権者に意外感を与え、好感を得ていた可能性がある。討論でも防戦一方にならず、クリントン氏の私用メール問題や健康問題で攻勢をかけて追い込めただろう。そうなると今ごろは、支持率でも、予想される獲得代議員数でもクリントン氏を逆転していた可能性はある。

 しかし討論でのトランプ氏は、クリントン氏の攻撃に耐えられず、支持が低迷していた頃のような暴言を連発するようになってしまった。その後は、過去の自らのわいせつ発言も露見。第2回討論会は、その弁明とクリントン氏への非難に終始するなど、大統領らしい振る舞いからはかけ離れていった。トランプ氏は窮地に陥りつつある。

 討論会は、あと1回しか残っていない。率直に言えば、トランプ氏の逆転は非常に難しい。それでも同氏が起死回生を目指すなら、今からでも大統領らしい振る舞いに転じ、それを本気だと裏付ける確定申告書の公開や真摯な説明に乗り出す以外にない。

 

(『週刊エコノミスト』2016年10月25日特大号<10月17日発売>62ページより転載)

2016年

10月

18日

ワシントンDC 2016年10月18日号

製造現場の雇用はどこへ…… Bloomberg
製造現場の雇用はどこへ…… Bloomberg

◇雇用を奪うのは技術革新?

大統領候補に妙案なく

 

堂ノ脇伸(米州住友商事会社ワシントン事務所長

 

 9月12日、ワシントンのシンクタンク「戦略国際問題研究所」でカーラ・ヒルズ氏ら4人の元米通商代表部(USTR)代表によるシンポジウムが開催された。

 大統領選が近づく中で民主・共和いずれの党の大統領候補もが、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)が米国内の雇用を奪うとして反対の姿勢を示している。いずれの元高官も、かつて自由貿易推進の牽引(けんいん)役とも思われた米国で、半ば保護主義への回帰といった風潮が見受けられる現状に警鐘を鳴らした。「雇用を奪っているのは通商ではなく、製造現場での技術革新による自動化・省人化の動きである」(ヒルズ氏)。

 1990年代から米国の製造業雇用が中国などからの安価な製品の輸入によって減少を余儀なくされた事実は否定できない。しかし、この事象はもはや過去のものとなりつつある。実際、この間米国の製造業の全生産量自体は(9・11テロとリーマン・ショック時を除けば)一貫して増加を続けている。第4次産業革命ともいわれる生産現場での技術革新による効率化、自動化が労働力の介在を減少させているのだ。
一方で、新たに勃興した産業では、従来の単純労働から更に質の高い技能、すなわちエンジニアリングやコンピュータープログラミングといったスキルを持った労働力が求められている。この分野での求人は需要が供給を上回り雇用のミスマッチが生じている。
 このような雇用環境の変化は、国勢調査局の発表した米国への移民の動向からも見てとれる。同局の調査によれば、過去30年近く常に最も多くの対米移民を送り続けていたメキシコは2014年には3位に後退し、首位の座をインドに奪われている。メキシコ系移民の多くは一般に高校卒以下の低学歴で単純作業やサービス産業に就労している。一方、インドからの移民の多くは高学歴保持者で、上述したようなエンジニアリングやプログラミング、金融セクター等への就労機会が多いのだ。

 ◇元USTR代表の警告

 ヒルズ元代表は「保護貿易主義的な政策によって国内の(単純労働従事者の)雇用の維持を図ることは、ひいては米国の相対的な国際競争力を減退させるのみだ。むしろ教育や職業訓練所の充実等によって労働者の質の向上を図ることこそが求められる」と述べている。
 周知のごとく、ドナルド・トランプ大統領候補は、メキシコ国境に壁を設けて移民の流入を防ぎ、中国等からの安価な輸入品に高関税を適用するとして一部労働者層からの圧倒的な支持を取り付けている。時代の流れに取り残されつつある一般単純労働者の不安を巧みに取り込んだ結果だ。しかし、半ば不可逆的な米国の産業構造と雇用環境の変化に照らせばこれらが必ずしも正しい解決策であるとは思いにくい。
 一方で、単純作業に従事していた労働者の質を教育や職業訓練を通じて向上させることも、一朝一夕にはできることではなく、容易な道程ではない。さらに、技術革新による自動化の動きはここにきて一段の飛躍を遂げようとしている。例えば自動運転技術の進展などが近い将来、自動運転タクシーやトラックの普及につながって、これらに従事している労働者(運転手など)の雇用を奪いかねないといった議論も起こりつつある。
 技術革新が雇用に及ぼす影響は米国の今後の社会構造の大きな変化を想起させるものである。しかし、民主・共和両党にいまだ最適な解は見いだせていない。大きな転換期にあたって新政権がいかなる対応をしていくのかが注目されるところだ。

 

『週刊エコノミスト』2016年10月18日号<10月11日発売>62ページより転載

2016年

10月

11日

ワシントンDC 2016年10月11日特大号

ポーランドのグダニスク造船所で働く北朝鮮の溶接工 (2006年11月26日)
ポーランドのグダニスク造船所で働く北朝鮮の溶接工 (2006年11月26日)

◇北朝鮮の外貨獲得手段

◇労働者海外派遣の今後は

 

会川晴之(毎日新聞北米総局長)

 

 北朝鮮が9月9日、1月に続いて今年2度目の核実験を強行した。日米韓3カ国は、国連安全保障理事会でさらなる制裁措置を北朝鮮に科す方向で精力的に調整を進める。本稿執筆時点では、決議案採択の日程や内容は見通せないが、相次ぐ核実験や弾道ミサイル打ち上げを抑制する効果的な手段を打ち出せるかどうかは、きわめて難しい状態にある。

 オバマ米大統領は、北朝鮮の核実験を受けて安倍晋三首相や韓国の朴槿恵(パククネ)大統領と電話協議。核実験を非難するとともに、改めて米国の「核の傘」で日韓両国の安全保障を支えると確約した。だが、次の一手については何も打ち出せていない。

 安保理は3月、対北朝鮮制裁決議を採択した。北朝鮮向けの貿易を事実上禁止する「史上最強」(米ホワイトハウス高官)という触れ込みで、核兵器やミサイル開発用の物資調達を断ち切るとともに、北朝鮮の経済を締め上げることを狙った。だが、民生用は適用外のため、中国は北朝鮮産の石炭や鉄鉱石の輸入を続けた。制裁は「尻抜け」となっている。

 

◇総額推計3億ドル

 

 手詰まり状況が続く中、筆者は海外で働く北朝鮮労働者からの本国向け送金を断ち切ろうという新たな制裁を模索する動きが出始めていることに注目している。北朝鮮は、労働者を海外に派遣し、稼いだカネを本国に送る国家ビジネスを強化している。中国を除く諸国との交易が細る中、少しでも外貨を稼ぐのが狙いだ。この5年でその数は2倍に増えて5万人となり、送金総額は3億ドル(約300億円)との推定もある。

 米国務省が8月末に議会に提出した北朝鮮に関する人権報告書によると、派遣先は北朝鮮と親しい中国のほか、東欧など旧社会主義国や中東産油国、モンゴルなどのアジア諸国、セネガルなどのアフリカ諸国まで23カ国に及ぶ。職種も、医師や造船技師などの技術職から単純労働者に至るまでさまざまだ。米国務省は、北朝鮮政府がこうした労働者の賃金を不当に搾取していると非難する。

 そうした中、ポーランド政府は今年6月、核実験への制裁措置として北朝鮮労働者への査証発行を中止した。1980年代初頭に、ワレサ議長が率いるポーランド自主管理労組「連帯」の発祥の地となった北部の都市グダニスク(旧レーニン)造船所には、昨年段階で156人が派遣されていたが、査証を更新しないことを決めた。

 筆者は06年、この造船所で北朝鮮労働者を取材したことがある。いずれも溶接工などの造船技師で、28人が卓球台などの娯楽施設もある郊外の一軒家に住んでいた。造船所の副所長は「腕のたつ職人ばかりだ」と高く評価、増員する意向を示していた。

 同僚から「ツバメ」と呼ばれるリーダー役(45)に話を聞くことができた。精悍(せいかん)な顔つきの彼は、流ちょうなポーランド語で「腹いっぱい食べられるしビールも飲める。毎日、誕生パーティーを開いているようだ」と話した。筆者が「キムチをお土産に持ってくればよかった」と告げると、「月に2度、ワルシャワの大使館員が届けてくれる」と顔をほころばしたのが印象に残る。

 北朝鮮労働者の派遣を仲介した地元業者によると、平均給与は当時で約16万円。労働者には5万円ほどが支払われ、残りは北朝鮮の国営会社の口座に直接振り込まれる。公務員の月給が10ドル(約1000円)未満と言われる北朝鮮労働者にとって、異国での生活は「悪くはない」。そんな海外労働者の運命はどう変わるのか。なぜだか目が離せない。

 

『週刊エコノミスト』2016年10月11日特大号<10月3日発売>70ページより転載

2016年

10月

04日

ワシントンDC 2016年10月4日特大号

女性の賃金は上がるのか=Bloomberg
女性の賃金は上がるのか=Bloomberg

◇男女同一賃金に向け

◇マ州で画期的州法が成立

 

三輪裕範(伊藤忠インターナショナル会社

            ワシントン事務所長)

 

 ヒラリー・クリントンがフィラデルフィアでの民主党全国大会で米国史上初の女性大統領候補に選出された7月26日は米国史における歴史的な日となった。それからまだ1週間もたっていない8月1日も、米国にとって非常に歴史的な日となった。

 今度の場所はマサチューセッツ州のボストン。同州のチャーリー・ベイカー知事がこの日、歴史的な新法に署名したのだ。では、この日マサチューセッツ州でどんな歴史的新法が成立したのかというと、男女同一賃金の実現に向けて、重要な一歩となる新法であった。

 米国でも、改善してきたとはいえいまだ女性の賃金は男性の8割程度にとどまっている。また、職種、産業、経験、学歴など賃金決定の諸要因を調整しても9割程度にとどまるなど、まだまだ女性の賃金は男性に比べて劣位に置かれている。

 男女間の賃金格差を発生させる大きな原因の一つとして、かねてから指摘されてきたのが、雇用者が求職者に対して前職での給与について質問することが許されているということだった。実際、前職での給与を申告してしまえば、よほど寛大な雇用者でないかぎり、それを大幅に上回るような給与を提示することは期待できない。そうなると、前職時からいくら能力アップしていたとしても、それが足かせとなって給与はなかなか増えない。

 もちろん、これは女性に限った話ではなく、男性の求職者にも当てはまることだ。しかし、相対的に女性が強いと言われる米国においても、男性に比べると女性は、新たな雇用者との給与交渉において、どうしても弱気になりがちだ。そのため女性は、雇用者の「言い値」に近い給与で再就職するケースが多い。

 こうした事態を防ぐ目的で作られたのが、今回のマサチューセッツ州の新法である。新法では、男女を問わず、雇用者は求職者に対して、前職でどれだけの給与を得ていたか聞くことができなくなる。これによって求職者(特に女性)は以前よりも強い立場で賃金交渉に臨むことができるようになる。

 もっとも、新法の施行は2018年7月1日なので、まだ2年ほど待たなければならない。また、新法では、求職者が自ら前職の給与を教えることも、雇用者が求職者に対しておおよその希望給与額を聞くことも禁止されていない。

 

◇全米に波及も

 

 このように、今回のマサチューセッツ新法にはまだまだ灰色の部分もある。18年に施行されたからといって、それで一挙に男女の賃金格差がなくなるわけではない。しかし、男女同一賃金に向けたこの新法は全米50州で初の成立となる。今後、これが契機となって同様の法律制定の動きが全米各州で広がっていくことも十分に考えられる。

 連邦議会でも、男女の賃金格差是正を目指す「給与公正法案」が13年に提出された。しかし、その後、企業側からのロビイングを受けた共和党の強い反対があったため、現在においても成立に至っていない。

 前記の通り、マサチューセッツ新法が契機となり、他州でも同様の法律が制定される可能性があるが、そうなると、連邦議会においても、現在審議が頓挫している「給与公正法案」の審議を加速させようとする動きも出てくるだろう。

 米国のメディアは、今回のマサチューセッツ新法について、比較的小さな扱いしかしなかった。しかし、この新法に秘められた潜在的な影響力は大きい。米国で活動する日本企業の雇用政策にもいずれ大きな影響を与えることになろう。

 

(『週刊エコノミスト』2016年10月4日特大号<9月26日発売>72ページより転載) 

 

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2016年

9月

27日

ワシントンDC 2016年9月27日号

◇世銀が途上国防災を支援

災害考慮の開発を後押し

 

(安井真紀・国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 この夏は、イタリア中部の大地震、米国南部ルイジアナ州の洪水、日本や中国の台風被害など、世界各地が自然災害に見舞われた。国連の「国際災害データベース」によれば、1990年から2015年に発生した一定規模以上の干ばつ、地震・津波、洪水、地滑り、暴風雨、火山噴火などのうち、死者・行方不明者の数が最も多いのは地震・津波で、犠牲者は80万人以上に上る。発生件数、家屋の損失、食糧・医療等の緊急支援が必要な人の数が最も多いのは洪水であり、被災者は累計で約28億人にもなる。スイスの再保険会社は8月、16年上半期の災害による経済損失は世界全体で約710億ドル(昨年同期比38%増)と発表した。熊本の震災やカナダの山火事などが損失額を押し上げた。

  自然災害による人的被害や経済損失が大きいと理解していても、特に開発途上国では、いつ起こるかわからない災害のために予算を充てるのは容易ではない。途上国の開発プロジェクトの中には、災害をあまり考慮していない計画や設計もある。大規模な災害は大きく報道され、多額の支援金や物資が集まるという面もあり、災害対策は後手にまわりやすい。

  途上国の発展を支援する国際機関は今、既存の開発計画や貧困削減対策に防災関連の投資を盛り込むことを、技術・資金の両面で支援している。

 

◇情報共有が課題

 

  世界銀行は、06年に防災グローバル・ファシリティ(GFDRR)を設立した。GFDRRのメンバー国の日本は14年、東日本大震災の経験を踏まえて、「日本・世界銀行防災共同プログラム」を開始した。防災専門官が集う「世界銀行東京防災ハブ」(東京都千代田区)を設立。日本の防災の知見や技術を活用して、途上国の開発プロジェクトで災害リスクを十分に考慮して、計画、ファイナンス、事業実施に当たる「防災の主流化」を後押ししている。

  具体的なプロセスは、(1)対象国・地域の潜在的災害リスクの特定(2)リスク軽減方法の検討(3)国・地域レベルの警報システムの構築や危機対応計画の策定などだ。特に(1)の災害リスクの特定では、対象国・地域の気象、地質、過去の災害などの情報を集める必要がある。ところが途上国には必要な情報がない、あっても精度が低い、各機関に散在し集約されていない、ことが多い。

  ただ、別の目的で集められた情報が、実は防災に役立つことがある。世界銀行は、個別プロジェクトを管轄する部署が保有する情報を、防災のために共有できるよう、各国政府機関などの協力を得て、オープンなデータベースの構築を始めている。

  自然災害は、気候変動はもちろんのこと、急速な都市化とも無縁ではない。14年に発表された国連の「世界の都市化予測リポート」によれば、1950年に世界の人口の3割だった都市部の人口は、2014年には54%を占め、50年には66%に上るという。人が都市部に押し寄せて、居住に適さない場所にも住むようになると、災害の影響が拡大する可能性がある。

  災害リスク管理、気候変動対策、都市化対応は、互いに連動するグローバルな課題だ。各分野の情報収集・共有が進めば、多くの人が関心を持ち、立場や専門分野を超えてアイデアや解決策も集まるだろう。共通のプラットフォームを構築し、プロセスの標準化が進めば、個別の対策により多くの人材・資金を投入できるだろう。災害の多い日本の経験や知識も、世界と共有することで、「持続可能な防災・減災」につながることを願う。

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2016年

9月

20日

ワシントンDC 2016年9月20日特大号

残りの選挙戦では何を訴えるのか Bloomberg トランプ 週刊エコノミスト
残りの選挙戦では何を訴えるのか Bloomberg

 ◇開き直るトランプ氏

 ◇勝算度外視の過激主張再び

 

今村 卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 結局は開き直りか──。米大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏は8月31日、注目された不法移民対策に関する演説で、再び、自らが大統領に就任すれば直ちに国内の不法移民を強制送還すると強調した。

 同氏の予備選での勝因の一つは、共和党の候補者の中で移民政策で最も強硬姿勢を取り、同党支持の労働者階級などの熱烈な支持を集めたことだった。しかし、本選に移ってからは裏目に出ている。勝敗を左右する無党派層は不法移民対策への関心が共和党支持者に比べて低く、支持拡大につながらない。ヒスパニック系は、逆に不法移民の市民権取得を支持する傾向がある。このため、トランプ氏の支持率は低迷している。

 さすがにトランプ氏も、8月に入ってからの苦戦ぶりに危機感を強めたのだろうか。次第に「支持拡大には穏健路線への転換が必要」「大統領らしい振る舞いが必要」と説く自陣営や共和党の声に理解を示すようになった。過激発言を封印し、姿勢軟化を示唆するようにもなっていた。

 しかし、方向転換が続かない。トランプ氏自身が耐えられなくなったのだ。トランプ氏は8月半ばに突如、自陣営の最高責任者に保守派サイト「ブライトバート・ニュース」を運営するスティーブン・バノン氏を起用すると発表した。選対本部長を務めてきたポール・マナフォート氏は辞任した。マナフォート氏は共和党主流派との協調や穏健路線への転換を説き続けた。しかし、トランプ氏は、支持率も上向かず、投票日までの限られた時間は方向転換よりもありのままでいる方がよいと開き直った模様だ。現にバノン氏は、反主流派の主張でトランプ氏と一致する旧知の仲であり、トランプ氏が予備選でみせた姿勢を維持すべきとの立場だ。

 開き直ったトランプ氏は今後、無党派など新たな支持を拡大する常識的な戦法を取らず、従来の支持基盤にひたすら応えるという異端の戦法に徹する可能性が高い。勝算度外視にも見えるが、これがトランプ氏がビジネスでも政治でも取ってきた戦法であり原点回帰だ。

 

 ◇「オルト・ライト」台頭か

 

 2氏の異端の戦法は、残り2カ月の選挙戦を、従来とは異質の、過激なものにしてしまう可能性もある。

 バノン氏と「ブライトバート・ニュース」は最近の米国社会で目立つ存在になってきた新興の政治信条「オルト・ライト(alt=alternative=right、もう一つの右派)」に属するとみられているからだ。

「オルト・ライト」は主張が多様でまとまりを欠くが、保守主流派やエスタブリッシュメントへの強い反発という共通点がある。しかも主張の中には、人種差別や白人至上主義も含まれている。米国社会では傍流にとどまり、タブーの考え方だ。しかし、トランプ氏とバノン氏ならば選挙戦でためらわず利用する可能性は排除できない。この種の主張が大統領選の選挙戦の中で登場することだけでも危うさがある。

 トランプ氏が選挙戦で早期に敗色濃厚になれば、「オルト・ライト」の認知も進まず、人種差別や白人至上主義が公然と語られる恐れもないだろう。しかし、クリントン氏も弱い候補だ。国務長官在任中に慈善団体「クリントン財団」の献金者に便宜を図っていた疑惑が浮上したためか、一時回復した好感度が再び低下した。大統領選がクリントン氏の勝利に終わるとしても、トランプ氏やバノン氏の主張が広く社会に訴える機会を得るのならば大統領選を通じて「オルト・ライト」が米国社会に頭角を現す可能性もある。今後の大統領選は、そこまで視野を広げて行方を見守る必要がありそうだ。(了)

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2016年

9月

13日

ワシントンDC 2016年9月13日号

有権者の範囲を巡ってもひと悶着? (前回2012年の大統領選) Bloomberg
有権者の範囲を巡ってもひと悶着? (前回2012年の大統領選) Bloomberg

トランプ氏の発言攻撃

今度は有権者登録へ矛先

 

堂ノ脇伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

 共和党全国大会を経て正式な大統領候補に選出されたにもかかわらず、あらゆるものを攻撃対象としたドナルド・トランプ氏の過激な発言は鳴りを潜めることなく、引き続き各所で物議を醸している。

8月上旬には「大統領選の投票では(自身に不利となるような)不正操作が行われるかもしれない。極めて緩い有権者ID法(有権者の身分確認方法を定める 法)により、例えば同じ人物が10回も投票する可能性は無視できない。もし自分が負けるとすれば、それは不正によるものだ」と発言して、有権者ID法を巡 る連邦高裁の判決をやり玉に挙げた。
 移民の国米国では戸籍や住民票といった概念はなく、有権者たる米国市民はあらかじめ各州の有権者ID法が定める身分証明書等の提示によって自ら有権者登録を行わなければならない。必要とされる身分証明書の規定は州によってさまざまだ。
  トランプ氏の上述の発言の数日前である7月29日、連邦高裁はノースカロライナ州の定めた有権者ID法について無効判決を下している。連邦高裁は、同法が 幾つかの点で投票と有権者登録を制限するものであり、特にアフリカ系アメリカ人の投票権獲得に過度に影響を及ぼしていると指摘した。2013年に共和党の マクローリー知事によって署名・発効された同法は、身分証明のために写真付きID(パスポートや運転免許証など)の提示を求めている。写真付きIDを保持 していない人々は、同州では民主党支持者のアフリカ系アメリカ人に多く、故にこのような人たちの投票機会を著しく制限させる差別的な意図があるとして無効 の判決が下されたのだ。

 ◇吉と出るのか

 前回12年の大統領選以降、公的機関発行の写真付き身分証明書の提示など、よ り厳格な有権者ID法を導入した州は少なくとも15に上り、その多くは共和党勢力が優位にある州といわれる。不正を減らすという大義名分の下に導入された ルールではある。一方で写真付きIDを持たない有権者、特に学生などの若年層や低所得者、マイノリティーなど一般に民主党支持層による投票行動に制限を及 ぼしているとの非難も多く聞かれる。このため、各地で訴訟に至ったり、身分確認のルールの見直し、簡素化等が図られている。
 冒頭のトランプ氏の 発言はこのような動きに対する不満だろう。同時に、民主党全国大会直前に同党大会幹部がヒラリー・クリントン氏に肩入れをして対立候補のバーニー・サン ダース氏が不利になるよう予備選を仕向けたとの疑惑を有権者に想起させる狙いもある。これによって、本選でも(民主党主導により)不正が行われる可能性を 示唆して同党への不信感を増長できるからだ。かつ、予備選の結果に不満を持つサンダース氏支持層をも取り込もうという戦略的な意図もみて取れる。一方で発 言自体が選挙制度そのものに対する不信感を増長させ、全体的な投票率の低下を招きかねないとして眉をひそめる向きも多い。
 発言に対しオバマ大統 領は「どこから答えればよいか分からない。そもそも各地で行われる選挙は州や地方が規則を定めて運営・管理をしており、そこに政府や第三者の意図的な介 在・介入はありえない。(トランプ氏の言い分は)スポーツに例えるなら得点を入れる前から負け試合を想定して難癖をつけているようなものだ」と述べてい る。
 選挙年には必ず議論が巻き起こる有権者ID法であるが、トランプ氏の発言が今後有権者の投票行動にどのような影響を与えるか、また彼自身にとって吉と出るか凶と出るかは全くの未知数だ。

2016年

9月

06日

ワシントンDC 2016年9月6日号

広島での誓いを実現できるか・・・ Bloomberg
広島での誓いを実現できるか・・・ Bloomberg

◇国連へ核実験全面禁止を提案

◇レガシーの仕上げを目指す

 

会川晴之

(毎日新聞北米総局長)

 

 オバマ米大統領が、核実験の全面禁止を求める決議案を国連安全保障理事会に提案することを決めたと『ワシントン・ポスト』紙が8月4日に報じた。国連総会で核実験全面禁止条約(CTBT)が採択されてから9月で20周年となるのを機に、提案する意向という。今年5月に米大統領として初めて被爆地・広島を訪問し、改めて核廃絶の思いを強くしたオバマ氏が、「外交的遺産(レガシー)」作りに向け、総仕上げに取りかかる。

 オバマ氏は2009年4月、プラハでの演説で「核兵器のない世界」の実現を掲げ、核軍縮、核不拡散、核セキュリティーの強化を3本柱に据えた。来年1月の任期満了まで残り4カ月となる中、新たな核政策を打ち出そうと検討を進めており、安保理決議もそのひとつと見られる。

 

 ◇内外に波乱要因

 

 核実験を禁じるCTBTは1996年9月の国連総会で採択され、署名が始まった。これまで日本をはじめ164カ国が批准したが、肝心の米国は96年にクリントン大統領が署名したものの、共和党の反対が強く99年には上院で否決されてしまい、現在も批准に至らない状況にある。

 共和党は「核実験をしなければ核兵器の信頼性を保てない」「核実験に関する国際的な監視網が未整備で、隠れた核実験を探知できない可能性がある」と反対している。これに対しオバマ政権は、臨界前核実験の実施をCTBTが認めており、核技術の維持は図れるほか、300カ所以上に監視装置が整備されたことを挙げ説得に努めるが、野党・共和党が議会で多数派を占める中、早期の実現は望めない状況にある。

 一方、CTBT発効には大規模な核活動を展開する44カ国の批准も必要だ。核兵器国では英仏露がすでに批准したが、米国の様子を見極めている中国や、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮など8カ国が批准をしていない。

 その中のひとつであるイスラエルは、今年6月にAP通信が「批准の用意がある」と伝えたが、インドは「核実験を繰り返してデータを集めた核大国に有利な不平等条約」と主張しており、CTBTの早期発効は望み薄だ。

 CTBTが採択されて以後もインド、パキスタン両国が98年に核実験を実施したものの、その後は休止状態だ。現在、核実験を実施しているのは、今年1月に4度目の核実験を実施した北朝鮮だけだ。ただ核実験は国際法上は「違法」ではないため、核関係者はこうした事態を打開しようと案をめぐらせている。

 08年の大統領選でオバマ氏の核政策顧問を務め、現在、核兵器廃絶を目指す米民間団体の代表を務めるシリンシオーネ氏は毎日新聞の取材に「CTBTと同等の効果がある安保理決議を採択するべきだ」と話した。米軍備管理協会のキンボール代表も、そうした考えに賛同する一人で、『ワシントン・ポスト』紙の報道を受けて「大統領に拍手を送る。安保理決議は核実験禁止という国際的規範の強化につながる」と高く評価する声明を発表している。

 ただ、オバマ政権が安保理に決議案を提出した場合、議会との関係がさらに悪化する可能性が高い。このため、『ワシントン・ポスト』紙はエネルギー省のモニズ長官らオバマ政権の幹部が、決議案提出への理解を得るため、議会幹部との接触を始めたと紹介した。

 また米国家安全保障会議(NSC)のプライス報道官は、毎日新聞の取材に「(CTBT批准に向け)あくまでも議会への説得を続ける」考えを強調するなど、議会との関係維持に腐心している。

 

2016年

8月

30日

ワシントンDC 2016年8月30日特大号

ファストファッションの出店も加速している Bloomberg
ファストファッションの出店も加速している Bloomberg

◇変わるショッピングモール 

◇中核はデパートから専門店へ

 

三輪裕範

(伊藤忠インターナショナル会社

            ワシントン事務所長)

 

米国で生活してつくづく感じるのは「米国人は本当に買い物が好きな人たちだなあ」ということである。日本のシャッター商店街のような所はほとんどなく、どの商店街も買い物客でにぎわっている。特に衣料、靴、宝石などの各種ブランド店、書店、レストランなどが一緒に入ったショッピングモールでは、年中、老若男女を問わず、非常に多くの人たちが買い物や食事を楽しんでいる。こうした米国のショッピングモールに、最近ちょっとした変化が見られる。それはテナントの変化である。以前はどこでも中核テナントにシアーズやメイシーズ、サックスといった有名デパートが入り、大きな面積を占めていた。

米国のショッピングモールはデイトン・ハドソンというデパートが1956年にミネアポリスの郊外に作ったのが最初だと言われている。それほどショッピングモールとデパートの結びつきは強く、デパートのないショッピングモールというのは考えにくかった。
 ところが、近年、こうしたデパートがショッピングモールから次々と消えていっているのだ。そして、その空いたスペースに、フォーエバー21やH&M、ザラといったファストファッション(流行を取り入れた新商品を低価格で大量販売するファッション業態)や、チーズケーキ・ファクトリーなどカジュアルレストランの店が入るようになってきた。
 では、なぜこのような変化が起こったのか。それはデパートの販売が落ち込む一方、ファストファッションなど、ある分野に特化したスペシャルティー・ストアと呼ばれる形態の店の販売が伸びているからだ。実際に、モールの管理運営をしているジェネラル・グロース社によると、今年3月末までの過去1年間の実績で見た場合、デパートの販売は前年比1・9%減少する一方、スペシャルティー・ストアの販売は4%も伸びている。2015年までの10年間で見れば、前者の販売は10%落ちる一方、後者の販売は33%も伸びるなど、その差は一段と激しくなる。

 ◇小型店からは高賃料

 これだけの差が出てくると、当然、ショッピングモール運営会社としてもテナントの入れ替えを検討しなければならない。販売不振のデパートには退出してもらい、空いたスペースに販売好調のスペシャルティー・ストアを入れることになる。
 もっとも、店舗の入れ替えは改装が必要で、モール運営会社にとっても一時的な負担増となる。しかし、一時的にコスト増となっても、スペシャルティー・ストアを中心とした新しい店舗にテナントになってもらう方がモール運営会社にはメリットが大きい。というのも、賃料が格段に高く取れるからだ。デパートはキーテナントとして大量のスペースを使用していた。このため、大口向けの値引きを適用して、1フィート四方当たり2~3ドルと非常に安く貸していた。スペシャルティー・ストアなどの小型小売店に貸せば、その10倍以上の賃料を取れる。
 たしかに最近は、どのショッピングモールに行っても、キーテナントのデパートにはあまり買い物客の姿が見えず、以前のような活気が感じられない。どこに行っても、いつも多くの買い物客が集まっているのは、スペシャルティー・ストアなど流行の先端を行く新しい店舗だ。
 筆者のように昔の米国のショッピングモールを知る者にとっては、デパートとショッピングモールは分かち難く結びついていた。時代の流れとはいえ、そんなショッピングモールからデパートが次々に消えていく姿を見ることは、やはり一抹の寂しさを覚える。

 

 (『週刊エコノミスト』2016年8月30日特大号<8月22日発売>62ページより転載) 

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2016年

8月

23日

ワシントンDC 2016年8月23日号

◇自治領プエルトリコ債務問題

◇再編の枠組みようやく創設

 

安井 真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

英国のEU離脱(BREXIT)が現実のものとなり、次はNEXIT(オランダ)だ、DEXIT(デンマーク)だ、Sス ウェグジットWEXIT(スウェーデン)だ、と騒がれる中、PプレグジットREXITなる言葉も新聞紙上に現れた。米国社会の中で、米自治領(コモンウェルス)のプエルトリコが債務問題に直面して、米連邦破産法による救済を得られない現状に不満が広がっている。

 プエルトリコは6月30日、翌日に返済期限を迎える約20億㌦の債務について、支払い猶予(モラトリアム)を宣言した。昨年8月、今年1月、5月に続き、4度目の債務不履行だ。人口約350万人のプエルトリコが抱える負債は、総額約720億㌦(約7・5兆円)に上る。

 

 米国では過去にも、2013年7月のデトロイト市など、破綻した市や郡が連邦破産法第9章の適用を申請している。しかし、同法は州には適用されない。また、自治領も州に準ずるとされる。破産手続きが適用されなければ、債務者は債権者と個別に債務免除・繰り延べ等を交渉する必要があり、莫大な時間と費用がかかる。既存の債務を整理しなければ、新たな借り入れもできず、再建の道は描けない。米国の州が最後に破綻したのは1930年代だ。参考となる最近の事例はない。

 プエルトリコ政府はこれまで、財政支出を切り詰め、教育、医療、社会保障関連予算を大幅にカットして、消費税や石油税の税率引き上げも実施した。また、2014年6月には、住民に必要なサービスを継続しながらも電力公社等の債務再編を進める「プエルトリコ公社債務執行再生法」を制定した。だが、この法律は15年2月、プエルトリコ地方裁判所で無効判決を受ける。16年6月13日、米連邦最高裁はこの判決を支持。プエルトリコには債務再編・破産プロセスを定める権限はなく、それができるのは米議会だと示した。

 

◇米国との切れぬつながり

 

 その米議会では、米財務省やプエルトリコ政府代表が公聴会等で連邦破産法のプエルトリコへの適用を再三訴えていたが、法制化には至らなかった。そこで別の対策が取られた。16年5月になって、関連法案にプエルトリコ債務救済条項を挿入して提出され、6月に可決された。これによって、財務監視管理委員会による債務再編という枠組みが創られた。投資家に対し、プエルトリコへの訴訟を制限する猶予期間も設けられた。

 かつてプエルトリコは、連邦法人税免税等の税優遇措置で多国籍企業を誘致してきた。ところが、この税優遇措置が米連邦政府の財政悪化で、1996年から10年かけて縮小・廃止されると、企業が次々と撤退。2000年代半ばから景気低迷が続き、失業率は15年8月時点で11・6%と米国全体の約2倍に上る。人口は10年間で30万人以上流出し、産業競争力を失っていった。

 税収低迷による財政赤字を補填するために、プエルトリコ政府は地方債を発行した。連邦税等の免税メリットがある地方債を購入したのは主に米国のファンドだった。ファンドに投資しているのは、大半が米国の個人投資家だ。プエルトリコの破綻により、米国民の保有する資産が毀損すれば、米国経済も打撃を受ける。また、米国の市民権を持つプエルトリコの労働者が他の州に移り住むのは容易だ。他の州の雇用にもインパクトを与えかねない。

 当面は、プエルトリコの人々の生活を人道的に支えながら債務をどう整理するか、経済財政をどのように立て直すかが問題だ。税優遇措置に振り回された自治領プエルトリコと米国の本当の痛みはこれから始まる。

 

(『週刊エコノミスト』2016年8月23日号<8月16日発売>60ページより転載)

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2016年

8月

09日

ワシントンDC 2016年8月9・16日合併号

トランプ氏(前列右)と家族に見守られる中、ペンス氏(前列左)も登壇 Reuters
トランプ氏(前列右)と家族に見守られる中、ペンス氏(前列左)も登壇 Reuters

 ◇党大会指名でも遠い結束

 ◇本選へ不安残したトランプ候補

 

今村 卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 7月18日から21日まで行われた米共和党全国大会は不動産王ドナルド・トランプ氏を大統領候補に指名したが、党内の対立と混乱の深刻さが露呈した。トランプ氏にとっては、今後の選挙戦に相当の不安を残す結果に終わった。

 党大会は、最初から最後までトランプ氏の独壇場だった。党大会のテーマは「米国を再び偉大な国にする」。トランプ氏が予備選から唱えてきたものだ。さらに、最終日の指名受諾演説に満を持して登壇する従来の大統領候補のパターンを踏襲しなかったことも注目を集めた。演説に臨むメラニア夫人を自ら紹介するなど毎日登場したのだ。

 表面的なトランプ氏の露出の多さは、共和党内で同氏の指名に白ける党有力者や主流派がいかに多いか、の裏返しだ。名門ブッシュ家はそろって欠席し、過去2回の大統領選では指名候補だったロムニー元マサチューセッツ州知事とマケイン上院議員も出席を見合わせた。

 出席しても演説しない議員や知事が多く、空いた枠を埋めたのはトランプ氏の家族や親交のある有名人だった。しかもメラニア夫人の演説の一部は2008年のミシェル・オバマ大統領夫人の演説から盗用したことが判明、準備不足で盛り上がらない党大会の印象を強めてしまった。

 トランプ氏の下での党結束の難しさも再確認された。トランプ氏は、注目の副大統領候補に、宗教保守派で主流派との人脈があるマイク・ペンス・インディアナ州知事を起用した。党主流派との関係改善を最優先しての判断だ。この結果、トランプ氏は、自らの弱点である女性やヒスパニック系などの不人気を副大統領候補で補完できなくなった。

 党大会ではトランプ氏が指名される直前まで、主流派の一部である「反トランプ派」が抵抗、会場は怒号で騒然とした。

 党指導部も、政策綱領ではトランプ氏の唱えるメキシコ国境の壁建設やテロの歴史を持つ地域からの移民受け入れの停止などを容認してはいる。しかし、党大会で演説したライアン下院議長とマコネル上院院内総務は、主流派に抵抗のあるこうした政策には言及しなかった。

 

 ◇反クリントンでは団結

 

 一方、党大会では大多数の演説者が民主党候補であるヒラリー・クリントン前国務長官を強く非難。クリントン氏への敵意ではトランプ氏の下でも党の結束が維持できることが明らかになった。今後の選挙戦でも、共和党はクリントン氏への批判やネガティブキャンペーンに活路を求めることは確実であろう。

 とはいえ、それだけでトランプ氏が挙党態勢を構築することは不可能であり、本選での勝利に不可欠な無党派層の支持拡大もおぼつかない。しかしトランプ氏は指名受諾演説でも反主流派向けの予備選での主張を繰り返し、無党派層向けのアピールはなかった。これをみた党内からは「トランプ氏では勝てない」「今回は議会選での多数派死守に専念すべき」との声も上がっている。

 本選に向けた選挙戦は、今のところはクリントン氏の不人気に助けられて接戦になっている。しかし、クリントン氏が7月25日からの民主党全国大会で挙党態勢を固められるようなら、早い時期にトランプ氏は苦しい立場に追い込まれかねない。

 党内に諦めムードが広がらないうちに、トランプ氏は党結束をいち早く進めなければならない。女性やヒスパニック系の支持挽回策を打ち出すことが求められる。また、クリントン陣営に大きく見劣りする資金と陣営の立て直しも急務だ。トランプ氏に残された時間は非常に少ないと言わざるを得ない。(了)

 

 (『週刊エコノミスト』2016年8月9・16日号<8月1日発売>66ページより転載) 

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2016年

8月

02日

ワシントンDC 2016年8月2日号

政府間協議は合意にこぎつけたが…… Reuters
政府間協議は合意にこぎつけたが…… Reuters

◇TPP発効は風前のともしび 

◇大統領候補も議会も動かず

 

堂ノ脇 伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

 米国大統領選では、長い予備選の中で各陣営がさまざまな政策課題に対する自らの立ち位置を表明してきた。その中でも注目されるのは、オバマ政権のレガシーともいえるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を巡る両党候補の考えと、協定発効の行方である。

 一般的に企業寄りで自由貿易を標(ひょう)榜(ぼう)する共和党は、従来からTPP推進の立場を維持してきた。しかし、ドナルド・トランプ候補は、現状に不満を持つ白人低所得者層という新たな党支持基盤を獲得しており「TPPが米国製造業(ひいては雇用)に致命的な打撃を与える」として反対の立場を表明している。さらに6月には、自らが大統領に選出されれば米国はTPPから離脱し、各国との2国間協定締結に向けた交渉の仕切り直しに舵(かじ)を切ると宣言した。

 一方の民主党候補のヒラリー・クリントン氏も、党支持基盤である労働組合や自由貿易に反対の立場をとる多くの若年層の票を得るために、「現状の合意内容ではTPPに賛成できない」との姿勢だ。

 このように、現時点では両党の候補者がさまざまな政策課題で対立をしながらも、ことTPPに関してはそろって反対の意を表明するという特異な状況だ。もっとも、クリントン候補は、オバマ政権の国務長官時代にTPPを推進してきた経緯がある。また、先述の言い回しなどから、いったん大統領に選出されれば付属協定の見直しや、しかるべき国内手続き等を通じて賛成の立場に回ると予想する識者は多い。ただ、仮に今秋の連邦議会選挙で、民主党勢力が議席を伸ばした場合には、議会承認を得るのがさらに困難になってしまうというジレンマも抱える。

 

 ◇審議日程も不透明

 

 そのTPPについては、米国での批准のためには、関連法案の議会可決が必要だ。オバマ政権と、実際に交渉にあたったUSTR(米通商代表部)としては、11月の大統領選後から来年1月初旬の会期末にかけて法案承認を得ることで、政権移行前の自らの実績としたいという思惑だ。この時期は、落選や引退が決まった議員が残り任期を消化するだけのレームダック議会だ。議論の多い法案承認作業も、この時期ならば前進させやすいというもくろみだろう。

 しかし、7月初旬時点で関連法案は議会には提出されていない。USTRのフロマン代表は現在、法案策定の作業を進めていると認めているが、確実な可決を見込むには、事前に議会関係者との水面下での調整が必要だ。特に上院議会で関連法案を審議する財政委員会委員長のオリン・ハッチ議員(共和党)の支持基盤である製薬業界は、依然としてTPP交渉でのバイオ医薬のデータ保護期間を巡る合意内容を不服としている。このため、納得のいく法案策定とタイムリーな提出が行われるかはきわめて不透明だ。

 また、上院の議事をつかさどる共和党のミッチ・マコネル院内総務が、レームダック議会での審議に依然否定的な立場にあることも懸念材料だ。さらには、原則自由貿易推進という立場にありながらも、オバマ政権に花を持たせることを良しとしない共和党議員も相当数いる。もとより議会対策が得意とはいえないオバマ政権にとっては、残された任期中での法案可決の可能性は狭まってしまっているといわざるを得ない。

 仮に今会期中での可決が無い場合、両大統領候補の動向によっては、TPPは今後数年単位で漂流することも懸念されている。交渉をリードしてきた米国自身の揺れる動向に、交渉参加国は戸惑いながらも、固唾(かたず)をのんで今後の展開を見守っている状況だ。

2016年

7月

26日

ワシントンDC 2016年7月26日号

ドローンの誤爆被害に遭ったナビラさん
ドローンの誤爆被害に遭ったナビラさん

◇ドローン使う「オバマの戦争」

◇民間人犠牲者は最大116人に

 

(会川晴之・毎日新聞北米総局長)

 

 米政府は7月1日、この7年間に実施した対テロ戦争で犠牲となった民間人の死者が最大116人に達すると発表した。主に、米中央情報局(CIA)が作戦を指揮した無人機(ドローン)による攻撃で、誤爆されたり、巻き添えになった被害者で、中には子供もいる。この数字には、過激派組織「イスラム国」(IS)との闘いを続けるイラク、シリアや、アフガニスタンの数字は含まれていないため、民間被害者の実数は数倍に達する可能性がある。

 米国家情報局によると、オバマ大統領が就任した2009年1月20日から15年12月末までの間に、米国はパキスタンなどの非戦闘地域で473回の対テロ攻撃を実施した。攻撃が実施された地域などは公表していないが、アフガンに隣接するパキスタン北西部や、中東のイエメン、アフリカのソマリア、リビアなどとみられ、こうした攻撃で2372~2581人(推計)のテロリストを殺害した。だがその一方で、64~116人(推計)の民間人も死亡した。

 08年の大統領選で、イラクとアフガンからの早期撤退を公約に掲げたオバマ大統領は、就任直後から対テロ戦争の切り札としてドローンを使うことを決断した。ブッシュ前大統領時代のドローン攻撃はわずか49回だが、非戦闘地域だけでもこの7年間で500回近くに達した。背景には、01年から始めたアフガン戦争、03年からのイラク戦争で米兵の死者が多数にのぼり、国民の批判が高まったことがある。戦闘機などによる爆撃に比べて安価で済むこともドローンによる作戦を後押しした。だが、誤爆という予想外の結果を生み出してしまう。

 ドローンは、米国本土の基地内に置かれた「コンテナハウス」と呼ばれるオペレーション・ルームで、担当者が人工衛星を使いながら運用している。このシステムでは、戦闘経験で蓄積してきた「怪しい動きをする人物」を察知して、担当者が即座に攻撃する仕組みになっている。だが、「怪しい」と判断するプログラムが完璧ではないため、民間人を戦闘員と間違えて攻撃してしまうケースや、戦闘員の周辺にたまたま居合わせた民間人が巻き添えに遭うケースが続出している。

 

 ◇少女の心に深い傷

 

 一例を挙げよう。12年10月、パキスタン北西部の自宅近くでナビラ・レフマンさん(12)一家はドローンによる誤爆を受けた。ナビラさんの目の前で農作業中だった祖母(当時67歳)が亡くなり、ナビラさんら9人も爆弾の破片で負傷した。なぜナビラさん一家が狙われたのか、真相は明らかになっていない。ドローン攻撃の非人道性を訴えたいと、教諭である父と弁護士などと相談して米国を訪問し、米下院で「ドローンに攻撃された時は怖かった」と証言した。出席した議員はわずか5人だった。また、昨年11月には来日、都内で開かれたシンポジウムに参加したほか、被爆地・広島を訪ね「戦争のない世界の実現のためには、対話が最も必要」と訴えた。

 ドローンの活動を監視する非政府組織(NGO)などによると、民間人の死者は200~900人に達している。オバマ氏はこうした批判を念頭に「可能な限りの情報を開示」するよう指示、それが今回の発表につながった。ただ、大統領の狙いは、テロリストの死者が約2500人にも及ぶなどドローンを使った対テロ戦の成果は大きいと強調することにもあるようだ。

 オバマ氏は6日、アフガン駐留米軍を17年も8400人規模で維持すると発表した。「オバマの戦争」は、来年1月に就任する新大統領に引き継がれることになる。

 

2016年

7月

19日

ワシントンDC 2016年7月19日号

米国社会の価値観が変化している Bloomberg
米国社会の価値観が変化している Bloomberg

◇増える親と若者の同居

 

三輪裕範(伊藤忠インターナショナル会社

                                      ワシントン事務所長)

 

 西部開拓時代よりアメリカ社会は、若者に対して一日も早く独立し自立することを求めてきた。そのため、大学を卒業して社会人になれば、できるだけ早く実家を出て、結婚するなり一人暮らしするなりして、自分が稼いだお金で親から独立した生活を始めるというのが、一般的な行動様式だった。

 しかしながら、若者の行動様式にも、近年大きな変化が見られるようになってきた。最近、ピュー・リサーチ・センターが発表したリポートによると、18~34歳までの若者は、親と同居している割合が2014年には32・1%に達したという。このリポートでは、独居、配偶者との同居、友人との同居など、その他すべての居住パターンのどれよりも多いことも分かった。アメリカの若者の約3人に1人が親と同居しているということであり、これは今まで私たちがアメリカの若者に対して抱いてきた印象と随分違っている。

 以前はこんな状態ではなく、親と同居する若者の割合が最も少なかった1960年には20%と、5人に1人だった。その一方で、配偶者あるいは恋人等と同居する若者の割合は62%と、非常に高率であった。しかし、2014年には、その割合も31・6%と、1960年のほぼ半分にまで下がっている。

 では一体なぜ、アメリカの若者はこれほど多く親と同居するようになったのだろうか。その理由の一つは、アメリカの若者の価値観、特に結婚に対する価値観の変化である。前記ピュー・リサーチ・センターのリポートを書いたリチャード・フライによると、「昔のアメリカの若者が熱心であったのは、良いパートナーを見つけて新しく家庭を築き、何人か子供を持つことだった」が、そうしたことよりも、「今の若者がもっと熱心なのは自分の勉強や仕事に力を入れること」だとしている。

 たしかに、アメリカ人の初婚年齢は、男女共に上がり続けている。1956年には初婚年齢として最も多かったのは男性が22歳、女性が20歳だった。だが、2014年にはそれが男性29歳、女性27歳と、男女とも7歳上がっているのだ。

 しかし、こうした価値観の変化以上に大きな影響を与えたのは、経済環境の変化である。親との同居が今よりもずっと少なかった1960年というのは、アメリカがまだまだ経済的な繁栄を謳歌(おうか)していた右肩上がりの時代であり、就職や昇給もそれほど困難ではなかった。

 ところが、現在では、生活費は高騰する一方、希望するような就職機会は非常に限られている。また、ようやく就職できたとしても、賃金は容易に伸びない。特に大学を卒業したばかりのころは、まだまだ多額の学生ローンを残している場合も多く、給料だけでは生活するのに精いっぱいで、学生ローンの返済もままならない。そうした近年のアメリカの経済状況を考えれば、若者が結婚する時期を先伸ばしし、親との同居を選ぶのも一つの合理的な選択であると言えるだろう。

 

◇親子親密化も一因

 

 また、親との同居が増えた背景には、親子関係の親密化という要素もある。18~29歳の若者の親に対して行った2013年の調査では、子供が親と同居することに好意的であったのは61%にも上った一方、否定的だったのはわずかに6%にすぎなかった。むしろ親自身が子供との同居を望むようになっているのだ。

 親との同居が当たり前のように受け入れられ始めた今のアメリカ。子供が「親離れ」しなくなっただけでなく、親も「子離れ」しなくなったとすれば、アメリカの将来にあまり明るい希望は持ちにくい。

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2016年

7月

12日

ワシントンDC 2016年7月12日特大号

金融機関が破綻しても25万ドルの預金は保護される  Bloomberg
金融機関が破綻しても25万ドルの預金は保護される  Bloomberg

◇金融機関の迅速な破綻処理

◇信用不安の連鎖を防止する

 

安井真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 世界各国が資源価格の低迷や景況感の悪化に苦しむ中、米国経済は比較的堅調とされている。しかし、米国の金融機関は、昨年は8件、今年はこれまでに3件破綻している。金融機関の破綻と聞くと、預金の取り付け騒ぎや信用不安の連鎖を思い起こす。だが、米国では通常、金曜日の夕方に金融機関の破綻が公表され、業務停止を経て、翌日の土曜日には看板を掛け替えて営業再開となる。それを可能にしているのが、連邦預金保険公社(FDIC)の迅速な破綻処理だ。

 破綻処理プロセスは、通貨監督庁(OCC)や連邦準備制度理事会(FRB)等の監督当局が、検査等を通じて金融機関の経営悪化を感知して早期是正措置を通知することから始まる。直ちにFDICの破綻処理チームが、金融機関に乗り込み、取締役会で破綻処理手順を説明、債権の詳細リストなど各種データを入手する。資産や負債を評価し、時間的制約、地域競争力、詐欺・横領などの不正の可能性等を分析して、複数の破綻処理方法の中から最もコストの小さいものを選ぶ。多くのケースでは、他の健全な金融機関を受け皿金融機関に資産負債を承継させる「資産負債承継方式」が取られる。FDICが管財人となり、預金者に預金保険で保護される預金(付保預金)を払い戻し、残存資産を清算して金融機関を閉鎖する「ペイオフ方式」もある。

 

 特徴的なのは、破綻公表前に、秘密裏に破綻処理プロセスを進めることだ。先に説明した一般的な資産負債承継方式の場合、受け皿金融機関は破綻公表前に非公開入札で決まる。FDICは、日ごろから金融機関の破綻処理に関心を持つ銀行等にネットワークを張り巡らす。実際に破綻事案が発生すると、営業地域、資産規模、監督当局の評価等から、受け皿金融機関の入札者候補を絞り込む。破綻金融機関の情報は、暗号の使用や守秘義務契約の締結によって厳格に管理される。落札者の決定の際は、監督当局の了解も取り付ける。金融機関の破綻が公表されるのはその後。早期是正措置通知から破綻公表まで、90日以内が原則だ。

 

 ◇FDICに広範な裁量

 

 FDICは、世界大恐慌で9000近くの銀行が業務停止・破綻に陥った後の1933年に設立された。預金保険で保護される預金額は、当初の預金者1人当たり2500ドルから現在の25万ドルまで徐々に引き上げられた。この間、金融機関の破綻によって付保預金を失った預金者は一人もいない。

 80年代後半から90年代前半の貯蓄貸付組合(S&L)危機では、6年間に747件のS&Lを破綻処理。2008年のリーマン・ショックを契機としたサブプライムローンの不良債権問題に関しては、6年間に489件の金融機関を処理した。米国議会は、FDICに広範な裁量を与え、その活動を保護している。裁判所がFDICの破綻処理を差し止める命令を出すことも禁じられている。

 ひとたび、金融機関が重大な資本不足や支払い不能状態に陥り、自力再建が難しいと監督当局が判断したら、資産価値が劣化する前に、FDIC所属の弁護士ら数百人規模の破綻処理のプロが受け皿金融機関を探し、できるだけ高く買い取ってもらう。付保預金が保護されれば、取り付け騒ぎも発生しない。預金保険基金を大幅に取り崩さなければ、金融機関に課す預金保険料率も法外に高くならない。金融機関の破綻がドミノ式に信用不安を引き起こさないためには、何より金融システムに対する国民の信頼が大事なのである。

 

2016年

7月

05日

ワシントンDC 2016年7月5日特大号

異端の戦略で予備選を勝ち抜いたが・・・ Bloomberg 週刊エコノミスト
異端の戦略で予備選を勝ち抜いたが・・・ Bloomberg

 ◇無党派層はトランプ嫌い

 ◇本選に向け戦略転換できるか

 

今村 卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 米大統領選で共和党の指名獲得を確実にしたドナルド・トランプ氏が、予備選向けから本選向けへの戦略転換に一向に踏み切らないことへの懸念が共和党内に広がってきた。

 共和党の候補者選びでは、反主流派の支持獲得を優先する異端の戦略が当たった。同氏の、▽不法移民を止めメキシコ国境に壁を建設▽中国やメキシコから雇用を奪還▽イスラム教徒の入国禁止──といった「公約」と「米国を再び偉大にする」というスローガンも、従来なら荒唐無稽(むけい)と党内で切り捨てられていたが、今は違う。トランプ氏の発言は、経済苦境やテロ不安にあえぐ労働者階級の心を掴(つか)んだ。その結果、トランプ氏は同党の予備選・党員集会を通じて史上最高の1330万票を獲得、誰もが予想できなかった完勝を遂げた。

 とはいえ、今年の共和党の予備選・党員集会の投票率は約15%に過ぎない。本選での勝利には、予備選の5倍に当たる6500万票程度の得票が必要と言われる。トランプ氏は反主流派の支持を軸に指名獲得を確実にした異例の候補だ。予備選での強さを単純に本選に結びつけることはできないだろう。

 トランプ氏には「歴史的な不人気」という深刻な弱点がある。本選の有権者全般を対象にした最新の世論調査では、トランプ氏が嫌いな有権者が70%弱に達している。無党派層による嫌われ具合では、トランプ氏がクリントン氏を大きく上回っている。

 しかも同調査では、共和党内ならトランプ氏の支持基盤となっている白人の労働者階級、中高年以上でもトランプ氏の人気は高くない。さらに、本選のカギを握るヒスパニックや女性は、嫌う人が8割前後で、極度の「トランプ嫌い」だ。

 トランプ氏は、予備選向けの戦略の転換が急務だ。白人の労働者階級を優先する戦略を見直し、挙党態勢を確立して無党派層の支持拡大を目指することが必要だろう。特にヒスパニックや女性の支持を目指す努力が欠かせない。

 

 ◇自説は曲げない

 

 しかし、現実のトランプ氏は本選も同じ戦略が通用するはずとの確信を持っているようだ。

 最近も、自身の不動産投資講座「トランプ大学」の授業料返還訴訟を担当するメキシコ系米国人の判事に人種差別発言を含む中傷を浴びせた。民主党はもちろん共和党指導部や主流派からも非難されて渋々撤回。6月12日にフロリダ州オーランドで銃乱射事件が発生すると、直ちにイスラム教徒入国禁止の持論の正当性を唱え、翌日にはテロの歴史がある地域からの移民禁止を訴えた。同氏の悲劇の政治利用を避けるどころか、事件当日からツイッターに「私の主張が正しかったことを祝福してくれて感謝する」と記すほどの態度には、党派を超えて大統領に不適格との非難が浴びせられた。しかし、トランプ氏は主張を撤回することなく、共和党指導部は対応に苦慮している。

 トランプ氏には、白人からの圧倒的支持があれば本選は乗り切れるとの読みもありそうだ。だが、甘すぎる予想や予備選戦略への固執は、支持率低下をもたらしている。トランプ氏を諌(いさ)められる側近も不在だ。

 選挙戦の舞台が本選に移ってから1カ月近くがたっても予備選向けの選挙運動を続けるトランプ氏をみると、転換の可能性は遠のきつつあるようにも思える。それを容認できるはずがない共和党指導部や上下両院の議員が7月の全国党大会に向けてどのような行動に出るのか。党大会前に思わぬ混乱が生じる可能性もあり、注目を続ける必要がある。(了)

 

 (『週刊エコノミスト』2016年7月5日号<6月27日発売>64ページより転載)

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2016年

7月

05日

商社の深層30:目立つ官僚OB取締

◇経産省とのパイプに期待か

 

種市房子(編集部)

 

 6月21日に東京都内で行われた三井物産株主総会。株主が、社外取締役の武藤敏郎氏(元財務省事務次官、日銀副総裁)を指名して「FRBと日銀の今後の政策運営は」と質問する場面があった。武藤氏に限らず、いま商社の取締役には官僚OBが目立つ。今年も新たな官僚OB取締役が誕生した。村木厚子・元厚生労働省事務次官は伊藤忠商事社外取締役に就任した。

 住友商事では、経済産業省事務次官を務めた後、6月まで商工組合中央金庫(商工中金)社長を務めた杉山秀二氏が社外取締役に就任した。住友商事は選任理由を「広範な知識と豊富な経験を有して、高い識見と能力を兼ね備えている」と説明している。ただ、杉山氏の同社社外取締役就任には、経産省・商社側の事情も垣間見える。

 杉山氏が6月まで3年間務めた商工中金社長は、経産省事務次官の“指定席”だ。後任には、杉山氏の4代後に次官を務めた安達健祐氏が就任する。経産省に限らず中央官庁は、若い官僚に幹部ポストを与えて士気を維持することが必要だ。そのためには、シニア官僚に外部の独立行政法人や関係企業の役員ポストを用意して、退官してもらわなければならない。再就職先を確保して人事を回すのも、経産省人事部局の立派な仕事なのだ。後進に商工中金社長を譲ってもらうため、経産省が杉山氏に特等席として用意したのが住友商事の社外取締役というのが経産省内の定説だ。

 一方、住友商事に限らず大手商社は経産省OBの受け入れには積極的だ。これは、経産省が所管する独立行政法人・日本貿易保険(NEXI=ネクシィ)とのパイプを密にするという意味合いが大きい。同法人が取り扱う貿易保険は、海外での資源開発や大型投資で損失が出た場合に一定額を補償する。ただ、保険が適用されるか、保険金をいくら出すのかは同法人の審査が深くかかわる。経産省官僚は「商社幹部が、NEXIや我々に保険適用の依頼に来るのは珍しくない」と証言する。OBの天下り先を確保したい経産省と、貿易保険業務で“意思疎通”を密にしたい商社との利害は一致している。

 

 ◇お試し期間も

 

 ただ、経産省に限らず、近年はいきなり常勤取締役として天下りすることは少なくなった。

 これは、監視が厳しい株主が増える中、取締役会での意思決定の責任を問われて株主代表訴訟のリスクを抱えることになるからだ。お試し期間を働き、戦力として認められれば常勤取締役に昇任するケースが多い。たとえば住友商事取締役の藤田昌宏氏(元経産省貿易経済協力局長)は、2010年に執行役員として入社し、14年に取締役に昇任した。この間、事業部門長補佐として民間のビジネスを学んだ。

 商社にとっても、ビジネスマンとしての能力が未知数の官僚OBをいきなり常勤取締役に引き立てるリスクを負いたくない。NEXIとのパイプを確保しながらも、最初から重要ポストは与えない商社のしたたかさが垣間見える。

  ◇  ◇

 27日発売号の本誌本欄で、「丸紅代表取締役を務めた髙原一郎氏(元エネ庁長官)は今年6月、入社後3年で退職した」とあるのは間違いです。お詫びして訂正します。髙原氏は代表取締役を退いたものの、6月以降も常務執行役員として同社に在籍しています。

 

2016年

6月

28日

ワシントンDC 2016年6月28日号

◇性的少数者巡りトイレ論争が過熱

 

堂ノ脇伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

 米連邦最高裁は昨年6月、同性婚が憲法上の権利と認める判決を下し、一部の州でこれを禁じていることは違憲であるとの見解を示した。就任以来一貫してリベラルな政策を推し進めてきたオバマ政権にとっては象徴的な判決であり、またLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)と呼ばれる性的少数者にとっても朗報であった。ただ、一部の州では引き続きLGBTの権利を巡ってさまざまな難しい論争が続いている。

 その典型的な例が、今話題となっているノースカロライナ州の州法である「HB2(House Bill 2)法」を巡る論争である。共和党のマクローリー州知事によって3月に署名、発効した同法は、出生証明書と同じ性別の公衆トイレや更衣室の使用を義務づけている。加えて傘下の自治体が同法に反する法令を設けることを禁じている。同法がLGBTに対して差別的だとして、撤廃を求める大きな反対運動を生み、全米規模での論争にまで発展している。同法に対してはバンク・オブ・アメリカやアメリカン航空、コカ・コーラ、グーグル、AT&Tといった名だたる企業が反対を示している。また、オンライン決済大手のペイパルなどは同法の発効を受けて、同州で計画していた国際業務センターの設立を見直す意向を示している。他にもロック歌手のブルース・スプリングスティーン氏が法の発効に抗議してコンサートを中止した。

 同州では伝統的な価値観を重視し宗教保守派を多く擁する共和党が州議会で多数派を占めている。同法については、例えば男性がトランスジェンダーを装って女性トイレや更衣室に入り、性的暴行を犯す可能性があるとして、依然撤廃に反対している。5月9日にはオバマ政権が同法は違憲であるとしてノースカロライナ州を提訴、同州出身のリンチ米司法長官も「これは単にトイレに関する以上の問題である」として「米国は違いや多様性を受け入れる寛容な心を思い出さねばならない」とコメントをしている。

 

◇全国規模の争点に

 

 その後5月13日にはオバマ政権が全米の学校に対し、性による差別を禁じた教育改正法第9編(タイトル9)を引用して、トランスジェンダーの生徒には自らが認識する性に応じたトイレを使用させるようにとの指針を通達した。ところが、今度は共和党を支持基盤とする11の州が猛反発して、「連邦政府は強権的に大規模な社会実験をしようとしているが、これは民主的プロセスを愚弄(ぐろう)し、プライバシーの権利や子供を保護する常識的な方針をないがしろにしている」と主張。指針の無効を訴える訴訟を起こす事態に発展し、今やトイレを巡る問題は全国規模での訴訟合戦となっている。

 一般市民の受け止め方はどうか。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とNBCニュースが共同で行った世論調査によれば「トランスジェンダーは本人の認識する性のトイレを使用するべきだ」との回答が40%に達した一方、「身体の性と一致しないトイレの使用を法的に禁じるべきだ(つまりHB2法と同じ内容)」と回答した人も31%いた。

 大統領選に立候補しているドナルド・トランプ氏は、「州が解決すべき問題だ」として連邦政府の介入をけん制しつつ、自らはこの問題には深入りしない態度を示している。一方でかねてよりLGBTの人権保護を主張してきたヒラリー・クリントン氏はオバマ政権の指針を支持している。トイレを巡る論争は大統領選の行方にも影響を及ぼしかねないものの、最適な解はなかなか見いだせそうにない状況だ。

2016年

6月

21日

ワシントンDC 2016年6月21日特大号

テヘランの旧米国大使館に描かれた壁画。 米イラン関係は複雑だ
テヘランの旧米国大使館に描かれた壁画。 米イラン関係は複雑だ

 ◇イランとの取引再開

 ◇米政府が欧州銀に要請

 

会川晴之

(毎日新聞北米総局長)

 

 ケリー米国務長官は4月と5月の2回、欧州系金融機関にイランとの金融取引を再開するよう異例の要請をした。イランと長年、敵対関係にあった米国が、あたかもイラン“応援団”のような振る舞いを続けるのは奇妙に見える。

 ケリー長官は5月12日、ロンドンで開かれたドイツ銀行、BNPパリバなど欧州を代表する金融機関との協議に臨み、イランとの金融取引再開を求めた。長官は4月にも国連の会合に出席するためニューヨークを訪れたイランのザリフ外相と2度も会談、同様の内容の声明を発表するとともに「もし不明な点があるならば、遠慮なく米政府に問い合わせてほしい」とまで付け加えた。

 不可解とも見える米国の行動を理解するには、歴史をさかのぼる必要がある。

 2012年に公開され、アカデミー賞を受賞した映画「アルゴ」にも描かれたように、1979年のイスラム革命直後に起きたテヘランの米大使館占拠事件を機に、米国とイランは国交を断絶した。以来、現在までその状態が続く。

 最悪期を迎えたのはブッシュ(息子)政権時代。02年1月の一般教書演説でブッシュ大統領はイラク、北朝鮮とともにイランを「悪の枢軸」と指弾した。この年の8月にはイランの反体制派が秘密核開発を暴露し、さらに関係が悪化した。イラン空爆論が公然と語られたほどだ。

 だが、こうした対立も解ける時が来る。13年夏に穏健派のロウハニ大統領が就任したのをきっかけに米国など主要6カ国とイランの核交渉が本格化。長く困難な交渉を経て両者は15年7月、核問題を解決する包括的共同行動計画に合意した。今年1月には、イランが核開発活動を合意通りに縮小したことが確認され、米国など主要国は制裁を解除した。

 だが現実は甘くはなかった。

 イランとの貿易や投資拡大には国際的な金融決済システムの利用が不可欠になる。しかし、米国は核問題を理由に導入した制裁は解除したものの、中東諸国のテロ活動支援にイランが関与していることを理由に、核問題以前に導入した金融制裁を維持した。イランとの金融取引を禁じたもので、米国の金融機関だけでなく、米国法人を持つ外銀も対象となる。つまり、ドル決済はいまもできない。

 ではどうするか。円やユーロ、英ポンドなど他の通貨で取引すればよい。米国務省の報道官が「米国の制裁を回避する方法をアドバイスしている」と述べるなど「抜け穴」の利用を説いたほどだ。それでも欧州銀は動かない。5月のロンドン会合後、HSBCの最高法律責任者は「いかなる新ビジネスも行う考えはない」と米紙に寄稿している。

 

 ◇米大統領選みきわめ

 

 イランの不満は募る。核開発縮小という切り札を切ったものの、見返りの果実が得られないためだ。5月30日にフィンランドを訪れたザリフ外相は「米国はもっと積極的に行動を」と批判を続ける。控えめに見ても、イランの言い分の方が正しい。

 欧州銀がイランとの取引をためらう最大の理由は、オバマ政権の余命があと7カ月しかないことに尽きる。オバマ米大統領は、イランとの核合意を「政治的遺産(レガシー)」と位置づけるが、新大統領の対応は現時点では全く予想がつかない。イランとの核合意を猛烈に批判する共和党のトランプ氏が大統領に就任すれば、制裁が待ち受けていると覚悟するしかない。金融機関にそんなリスクを取ろうとする人はいない。米大統領選の行方は、イランの国際社会復帰にも影響を与えている。

2016年

6月

14日

ワシントンDC 2016年6月14日号

ハーバード大も合格率は下がるばかり Bloomberg
ハーバード大も合格率は下がるばかり Bloomberg

◇入るは難く出るはやすし 変わる名門大学

 

三輪裕範

(伊藤忠インターナショナル会社

       ワシントン事務所長)

 

 軍事、経済両面における米国の凋落が言われて久しい。しかしその一方、米国の大学についてはますます世界的名声が上がっている。

 現に「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」や「USニューズ・アンド・ワールド・リポート」など世界の著名大学ランキング調査では、ハーバード、エール、プリンストン、スタンフォード、マサチューセッツ工科大学(MIT)などといった米国の名門大学が必ずトップ10に入っている。今も米国の大学の競争力は、世界の中でも圧倒的である。

 米国の大学について、日本では以前から、「入るのはやさしいが、出るのは難しい」という固定観念があった。ところがこの固定観念が最近は必ずしも通用しなくなってきている。

 まず「入る」方については、特にハーバードやエールなどのエリート大学への入学は激烈になっている。ハーバードの場合、ここ数年合格率が下がり続けており、今年の合格率も5・2%と史上最低を記録している。合格率が1985年には16・1%、2000年には10・9%だったことを考えると、近年の合格率の急激な低下が理解できるだろう。

 その他のアイビーリーグ(東海岸の名門私立大学)の合格率についても▽コロンビア6・0%▽エール6・3%▽プリンストン6・5%などとなっており、ハードルの高さはハーバードとそれほど違わない。また、アイビーリーグの大学ではないが、名門校スタンフォードの合格率は、ハーバードよりもさらに低い4・7%である。今やこうした名門大学に入学するのは、くじ引きに当たる確率よりも低いと言われるほどだ。

 

◇「A」のインフレ

 

 では、「出る」方はどうだろうか。「米国の大学は、日本と違って一生懸命に勉強しないと簡単に卒業できない」というのが、これまでの一般的なイメージだった。しかし最近はそれほど勉強しなくても簡単に良い成績が取れるようになっている。全米400校以上の大学について過去70年間にわたる学生の成績表を調べた興味深い調査がある。それによると日本の大学で「優」に相当する「A」が与えられた割合は、1940年には15%に過ぎなかったものが、2013年には何とそれが3倍の45%になっている。私立大学だけを取れば、その割合は50%以上にも達している。エールのようなエリート大学でも、「A」と「Aマイナス」を合わせれば62%にもなっているのだ。

 このように学生の成績評価が高騰している状況は「グレード・インフレーション」と呼ばれ、近年、米国で大きな社会問題になっている。あまり勉強しないにもかかわらず良い成績を取って卒業してしまう学生が増えると、米国の国際競争力低下や国家の衰退を招く恐れがあるためだ。

 もっとも、こうしたグレード・インフレーションを改めようと、一時、プリンストンやヒラリー・クリントンの母校・ウェルズリーなどでAの割合を抑えようと努力したことがあった。しかし、他の主要大学のいずれも追随しなかったため、結局断念せざるを得なくなっている。

 学生の成績と同様に、米国の大学の年間授業料も近年インフレが非常に激しい。前記のような有名私立大学の場合は、年間約6万ドル(約650万円)かかる。それに家賃や食費などを加えると、年間900万~1000万円程度の負担は覚悟しなければならない。親や学生にこれだけ多額の負担をさせる中で、大学としてできることといったら、グレード・インフレーションによって、せめてものお返しをすることぐらいなのかもしれない。

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2016年

6月

07日

ワシントンDC 2016年6月7日特大号

ハリバートンによるベーカー買収は断念  Bloomberg
ハリバートンによるベーカー買収は断念  Bloomberg

◇大型M&A承認渋るオバマ政権

◇競争促進と消費者保護を重視

 

安井真紀(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 資源価格の下落を受け、石油・天然ガス等の資源関連企業が業績悪化に苦しむ中、各社は、同業他社との合併・買収(M&A)を含め、生き残る道を模索している。そこに立ちはだかるのが独占禁止法などの競争法だ。

 M&Aで各産業の企業数が極端に少なくなると、製品・サービスの価格が高止まりして、技術革新が進まない。その結果、消費者は代替品の選択もできず、質の低い製品・サービスに高いコストを払わざるを得なくなる恐れがある。このため独禁当局は企業結合審査で、消費者保護の観点からM&A計画の妥当性を確認している。

 米石油サービス2位のハリバートンは、同3位のベーカー・ヒューズを約340億ドルで買収する計画を立てたが、5月1日、計画断念を発表した。背景には、米司法省反トラスト局の判断がある。同局は、この買収が米国の石油・天然ガスの探査・生産に関連する製品・サービスのうち、少なくとも23市場の競争に悪影響を及ぼすと判断した。

 英紙『フィナンシャル・タイムズ』は4月、100億ドルを超える大型M&A案件を承認しなかった件数が、クリントン政権で2件、ジョージ・W・ブッシュ政権で1件なのに対し、オバマ政権では既に5件に上ると報じた。オバマ政権では、メディア・通信大手コムキャストによるタイム・ワーナー・ケーブルの買収や、食品流通大手シスコ・コープによるUSフーズ買収の白紙撤回などがある。ハリバートンの買収中止で、オバマ政権の実績はさらに1件増える。

 案件によって競争環境が異なるため、単純な比較はできないが、オバマ大統領は、産業界の競争促進を重視し、M&A審査に厳しいと言われている。『ワシントン・ポスト』紙によれば、ブッシュ政権の最後の6年間で、独禁当局が異議を唱えたM&A案件は平均年47件。これに対し、オバマ政権の最初の6年間は平均年52件だ。オバマ大統領の就任直後は、リーマン・ショックの影響でM&A取引が低調だったことを考えると、この差は数字以上に大きいかもしれない。

 米国のM&Aは年1万2000件を超える規模に達しており、独禁当局に否認されるM&A計画は1%にも満たない。ただ、今後もM&A取引の大型化が見込まれる中、オバマ大統領の任期末に向けて、さらに独禁法適用の動きが加速すると見る専門家もいる。

 

 ◇医療業界の審査に注力

 

 米連邦取引委員会(FTC)が最近、審査に注力しているのは、医療・健康・医薬品業界だ。地方病院の統合では、統合後もその地方の患者が質の高い医療サービスを受けられるか、患者が他の医療機関を受診できなくなって医療費の高騰につながらないか、などが審査のポイントとなっている。

 ほかにも、医薬品の関係では、特許の切れた新薬と同じ成分を使った後発医薬品(ジェネリック医薬品)を一定期間、市場へ出すのを見送る代わりに、新薬業者から後発医薬品業者に補償金を支払う合意が、消費者の利益を阻害すると認定された。

 企業結合の規制、カルテル・独占行為の禁止などを定める競争法は、19世紀後半に米国で生まれた。日本へは第二次世界大戦後に導入され、その後、西欧諸国に展開。2000年以降は、アジア各国を含め新興国・途上国で競争法の導入が相次いでいるが、歴史はまだ浅い。経済のグローバル化が急速に進み、市場の拡大と外国企業の参入に伴い競争が激化する中、世界各地で企業の生き残りをかけた選択と消費者保護のバランスが求められている。

 

2016年

5月

31日

ワシントンDC 2016年5月31日号

共和党指導部との間に火種残すトランプ氏 Bloomberg 週刊エコノミスト
共和党指導部との間に火種残すトランプ氏 Bloomberg

 ◇トランプ氏の指名確定で

 ◇共和党が変貌する可能性

 

今村  卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 米大統領選で不動産王ドナルド・トランプ氏が共和党の指名獲得を確実にしたことで、いよいよ共和党の動揺が始まりそうだ。

 トランプ氏は、予備選・党員集会で過半数の代議員獲得の見通しが立たなかった4月半ばまでは、支持拡大のために共和党主流派に接近する構えを見せていた。

 だが、ニューヨーク州など7州で圧勝して、テッド・クルーズ上院議員ら他候補が撤退。トランプ氏の指名獲得が確実になると、同氏の発言は再び主流派の主張から離れ始めた。しかも、従来のように支持基盤の労働者階級など「草の根保守」への迎合にとどまらず、富裕層への増税や最低賃金の引き上げ支持をメディアに語るなど、民主党の候補のような主張にまで踏み込み始めた。

 共和党指導部と主流派は「小さな政府」を志向し経済政策では減税を優先的に訴え続けている。さすがにトランプ氏のこの主張は容認できない。共和党指導部の一人、ポール・ライアン下院議長は5月5日、「現時点ではトランプ氏を支持する準備が整っていない」と態度を保留した。

 その後5月12日に、両氏はワシントンの共和党全国委員会本部で会談し、「大統領選の本選でクリントン氏を破るために、共和党が団結して戦う」という基本合意に至った。指名争いが事実上終わった時点での党分裂という最悪の事態は、回避できたと言えよう。だが、あくまで小康状態だ。政策面で歩み寄れなかったため、会談後もライアン氏はトランプ氏への支持を表明しなかった。共和党指導部とトランプ氏が本選に向けて火種を残していることは否めない。

 

 ◇経済政策はリベラル寄りに

 

 ライアン氏は今後、トランプ氏と対話を続けて、政策面の距離を詰めていく考えだが、現実には難しい。

 根本的な問題は、目先の選挙に勝つためなら手段を選ばないトランプ氏の「柔軟な」姿勢だ。トランプ氏には、共和党の基本である保守派というイデオロギーにこだわりがない。選挙戦では、支持を得たい勢力が求める政策を主張しがちである。

 指名争いでは、党指導部や主流派に怒りを募らせている「草の根保守」グループの支持獲得に狙いを定めた。不法移民の追放やイスラム教徒の一時入国禁止、通商政策での保護主義の強調など、このグループに受ける大衆迎合的な政策を訴えた。

 本選に舞台を移した今は、無党派層や民主党支持の労働者階級に狙いを切り替え、最低賃金の引き上げ支持、インフラ投資の拡大、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への反対など、リベラル寄りの経済・通商政策を主張し始めている。しかもトランプ氏の主張は一貫性がなく、ひょう変する傾向がある。共和党指導部は、自党の大統領候補の主張と行動が予想不可能という難題も抱えることになる。

 大統領になることが目的のトランプ氏と、保守というイデオロギーに基づいて政策を選び、その実現のために大統領選での勝利を目指す共和党の指導部と主流派。両者が一丸となって戦うことは本質的に難しい。

 今は、トランプ氏と共和党指導部の歩調が合っているように見える。だが今後の選挙戦では、トランプ氏は無党派層や一部の民主党支持層の支持獲得を優先して、共和党指導部と主流派が容認できない政策を突然、訴え始める可能性も大いにある。そのひょう変が、大統領選と同時に進む議会選や州知事選の共和党候補者にダメージを与える恐れもある。

 共和党にとって、トランプ氏という異例の大統領候補の指名は、今後の選挙戦を通じて同党を根本から変える可能性がある。それも共和党の総意ということなのだ。(了)

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2016年

5月

24日

ワシントンDC 2016年5月24日特大号

週刊エコノミスト 連邦最高裁は保守派とリベラル派の戦いの場でもある Bloomberg
連邦最高裁は保守派とリベラル派の戦いの場でもある Bloomberg

 ◇非有権者も入れて選挙区割り

 ◇最高裁が移民に寛容な判断

 

堂ノ脇伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

 米連邦下院議会の議員は、誰の声を代表するのか。

 連邦最高裁で4月4日、有権者だけでなく、全ての人口を考慮して、選挙区を区割りすることが公正との判決が下された。長年にわたって堅持されている“One Person, One Vote (一人一票)”の原理を覆すことなく、これに挑戦した保守派のもくろみは、もろくも崩れ去った。

 米国には、投票権を持つ米国市民のほか、投票権を持たない合法や非合法も含めた数多くの移民がいる。連邦議会下院は、10年ごとの人口調査に基づいて、各州で選挙区を区割りする。おおむね1選挙区が57万人程度の人口になるよう区割りして、「同数の人口」を代表する形にし、全米規模で435人の下院議員を選出することになっている。

 ここで言う「同数の人口」とは、果たして投票権を持つ有権者のみなのか。あるいは、移民も含めた事実上の全ての人口なのか。

 連邦最高裁は既に1963年、全ての人は平等に創造されたものであるとする憲法修正第14条の原理に従って「一人一票」という考え方を採用し、「全ての人口」を基本にすると規定していた。

 これに対し昨年、保守派の市民団体が「(移民などの)投票権のない者も人口に加えて、選挙区を設定しているため、自らの1票の価値が希薄化されている」として、連邦最高裁に対し、有権者のみで区割りを行うべきではないかと上訴したのである。

 

 ◇次の人口調査は20年

 

 一般に、投票権を持たない移民の多くは、職を得る目的で都会に集中する傾向にある。また、都会にいるマイノリティー(少数派)の有権者は、総じて民主党支持者が多い。これに対して、都会を離れた、白人中心の郊外の有権者には、総じて保守的な傾向がみられ、一般に共和党支持者が多い。

 仮に、投票権のない人を除外して、有権者の数のみを基準に選挙区の区割りがなされれば、郊外の政治的な影響力が相対的に高まって、選挙も共和党に有利になることが予想されていた。

 前述の通り、下院の選挙区の区割りは、各州が人口調査の結果に基づいて行う。この作業は、その時の州知事や州議会の勢力の影響を強く受けて、意図的に、いずれかに有利になるよう行われる傾向がある。この恣意(しい)的な線引きは「ゲリマンダリング」と呼ばれる。

 現在の連邦議会下院では、共和党の議席数が、1928年以来最大となる246議席に達している。これは、直近で人口調査をした2010年当時、多くの州議会で優勢だった共和党に有利な形で、ゲリマンダリングが行われたためだ。次に人口調査をするのは20年のため、その結果が反映される22年までは、下院での共和党の優位が続くとも言われている。4月4日の裁判の結果次第では、これに駄目を押す形で、保守派に有利な判決が下る可能性が取りざたされていた。

 しかし、そうならなかった。最高裁では、かつての最高裁の判断、すなわち憲法に照らして、「全ての人口を考慮して、選挙区の区割りを行うことが公正」とする判決が6対2で下された。

「非有権者を含む全ての人々は、等しく政治的討論に参加する資格がある」という最高裁の見解は、マイノリティーや移民政策で寛容な姿勢を示す民主党にとって、安心できる内容だった。保守派の計略により、共和党にさらに有利となる選挙区割りがなされることはとりあえず阻止された。(了)

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2016年

5月

17日

ワシントンDC 2016年5月17日号

新たな規制強化策の導入を発表するオバマ大統領 Bloomberg 週刊エコノミスト
新たな規制強化策の導入を発表するオバマ大統領 Bloomberg

 ◇進む租税回避地の規制強化

 ◇オバマ氏は制度改正に意欲

 

会川 晴之

(毎日新聞北米総局長)

 

 世界の政治家や富豪が租税回避地(タックスヘイブン)を利用して「節税」などに努める実態を暴露した通称「パナマ文書」を機に、対策強化を求める声が高まっている。4月中旬にワシントンで開かれた主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議も主要議題として取り上げ、新たな規制導入を決めた。

 会議では、欧州諸国が「ブラックリストを作成して制裁を科す必要がある」と主張。これに対し新興国が慎重な姿勢を見せた。だが財政赤字を抱え、税収を確保したい先進諸国の事情が勝り、新たな国際的な規制強化策が共同声明に盛り込まれた。

 

 新たな対策の柱はペーパーカンパニーの監視強化だ。国際的な制度の未整備もあり、従来は実質的な所有者の把握が難しく、課税逃れの温床になっていた。今後は、こうした作業を容易にする取り組みを始める。さらに、この対策に非協力的な国・地域が出ることを見越し、各国が国内法を整備し、規則を守らないタックスヘイブンと取引する企業や個人を取り締まることになった。

 

 ◇年11兆円の歳入減

 

 タックスヘイブン規制を巡る取り組みは古くからある。国際的な麻薬取引に伴う違法資金の規制に始まり、2001年の米同時多発テロ後はテロ資金対策の性格が加わった。08年のリーマン・ショック後は、財政出動の増加と税収の大幅な減少への対策として意味が増した。また、規制の甘いタックスヘイブンを利用して開発された仕組み債などの金融商品が、かつてないほどの金融危機を招いた反省を生かそうと、国際的な取り組みも強化された。

 特に熱心に取り組んだのが米国だ。08年に米上院が公表した調査報告書によると、年間1000億㌦(約11兆円)もの歳入が、タックスヘイブンを利用した税逃れで失われた。タックスヘイブンにある資産も数兆㌦(数百兆円)と見込まれるなど、深刻な状態だ。事態を改善しようと、米国は10年に「外国口座税務コンプライアンス法(FATCA)」を制定。5万㌦(約550万円)以上の海外金融資産を保有する米国の納税者に対し、情報開示を義務づけた。米国に仕事などで駐在する日本人も「米国納税者」のため対象で、日本の預貯金情報などを米国の税務当局に報告する義務が生じている。

 一方、「1円でも利益をあげたい」企業にとって、タックスヘイブンの活用は魅力的、というより必要不可欠だ。米財務省が4月4日に発表した新たな規制強化策の導入で破談に終わったものの、医薬品大手の米ファイザーが同大手のアラガンを買収した試みがその典型例と言える。米国の実効法人税率は約40%と世界でも突出して高い。このためファイザーは、法人税率が12・5%と特段に低いアイルランドに本社を置くアラガンを買収して、「非合法とは言えない」(国際金融筋)節税を図ろうとした。タックスヘイブンを使った税逃れを狙ったのだ。

 事態を重視するオバマ米大統領は、新規制導入を受けて4月5日に会見。「世界的な課税逃れが非常に大きな問題であることは疑いない」と述べ、「抜け穴」をふさぐ制度改正に意欲を表明した。課税逃れによって税収が減り、インフラなどへの投資ができなくなっている実態もあり、制度改正を議会に呼びかけている。

 ただ、こうした国際的な規制強化でも、「抜け穴」を完全にふさぐことは難しそうだ。ルー米財務長官が「創造的な会計事務所や法律家が対策を生み出すだろう」と述べるように、新たな「節税」ビジネスが誕生するのは確実だからだ。今後も、税務当局と税逃れを図る人々との間で激しい駆け引きが続きそうだ。

(了)

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2016年

5月

03日

ワシントンDC 2016年5月3・10日合併号

英語力は小学4年生レベル?  Bloomberg
英語力は小学4年生レベル?  Bloomberg

◇複雑な内容を伝えにくい

◇トランプ氏の低い英語力

 

三輪裕範

(伊藤忠インターナショナル会社

       ワシントン事務所長)

 

 政治とは言論の勝負だ。そして言論の質を決める最も重要な要素の一つが、「どれだけ豊富な語彙力と正確な文法力を駆使して、発言するか」という表現力の問題である。

 

 米国の政治家であれば英語で発言するのだから、それは当然、英語力の問題ということになる。

 では、民主・共和両党の大統領候補者の英語力は一体どの程度なのだろうか。それに関して最近、カリフォルニア大学の大学院生チェルシー・コー氏が雑誌『ワイアード』に興味深い記事を発表した。一連の討論会での発言を基に、彼らの英語力を判定したものだ。

 それによると、全体的な評価はクルーズ氏が一番高く、高校1年生レベル。クリントン氏、サンダース氏、ルビオ氏などは、おおむね中学2年生レベルとしている。対して、トランプ氏は飛び抜けて低く、小学4年生レベルだという。

 なぜトランプ氏の英語力の評価が低いのか。それは、彼の発言は一つひとつの文章が非常に短く、しかも使っている単語の音節が少ないからだ。やや極端な例になるが、音節数の少ない簡単な単語を使用した文章の典型が、日本人にもなじみが深い“This is a pen” である。もちろん、トランプ氏といえども、こんな文章を発言することはないが、彼の発言の基本パターンはこれである。

 このように、一つひとつの文章が短いということは、単文が多いということだ。もし “if” や “when” などの従属接続詞が伴う複文なら、より複雑なことを、より正確に表現することができるが、代わりに文章は長くなってしまう。一方、トランプ氏のように短文ばかりだと、内容は分かりやすくなるが、微妙なニュアンスや複雑な内容は伝えにくくなる。

 大統領候補者による討論会やテレビ番組のインタビューなどでトランプ氏の発言を聞くと、こうした特徴が顕著だと分かる。難しい文章や単語が彼の口から出ることは、まずない。彼がよく使う単語は、“win” や“lose”、あるいは “good” や “bad” など、日本の中学生でも知っているような基本単語が非常に多いのだ。

 

 ◇激しい意味の単語を乱発

 

 単語に関するトランプ氏のもう一つの顕著な特徴は、程度の激しさなどを強調する、非常に強い意味を伴った単語の使用頻度が高いことである。具体的には、 “unbelievable”(信じられない)、 “amazing”(驚くべき)、“great”(偉大な)、“tremendous” (物すごい)などの単語が極めて頻繁に使われる。何か物事を否定する時にも、完全否定を意味する “never”(決してない)や “totally”(完全に)という単語を乱発するし、クリントン氏や環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を非難する時などには “disaster”(大失敗)という非常に強い言葉をよく使う。

 もちろん、平易な単語を使い、短い文章で自分の気持ちを正直に発言するのは決して悪いことではない。むしろ好ましいかもしれない。だからこそ、トランプ氏は「自分たちの言いたいことをはっきり言ってくれる人物」として、今の政治に不満な白人低所得層を中心にここまで支持を集めることができたのだろう。

 しかし、トランプ氏が足を突っ込んでいる政治の世界には、多くの利害関係者が存在し、その利害調整には慎重かつ賢明な判断が求められる。国内問題だけでなく、世界の諸問題にも関与しなければならない米国の大統領ともなれば、なおさらだ。そうした大統領職を争う場におけるトランプ氏の “good or bad” 、あるいは “win or lose” といった二元論的な言説や思考は、米国のみならず世界にとっても、ますます看過できなくなりつつある。

 

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2016年

4月

26日

ワシントンDC 2016年4月26日号

指名した人事が承認されない Bloomberg
指名した人事が承認されない Bloomberg

◇銀行委で1年ぶり人事承認

◇政府と議会が落としどころ模索

 

安井 真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 米国上院の銀行委員会は3月10日、財務省のテロ・金融犯罪担当次官として、アダム・ズービン氏を承認した。銀行委員会での人事承認は1年ぶりだ。ズービン氏は、15年4月にオバマ大統領からテロ・金融犯罪担当次官に指名された。今後、上院本会議の承認を経て、正式に次官に就任する予定だ。

 ズービン氏の承認は難航した。当初は、11月に銀行委員会が採決する予定だったが、議会でイラン核合意への批判などが強まり、採決は中止された。これに対し、複数の議員は「ズービン氏が国際的な交渉の場で発言力を持つには、“上院の承認を得た財務次官”というステータスが不可欠」と指摘。民主党のブラウン上院議員は、「イラン核合意に賛同しないからといって、米国の安全を使命とする要職の人事を承認しないのは、お門違いだ」と批判した。テロ・金融犯罪担当次官は、イスラム国(IS)への資金の流れの監視などを取り締まる役目がある。

 こうした経緯を経てズービン氏の人事が承認されたものの、大統領が指名した人事で上院の承認待ちの案件は、銀行委員会だけで、まだ8件もある。このほか、外交委員会では各国大使、司法委員会では連邦裁判所判事の承認が進んでいない。非軍事部門の人事案件のうち、委員会で承認されても、上院本会議の承認待ちとなっている案件は、3月末時点で62件に上る。

 なぜ、大統領が指名した人事の承認が、これほど上院で滞っているのか。米国憲法第2条第2節は、「大統領は、大使、各省の長や局長、最高裁判所判事などの連邦公務員を指名し、上院の助言と承認を得て任命する」と定めている。政治任用者は、大統領が交代すれば原則として代わる。このため、米大統領選で政権奪還を狙う共和党にとって、民主党のオバマ大統領の残りの任期中に、共和党が主導する上院で、大統領が指名した人事を積極的に承認する動機はないのだ。

 

◇共和党への批判

 

 中でも上院銀行委員会は、共和党のシェルビー氏が委員長に就任した15年1月以降、1年以上にわたり人事承認が停滞。シェルビー委員長は、2人の空席が続いている米連邦準備制度理事会(FRB)理事などの指名人事には「(委員長の出身地である)アラバマ州の大統領予備選が終わる3月1日まで手を付けない」と明言していた。その理由はオバマ大統領がいまだにFRBの副議長を指名しないため。副議長ポストは、10年に成立した金融改革法(ドッド・フランク法)で新設された。

 人事が委員会や本会議で承認される見通しが立たないうえ、上院の人事承認の手続きは、米連邦捜査局(FBI)による詳細な経歴調査や、政府倫理法で定める膨大な書類の提出を伴う。その結果、銀行委員会が関係する、財務省の国土安全副アドバイザーや米国輸出入銀行(米輸銀)の理事などの職で、候補者の指名辞退が相次いでいる。このため「要職の空席は公務に支障をきたし、ひいては共和党への批判を招く」と、共和党内からもシェルビー委員長への圧力が強まっていた。そうした中でのズービン氏承認だ。

 オバマ大統領は、米輸銀の理事として、共和党寄りのマクワターズ氏を1月に指名した。一方、3月16日には、急逝したスカリア最高裁判事の後任として、民主党寄りのガーランド氏を指名した。これらの人事には、政権側による上院(共和党)への歩み寄りと駆け引きが垣間見える。今後、大統領が指名した人事の上院承認が加速するかどうかは、政権側と議会が着地点を見いだせるか否かにかかっている。(了)

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2016年

4月

19日

ワシントンDC 2016年4月19日号

若年層の苦境を政治の問題と断言したサンダース氏 Bloomberg
若年層の苦境を政治の問題と断言したサンダース氏 Bloomberg

◇勢い戻したサンダース氏
◇課題は30歳以上からの支持不足

今村 卓
(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 今秋の米大統領選に向けた民主党の指名争いは、ヒラリー・クリントン前国務長官が首位を走っている。だが、3月26日にワシントンなど3州の党員集会でサンダース上院議員が圧勝し、勢いを取り戻した。同氏の獲得代議員数も1038人に達し、首位クリントン氏との差は228人に縮小した。

 サンダース氏の粘り強さの原動力は、若年層からの圧倒的な支持だ。クリントン氏に勢いがあった3月15日までに17州で行われた予備選・党員集会に限っ ても、サンダース氏は、30歳未満の民主党支持者から154万票を獲得し、得票率は71%に達した。これが、クリントン氏の強みである女性や黒人からの支 持の多さへの対抗力にもなっている。

 若年層が、74歳の「民主社会主義者」のサンダース氏を支持するのは、なぜか。それは同氏が「この世代の生活の苦境は政治の問題であり、政治で改善すべき」と断言した唯一の候補だからだ。若年層にとって、景気は緩慢にしか拡大していないのに、大学の学費は連邦・州政府の予算削減もあり跳ね上がったため、大学に通うには多額の借金をするしかなかった。卒業後はその返済がのしかかるのに安定した就業機会が得られず生活は苦しい。こうした苦境は明らかに政治の問題だ。しかし議会を支配する共和党は個人の問題と片付け、オバマ政権と民主党も学生ローンの金利を抑えたぐらいだった。
 政治の無策が続くなかで、若年層自らも「苦境は自己責任で我慢するしかない」と思い込んでいた。サンダース氏は、こうした若年層の苦境を政治問題として引き上げ、若年層に認識を改めるよう促し、自ら大統領になって問題を解決する、と訴えた初めての政治家だ。
 だがサンダース氏には、若年層の苦境を改善するための現実的な政策がない。公立大学の授業料無償化や国民皆保険制度の導入といった同氏の公約は、連邦議会と多くの州政府・議会の共和党支配がすぐには崩れそうもない以上、実現の可能性はない。

 ◇理想論だけでは限界

 しかも同氏は現実主義に譲歩せず、「民主党政権が目先の現実にこだわり過ぎ」「今こそ理想を求める『政治革命』が必要」と唱える。政治革命の賛同者が増えて議会選の投票率が上がれば、民主党が議会を奪還できるという。対してクリントン氏は、現実的な政策を訴える。
 そのため30歳以上の世代ではクリントン氏の得票率が65%に上る。サンダース氏より現実的な対応で問題を改善しようとするクリントン氏の方がまし、という評価だ。また、30歳以上の人は冷戦時代の記憶があるので、社会主義を連想させるサンダース氏の主張に距離を置きがち。人口は若年層より30歳以上の方がはるかに多いため、これまでの指名争いでクリントン氏がリードしている。
 サンダース氏に勢いがあるとはいえ、クリントン氏を逆転するには今後の予備選の大部分で相当の差をつけて勝利する必要がある。この奇跡に近い目標を達成するには、サンダース氏の現実主義への歩み寄りがカギだ。思い切った変化で若年層以外に支持を広げられなければ、4月19日のニューヨーク州予備選でクリントン氏が下馬評通りに快勝し多数の代議員を得て、サンダース氏は事実上の終戦に追い込まれかねない。
 その場合、失望した若年層が大統領選への関心を失い、本選挙では、民主党候補のクリントン氏に投票しない可能性もある。民主党としては、本選挙に備えて党内の融和と団結を促すためにも、クリントン氏は若年層、サンダース氏はそれ以外の世代の支持獲得を目指し、議論を成熟させていくことを望んでいるだろう。 (了)

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2016年

4月

12日

ワシントンDC 2016年4月12日特大号

◇車利用の減少目指し石油に課税

◇ガソリン安で効果に疑問符

 

堂ノ脇 伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

環境対策を重視するオバマ大統領は、「21世紀型クリーン交通システム」に関する政権プランを2月4日に公表した。その骨子は、石油1バレル当たり10㌦の支払いを石油会社に課し、これを米国における新たな交通インフラの建設資金に充てようというものだ。

 現在、米国で発生する温室効果ガスの約3割は、自動車を含む運輸セクターに由来する。この削減を目標に、石油会社への新たな課税で得られる年間約320億㌦(3・6兆円)を、公共交通機関の充実や、自転車・歩行者を優先した道路インフラの整備、高速鉄道計画の推進、自動運転を含む電気自動車などの開発に役立てたいとの考えだ。

 化石燃料を消費する自家用車の利用が、環境にやさしい公共交通機関や自転車、高速鉄道などの利用に転じれば、全体の二酸化炭素排出量も削減されるだろう、というのが政権側のもくろみだ。研究開発で新たな雇用を創出するメリットも見込む。

 環境問題と市民のアクセシビリティー(利用しやすさ)を重視し、雇用も創出するというのは、いかにもオバマ政権らしい考え方である。だが、政策面で対立する共和党をはじめ、石油業界・自動車業界からの反発は必至であろう。同じタイミングで政権が議会に提出した予算教書にも、この新たな石油課税が反映されているが、共和党議会は当然のことながら、これを全く取り上げていない。

 オバマ政権は就任当初から、一般市民による公共交通機関の利用や、自転車・歩行者の利便性を重視した交通インフラの充実を目標に掲げている。政権前期のラフッド前運輸長官も、従来の自動車社会を前提とした財政支出から、代替交通プロジェクトの推進を重視した予算配分に変える方針を打ち出していた。

 これには、当時の一般市民による自動車離れという状況も少なからぬ影響を与えていた。金融危機直後の不況期、ガソリン価格の高止まりもあって、一般市民の自家用車の走行距離は、総じて頭打ちから短くなる傾向にあり、低燃費車が注目された。また、若者の自動車離れの進行に加え、「カー・シェアリング」の普及などによって、個人の自家用車の所有率も下がる状況にあったのだ。ニューヨークやワシントンの都市部などで定められた駐輪場なら、どこでも乗り捨てできる「バイク(自転車)・シェアリング」が導入されたのも、この時期である。

 

◇車の走行距離は過去最高

 

 ところが、昨今の資源価格の下落と、これに伴うガソリン価格の急落によって、一般市民のマインドは再び変化しつつある。米運輸省傘下の連邦高速道路局の統計調査によれば、2015年の米国人による自家用車での総走行距離は3兆1480億マイルに達した。これは過去最高と言われた07年の3兆30億マイルを上回る。同統計によれば、自家用車による走行距離は14年3月以降、毎月連続して前年同月を上回るペースで推移。この傾向は今後も続く可能性が示唆されている。

 新車の販売を見ても、燃費を重視したハイブリッド車ではなく、相対的に大型のスポーツタイプ多目的車(SUV)やピックアップトラックが好調な売れ行きを示している。ガソリン価格の下落とともに、一般市民は再び移動手段としての車の利用に回帰しているのだ。

 オバマ政権としては、環境重視型の交通システムこそ21世紀型のあるべき姿として政策を推進したいところだろう。だが、長きにわたって車社会に慣れ親しんできた一般市民のマインドを変革し、賛同を得ていくのは、そう簡単ではなさそうだ。

2016年

4月

05日

ワシントンDC 2016年4月5日特大号

 ◇トランプ氏の指名獲得を「最終兵器」で阻止できるか

 

及川正也

(毎日新聞北米総局長)

 

 米大統領選の第1段階となる共和・民主両党の候補者選びは、3月15日の「オハイオ・フロリダ決戦」で前半のヤマ場を越えた。8年ぶりの政権奪還を目指す共和党では、実業家ドナルド・トランプ氏(69)の快進撃が続く。これを阻止したい主流派は7月の党大会決着に向け、「最終兵器」を準備しているという。半世紀以上にわたり封印してきた「ブローカー・コンベンション」(仲裁大会)が、それだ。

 米CNNの推計では、トランプ氏は、指名獲得に必要な代議員総数の過半数に当たる1237人まで、あと約700人に迫っている。2位のテッド・クルーズ上院議員(45)を大きく引き離しているが、今後の予備選の展開次第では、6月7日の最終予備選が終了した段階で指名ラインに届くかどうかは微妙だという。

 トランプ氏の過半数達成を阻止するシナリオは、二つある。

 一つは、クルーズ氏と、マルコ・ルビオ上院議員の撤退で3位に付けたジョン・ケーシック・オハイオ州知事(63)が、「2位・3位連合」を組んで「反トランプ勢力」を結集することだ。これには、候補を一本化する必要がある。

 米プリンストン大学のチームは、ケーシック氏が撤退し、トランプ氏とクルーズ氏の一騎打ちになれば、トランプ氏が獲得する代議員数は最終的に1000余にとどまると試算。対抗馬が2人以上だと「反トランプ票」が分散されるが、一騎打ちだとクルーズ氏に票が集中するためトランプ氏に不利となり、過半数にわずかに届かないという。

 

 ◇迷走する共和党

 

 だが、これには異論もある。「反トランプ勢力」といっても、トランプ氏以外ならだれでもいいという人から、トランプ氏以外の特定候補を熱心に推す人もいて、一枚岩ではない。ケーシック氏を積極的に支援する有権者にとっては、クルーズ氏に魅力を感じなければ投票に行かない人もいるはずで、「一本化の成果が十分には出ない」という指摘もある。

 また、勝敗を左右する獲得代議員の配分は、ほとんどの州が得票数に応じて候補に割り当てる比例配分を原則としている。複数の候補が併走し、それぞれが得票を伸ばせば、あまり偏りなく代議員が配分されるため、「トランプ氏の突出を抑えることができる」とも言われる。

 どの候補も過半数を得られず、党内が分裂したまま党大会を迎えるブローカー・コンベンションだ。指名候補を正式決定する際、1回目の投票では選挙結果に応じて決められた候補に投票するが、過半数に至らない場合、2回目からは自由意思となり、投票先は「白紙」になる。

 すると舞台裏では、多数派工作による代議員の一本釣りや囲い込みが始まる。その時に、トランプ氏に割り当てられた代議員をひっぺがし、奇策として第三の候補を擁立したり、投票を重ねたりする中で「反トランプ勢力」の候補を絞り込もうというのが、党指導部・主流派の戦略と言われる。

 ただし、実際にブローカー・コンベンションになったのは、1952年の民主党大会が最後。当時は猟官運動(官職を得るための争い)や駆け引きが激化し、収拾がつかなくなった。過去には、決着まで100回以上も投票を繰り返したこともあり、多くの識者が「ブローカー・コンベンションは成功しない」と見ている。中道系シンクタンク幹部は、こうため息をつく。「本選はトランプ氏と民主党のクリントン前国務長官の戦いとなり、共和党支持者がクリントン氏に投票することもあり得る」。共和党の迷走の根は深い。(了)

2016年

3月

29日

ワシントンDC 2016年3月29日特大号

サンダース氏はユダヤ人 Bloomberg 週刊エコノミスト
サンダース氏はユダヤ人 Bloomberg

◇有力候補のサンダース氏

◇ユダヤ人からの強い支持はない

 

三輪 裕範

(伊藤忠インターナショナル会社ワシントン事務所長)

 

 米国の大統領選は、11州で予備選と党員集会が行われたスーパーチューズデーも終わり、民主党はクリントン氏とサンダース氏の2人、共和党はトランプ氏とクルーズ氏の2人の戦いにほぼ絞られた。

 民主党ではクリントン氏が大統領選出馬を表明した当初、誰が候補になってもクリントン氏が民主党の大統領候補になることは「不可避」と考えられた。だがその後、自称「民主社会主義者」のサンダース氏が富裕層への増税、大銀行の解体、公立大学の学費無償化など、社会的弱者に対し強い訴求力を持つ公約を発し続けた。結果、若者や低所得層を中心に熱狂的な支持を集め、今や民主党の押しも押されもせぬ大統領候補の一人として、クリントン氏に互角の勝負を挑めるまでになった。

 そのため最近は日本でもサンダース氏に関する報道がかなり増えている。だが、日本のメディアであまり報道されていない事実がある。サンダース氏がユダヤ人であるということだ。このことは、米国のメディアもあまり大きく取り上げていない。

 もっとも、サンダース氏自身はユダヤ人であることを隠しているわけではない。実際、米国人の多くはそのことをよく知っている。興味深いのは、サンダース氏がユダヤ人だと知っているにもかかわらず、彼に対するユダヤ人社会の熱い応援や支持が少ないことだ。

 

 ◇教義や戒律への関心低い

 

 もしサンダース氏が大統領になれば、米国史上初のユダヤ人大統領の誕生となる。それは、2008年にオバマ氏が初の黒人大統領になったことに勝るとも劣らない画期的なことであるはずだ。しかし、オバマ氏が大統領に選出された時の黒人層の熱狂的な支持に比べると、今回のサンダース氏へのユダヤ人社会からの積極的な支援は、なきに等しい。

 00年に民主党の副大統領候補として、ユダヤ人のジョーゼフ・リーバーマン氏が指名された時と比べても雲泥の差がある。リーバーマン氏は大統領候補でなく副大統領候補にもかかわらず、ユダヤ人初としてメディアの大注目を浴び、ユダヤ人社会の各層からも圧倒的な支持を得た。

 では今回は、一体なぜサンダース氏にユダヤ人の積極的な支持が集まらないのか。最大の理由は、サンダース氏がユダヤ人の中でもリベラルな世俗派に属し、ユダヤ教の教義や戒律にあまり関心を払わないため、特に正統派ユダヤ人から同じ仲間だと見なされていないことが挙げられよう。一方、リーバーマン氏はユダヤ教の休日や戒律を厳格に守る正統派のうえ、ユダヤ教信者として自分の信仰を折に触れて語った。これもユダヤ人社会の熱い支持を得た大きな要因だった。

 加えて見逃せないのは、ユダヤ人社会自体が、米国社会のエリートとして既得権益化していることだ。特に政界では、今やユダヤ人は日常的な存在になっている。民主党では、上院議員のトップである次期上院院内総務に、ニューヨーク州選出のユダヤ人、チャック・シューマー氏の就任がほぼ確実視されている。

 こうしたことから、黒人大統領や女性大統領が誕生するのとは違い、一般の米国人はもとより、ユダヤ人にとっても、ユダヤ人大統領候補の出現が大きな意味を持たなくなっていると言える。

 米国史上初のユダヤ人大統領誕生の可能性に、大きな興奮も熱気も示さなくなった今の米国社会。これは、サンダース氏が少し規格外のユダヤ人なため起こったことなのか。それとも、ユダヤ人が米国社会の主流派として一般の米国人に同化した結果なのか。その真偽を見極めるにはもう少し時間がかかりそうだ。

2016年

3月

22日

ワシントンDC 2016年3月22日号

◇遺伝子組み換え食品の表示義務

知る権利と食品業界が攻防

 

安井 真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

米国では、都市部を中心に健康志向が高まり、オーガニック食品を取り扱うスーパーマーケットが定着しつつある。「オーガニック」や「自然食品」の定義はさまざまであり、添加物に対する考え方も賛否両論あるなか、米国で初めてオーガニック食品販売業者と認可されたホールフーズ・マーケットは、人工着色料、香料、甘味料等の特定の原材料を含む食品を販売しない方針を徹底。2018年までに、店舗で取り扱うすべての商品に、原材料に遺伝子組み換え作物(GMO)を含むか否かを表示すると打ち出した。

 他のスーパーマーケットも、オーガニック食品の取り扱いを増やす傾向にある。消費者は、自分が口にするものに、より関心を持つようになってきている。

 バーモント州では、GMOの表示を義務化する法律を14年5月に制定。16年7月に施行する。GMOの表示に連邦レベルのルールはなく、州によって規制内容が異なる。食品メーカーの多くは「表示の義務化は食品価格の上昇をもたらす」と情報開示義務の強化に反対する。食品製造者協会などの業界団体も「政府主導の規制よりも業界の自主規制で対応すべき」と、ロビー活動を繰り広げている。

 こうしたなか、食品大手のキャンベル・スープ・カンパニーは16年1月、とうもろこし、大豆、甜菜(てんさい)などでGMOを使う場合は、商品にその旨を表示することを発表した。表示にかかる費用は少なくないものの、将来、連邦レベルで表示が義務付けられる可能性を視野に入れ、早期に対応する方がよいと判断。他社と異なる行動に踏み切った。同社は「米国人の9割がGMOの表示に賛成しているにもかかわらず、州によって規制が異なるのは、食品メーカーに費用負担を強いるだけでなく、消費者を混乱させるものだ」と主張。米国農務省に対し、連邦レベルでの表示規制の導入を働きかけるとしている。

 

 ◇実用的な対応を模索

 

 一方、米国下院議会では15年7月、GMOの表示義務付けを阻止する法案が可決された。上院農業委員会には16年2月、GMOの表示義務を課す州法を無効とし、連邦レベルで努力義務ベースの表示プログラムの創設を盛り込んだ議員法案が提出された。食品業界は、GMOはそもそも安全であり、GMOの表示義務付けは、消費者にGMOに対する不安を抱かせ、「知る権利」をかざして食品ブランドを台無しにすることにほかならないと訴える。議員も意見が分かれ、法制化の方向性はまだ見えないが、州単位のつぎはぎ的な規制の限界は共通認識となりつつある。

 米国農務省と食品業界は、GMOが含まれている場合に、表示を義務化する以外の、消費者の「知る権利」に応える方法も検討している。例えば、消費者が食品の原材料を知りたい場合は、スマートフォンや店内のスキャナーを利用して、パッケージのバーコードなどから、当該食品の情報にアクセスできるようにする方法などだ。当局に食品の原材料認定プロセスを導入し、認められれば、「GMOが含まれていない」と表示できるようにする方法もある。必要な技術開発を含め、実用的な対応の模索が始まっている。

 消費者が食品を選択するに当たり、知るべき情報とは何か。その情報は信頼に足るか。情報の公正性・透明性を担保するシステムの構築、行政・生産者・食品メーカー・流通業者・消費者の負担のバランスが求められている。世界規模で食品が行き来するなか、他国の表示規制や食品安全基準も他人ごとではない。(了)

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2016年

3月

15日

ワシントンDC 2016年3月15日号 

◇米最高裁人事で崩れるバランス

◇追い込まれる共和党

 

今村 卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 米連邦最高裁判所判事のアントニン・スカリア氏が2月13日に死去し、その後任人事が大統領選にも影響を及ぼす米国政治の大問題として急浮上した。9人の判事で構成する連邦最高裁で、保守派とリベラル派のイデオロギーのバランスが変わる可能性が生じたからである。

 近年の最高裁は、共和党の大統領に指名された保守派の判事が5人、民主党の大統領に指名されたリベラル派の判事が4人という構成が続いてきた。

 だが、保守派のスカリア氏の死去により、この構成は保守派とリベラル派の4対4の拮抗(きっこう)に変わった。今後、スカリア氏の後任にリベラル派の判事が就けば、同派が多数となり、バランスは一変する。そうなると、企業による政治献金の上限撤廃につながった判決など、保守派が多数派であるがゆえに決まった重要判例が変わる可能性もある。

 連邦最高裁判事の任命は、大統領の指名後に上院の承認を得て成立する。このため後任人事を巡り、民主党のオバマ大統領と、上院の多数派である共和党の間で、複雑な駆け引きが避けられない。

 先に動いたのは、上院共和党のマコネル院内総務だ。来年1月に次期大統領が就任するまで、上院は後任候補に関する公聴会も採決も行わないとの意向を2月23日に表明した。オバマ大統領が指名しても、上院は面会も断るという。

◇空席守るため審議拒否

 

 共和党指導部がここまで拒絶するのは、同党の方が追い込まれているからだ。オバマ大統領が保守派の判事を指名する可能性はない以上、共和党は大統領の退任まで、最高裁判事の空席を守るしかない。後は11月の大統領選での共和党候補の勝利と、次期大統領による保守派の判事指名に賭けるしかなかったのだ。

 だが、共和党にとって審議拒否の政治的代償は非常に高くつき、予想外の結果を招く恐れがある。最近の世論調査では「後任判事の指名は次期大統領に託すべき」という意見への支持は38%しかない。「オバマ大統領が誰を指名しても、次期大統領に託すべき」との回答はたった26%だ。共和党が、この世論を無視して審議・採決拒否の強硬姿勢を続ければ、支持率が低下する恐れがある。

 その直撃を受けるのは上院だ。上院には、共和党の改選対象議員が24人おり、民主党の支持が多い「ブルーステート」から選出された共和党議員も少なくない。議席数がわずか5人減るだけで、共和党は上院で少数派に転落する。

 仮に、大統領選で共和党候補が勝っても、上院の多数派を民主党が奪還すれば、今の立場が入れ替わるだけだ。共和党が望む、同党の次期大統領による保守派の後任判事の指名は難しくなる。

 他方、オバマ大統領は、共和党の一部からも支持される、保守派に近い穏健な判事を指名する構えだ。実際、報じられている候補者の中には、共和党穏健派の名前もある。共和党に対し、審議・採決を求める世論の圧力がかかることは確実だ。

 それでも、共和党指導部の反応は乏しい。それより深刻な危機、すなわち大統領選の指名争いで不動産王トランプ氏の指名獲得が現実味を帯びるという異常事態が進み、今は最高裁判事の審議どころではないのだ。

 オバマ大統領の方も、民主党内でリベラル派の判事指名を求める声が高まったり、党内最左派のサンダース上院議員が指名争いで今後も健闘を続けたりすれば、穏健な判事の指名という判断を変える必要が生じるかもしれない。まずは、オバマ大統領が近く指名する後任判事の名前に注目である。(了)

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2016年

3月

08日

ワシントンDC 2016年3月8日特大号

全米で3万人のロビイストがいる Bloomberg
全米で3万人のロビイストがいる Bloomberg

◇ロビー活動に年4000億円

◇積極的なボーイングやアマゾン

 

堂ノ脇伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

 米国におけるロビー活動は、1946年に制定された「連邦ロビイング統制法」に基づき公然と行われており、活動する者には「ロビイスト」としての登録が義務付けられている。首都ワシントンを中心に現在、全米規模で約3万人のロビイストがいると言われ、その多くは企業内ロビイスト、あるいは弁護士事務所やコンサルタント企業に籍を置く人たちで、政府や議会などにさまざまな形で影響を及ぼしている。
 政治献金やロビー活動資金の動きを監視する団体「センター・フォー・レスポンシブ・ポリティクス」の調査によれば、2015年に全米でロビー活動に供された資金の総額は32億ドル(約3500億円)。このうち、インターネット通販大手アマゾン、航空宇宙大手ロッキード・マーチン、石油大手エクソンモービルといった名だたる民間企業や、全米商工会議所、全米製造者協会といった業界団体等による当該支出の総額は7億1400万ドル(約800億円)に上る。
 最大の支出者である全米商工会議所は、キャンペーン費用もロビー活動資金に該当するとして、多額の支出報告をしている。単純平均でも、上位50社で年約17億円規模の費用を、自社の活動に関連する法律や規制の導入・撤廃などを巡る政治の駆け引きに注いでいることになる。

◇輸出入銀の存続で暗躍

 

 これらの資金が、どのような目的でロビー活動に供され、米議会の法案や規制の策定に影響を及ぼしているかは、ワシントンで発行される政治専門紙『ザ・ヒル』が以下の例を挙げている。
 民間企業として最大の2200万ドル(約25億円)の支出報告をしたボーイングは、昨年、自らの航空機の海外販売の後ろ盾である米輸出入銀行の存続を積極的に働きかけた。この活動が奏功してか、最終的に同行は、米連邦議会内の財政規律派の反対を押し切り、授権法の可決という形で5年間の存続が認められた。
 アマゾンは、昨年1年間のロビー活動の費用が前年比でほぼ倍増した。この間、同社が配達手段として新たにドローンを導入すべく、種々の規制を巡って、連邦航空局(FAA)に強く働きかけていたことが知られている。
 業界団体である食品製造者協会は、遺伝子組み換え食品の表示義務を巡り、政府主導の規制ではなく、業界の自主規制の導入を目指していたとされる。
 全米銀行協会は、リーマン・ショックを機に制定された「ドッド・フランク法」で導入される金融活動の規制案に反対する立場から、ロビー活動を続けている。昨年は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉が大詰めを迎えたことから、通商関係でも、自動車や農業など関連する業界・団体が、政府や議会に対し、活発なロビー活動を展開した。
 無論、このような活動が功を奏する場合もあれば、思い通りにならない場合もある。米医薬業界がTPP交渉で最低12年の新薬データ保護期間を主張し、米政府に猛烈に働きかけながら、最終的に思惑通りの結果を勝ち取ることができなかったことは記憶に新しい。
 総じて感じるのは、企業や団体の思惑や主張と、政治との距離感が極めて近く、かつ、はたから見ている我々にも分かりやすいほど、ロビー活動がオープンに扱われていることだ。企業がさまざまな法案や規制案に対し、自らの関心を躊躇(ちゅうちょ)なく声高に主張して、政治に働きかける姿は、日本のそれとはかなり趣が異なる。米国でビジネスをする上では、かようなロビー活動の効能も、それなりに認識する必要があろう。(了)

 

(『週刊エコノミスト』2016年3月8日特大号(2月29日発売)66ページより転載)

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2016年

3月

01日

ワシントンDC 2016年3月1日号

 ◇大統領選を左右する草の根運動と「怒れる白人」

 

及川 正也

(毎日新聞北米総局長)

 

 4年に1度の米大統領選が始まった。民主、共和両党が大統領候補を決める指名獲得レース序盤の中西部アイオワ州と北東部ニューハンプシャー州を、筆者は8年前に続いて訪れ、取材した。国民が主役を演じる「草の根民主主義」の現場は相変わらず熱気にあふれていたが、その主役たちは大きく変わった。

 2月1日夜、アイオワ州の州都デモインのプレスセンターで発表された大ニュースの一つが、共和党では史上空前の18万人という党員集会参加者数だった。2008年の「オバマ旋風」時の民主党(約24万人)には及ばなかったが、今回は、約17万人だった民主党を上回り、共和党の盛り上がりぶりを裏付けた。

「グラスルーツ(草の根)の勝利だ」。共和党保守強硬派のテッド・クルーズ上院議員(45)は、勝利演説でこう称賛した。草の根の中核となったキリスト教右派は運動量に富む「選挙マシン」だ。クルーズ氏は1万2000人のボランティアを動員して「史上最大規模のローラー作戦」を展開。勝利につなげた。

 戸別訪問が重要な集票手段の米国では、2人1組のボランティアが、地域の家を一軒ずつ回り、支持を訴えるのが日常の風景だ。「いかに心証を良くし、熱心に訴えることができるか。1日に何百件の電話や戸別訪問をするには、熱意がなければできない」と経験者は語る。

 選ぶ側も熱心さでは負けない。筆者がニューハンプシャー州のホテルにチェックインした際、フロント係が電話で「満室です。予備選でどこもいっぱいですよ」と断っていた。候補者の陣営やメディアだけでなく、州外から多くの人が候補者の集会に押し寄せるためだと教えてくれた。

 7日のジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事(63)の演説会では、近くの東部ペンシルベニア州やニューヨーク州のほか、カナダから来た人にも出会った。候補者は、序盤に選挙が行われる州を集中して遊説するため、他の州の有権者はほとんど肉声を聞くことができない。近隣州で行われる候補者集会は、願ってもないチャンスというわけだ。

 

◇白人の危機感

 

「草の根」は米国民主主義のエンジンだ。08年の大統領選では、「新たな米国」を夢見て希望を抱いた黒人ら人種的少数派や若者の支持が、オバマ大統領の誕生につながった。しかし今回の主役は、党派を超えて既存政治に不満を持つ「怒れる白人」たち。それが炸

裂(さくれつ)したのが、2月9日のニューハンプシャー州予備選だ。

「世界は再び我々に敬意を表するだろう」。共和党予備選に勝利した不動産王ドナルド・トランプ氏(69)は9日夜、こう強調した。「メキシコ人は犯罪者だ」「イスラム教徒の入国禁止を」といった差別的な物言いへの批判を、ものともしない態度は、「中央政治への不満を持つ共和党の白人層」から強い支持を得ている。

 民主党予備選に勝利したバーニー・サンダース上院議員(74)は若者に人気があるが、トランプ氏と同様に「白人男性、政府への怒りが強い人」が支持している。国の基礎を築き、繁栄をもたらした白人は、今後約30年で少数派に転じる。教育や雇用で権益を守ってくれる、無謀でも破壊力のある政治家を求めているのかもしれない。

 だが、「主流派対非主流派」の対立は今に始まったことではない。黒人初の大統領オバマ氏(08年)、かつて異端とされたモルモン教徒初の共和党大統領候補ロムニー氏(12年)……。既存の殻を破り、政治の土俵を広げたのは常に非主流派だ。「政治熱」が高まる米国。草の根の主役が代わっても、この潮流は変わらないだろう。(了)

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2016年

2月

23日

ワシントンDC 2016年2月23日特大号

◇大統領選の決め手にならない

アイオワ州党員集会

 

三輪 裕範

(伊藤忠インターナショナル会社ワシントン事務所長)

 

 全米50州の先陣を切って、大統領候補を選ぶアイオワ州の党員集会が2月1日、ニューハプシャー州の予備選挙が2月9日に行われ、大統領選はいよいよ本格化してきた。

アイオワ州党員集会で共和党はクルーズ上院議員が勝利

Bloomberg

 これから11月8日の本選挙までの9カ月間、候補者の指名獲得、そして本選挙での最終勝利を目指して、民主共和両党の候補者間で熾烈(しれつ)な闘いが続くことになる。

 アイオワ党員集会とニューハンプシャー予備選挙は、米大統領選の本格的な到来を告げるものとして知られる。ただし、1972年の大統領選までは、アイオワ党員集会ではなく、ニューハンプシャー予備選挙が全米一早い選挙だった。そうした事情があるため、今は両州がワンセットになって、大統領選スタートの象徴的な存在に位置づけられている。

 しかし、一方は党員集会、もう一方は予備選挙と呼ばれているように、運営方式や投票参加資格など、両者の内実は大きく異なる。具体的には、アイオワ党員集会の場合は、両党の党員として事前登録した人だけが参加でき、しかも長時間にわたる討論に参加しなければならない。

 他方、ニューハンプシャー予備選は、事前登録をしない無所属の人でも、投票当日に登録して投票することができる。つまり、アイオワ党員集会に参加して投票する人は、ニューハンプシャー予備選に比べると、登録した政党に対して、はるかに強い思いを持った支持者が多いのだ。

 共和党のアイオワ党員集会には、もう一つ大きな特徴がある。それは、「エバンジェリカルズ」と呼ばれるキリスト教右派が、参加者の57%(2012年)と過半数を占めることだ。

 

 ◇超保守派が有利

 

 アイオワ党員集会には、こうした特殊要因があるため、その後の候補者指名争いの行方を必ずしも正確に占うものにはなっていない。それは過去2回の共和党アイオワ党員集会の結果を見ても明らかだ。

 08年の共和党党員集会では前アーカンソー州知事のマイク・ハッカビーが、そして、12年の同集会ではペンシルベニア州選出の前上院議員リック・サントラムが、それぞれ勝利した。だが両者とも、アイオワでの勝利がその後のモメンタム(勢い)に結びつかず、途中で失速している。両者はキリスト教右派に近い超保守派であることが、「エバンジェリカルズ」が多数を占めるアイオワの共和党党員集会で有利に働いた。だが、アイオワのような特殊な政治状況にない他州の予備選では、そうした効果が得られなかったのだ。

 もっとも、だからといって、アイオワ党員集会が重要ではないということではない。08年の民主党党員集会では、事前の予想を覆し、オバマがアイオワでヒラリー・クリントンを破ったことが、大統領選全体のダイナミクスを変化させ、その後、オバマの民主党候補指名獲得、大統領当選へとつながっていった。76年の民主党党員集会でも、当時、全国的には無名の存在だったジミー・カーターがアイオワで2位に入る健闘を見せ一躍有力候補となり、大統領への道が開けた。

 しかし、前記の通り、アイオワの共和党党員集会は、全米50州の中でも極めて特殊であり、ここで勝ったからといって、それが候補者指名獲得に直接結びつくわけではない。

80年以降、共和党のアイオワ党員集会で勝利した候補が、どれぐらいの確率で最終的に大統領候補になったか調べてみたところ、何と6人に2人と3分の1の確率でしかないのだ。特に、トランプやクルーズのように型破りな候補者がいる今回の共和党の場合、今後の行方はなおさら不透明。まさに本当の勝負は、これから始まることになる。

2016年

2月

16日

ワシントンDC 2016年2月16日号

オバマ大統領は原油輸出解禁に反対してきた Bloomberg
オバマ大統領は原油輸出解禁に反対してきた Bloomberg

◇オバマ氏志半ばの気候変動対策

◇実施は次期大統領に委ねられる

 

安井 真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 任期が残り1年となったオバマ大統領は、自らの政治的遺産(レガシー)の一つに気候変動対策を掲げている。

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2016年

2月

09日

ワシントンDC 2016年2月9日号 

追い上げるサンダース候補(右) Bloomberg
追い上げるサンダース候補(右) Bloomberg

 ◇サンダース氏が急浮上

 ◇接近戦に転じた民主党の指名争い

 

今村 卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 11月の米大統領選に向けた民主党の指名争いが、無風から接戦に変わってきた。党内支持率で首位のヒラリー・クリントン前国務長官を2位のバーニー・サンダース上院議員が猛追している。

 全米の民主党支持者を対象にした12月中旬の主な世論調査では、クリントン氏の支持率は2位のサンダース氏と20ポイント超の大差があった。だが1月中旬の調査では、クリントン氏の支持率が50%前後に低下し、サンダース氏が40%弱まで上昇した。

 

 予備選・党員集会で特に重視される序盤2州の戦況も変わった。全米の先陣を切って2月1日に党員集会が行われるアイオワ州では、両氏大接戦になっている。翌週9日が予備選のニューハンプシャー州では、従来からサンダース氏が首位だったが、最近はクリントン氏との差を広げて勝つ可能性が高まっている。思わぬ苦戦に直面したクリントン陣営は、戦略を練り直し始めたという。

 

◇格差是正求める若年層が支持

 

 サンダース氏の主張は、地球温暖化対策、大型金融機関に対する規制強化など、非常に進歩主義的だ。最近まで党内での支持も限られていた。支持率向上の最大の理由は、「民主社会主義者」を自称する同氏の格差是正への訴えと熱意が、若年層を中心に浸透してきたことにある。同氏は、富裕層への課税強化、最低賃金の引き上げ、公立大学の授業料無料化などを主張。近年の格差拡大の直撃を受ける30代半ば以下の「ミレニアル世代」に強く好まれている。

 一方のクリントン氏は、格差是正の必要を理解しつつも、民主党の指名獲得後の共和党候補との対決を重視。無党派層に敬遠される恐れがある、リベラル色の強い政策の主張は避けてきた。しかも同氏は現実重視の政治家。夫のビル・クリントン元大統領と共に、民主党内で財政重視の穏健派を主流にしたとの自負もあったはず。財源の裏付けを重視せず、議会で共和党に反発され、実現が絶望的な政策を訴えることをいとわないサンダース氏と、同じ舞台で論争しようとは思わなかっただろう。

 しかし、サンダース氏の支持者が増えたため、クリントン氏は「ワシントンでの政治的な駆け引きに明け暮れた古いタイプの政治家」というイメージが広がりかねない情勢だ。サンダース氏が74歳とクリントン氏より高齢で、ワシントンでの政治家の経験も長いにもかかわらず、だ。

 こうなるとクリントン氏も、若年層などの民主党支持者との距離を縮める努力が必要になる。だが、サンダース氏とリベラルの純度を競えば、無党派層がクリントン氏から離れる。バランスが非常に難しい。

 民主党の指名争いに限れば、クリントン氏の勝利は動かない。同氏は選挙資金と陣営の規模で今も圧倒的に優勢だ。サンダース氏は序盤2州以外の活動は手薄。黒人やヒスパニック系の支持では、クリントン氏が大きくリードしている。序盤2州をサンダース氏が連勝しても、その後の予備選はクリントン氏が勝利を重ねて指名を得る見通しだ。

 ただ、サンダース氏の支持拡大は、クリントン氏に重荷になるだろう。指名争いが長引くことで、クリントン陣営から流出する選挙資金は膨らむ。陣営は、4月まで指名争いを続ければ約5000万㌦の資金が必要と試算しているという。指名獲得後に無党派層への浸透を目指すだけでなく、民主党内のサンダース氏の支持者を一般投票までつなぎ止める必要もある。このバランスも難しい。

 主流派候補が指名されない可能性が高まっている共和党に比べ有利とはいえ、クリントン氏と民主党にとっても、秋まで長く過酷な選挙戦が続くことになりそうだ。(了)

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2016年

2月

02日

ワシントンDC 2016年2月2日特大号

異例の涙で銃規制を訴えた(1月5日) Bloomberg
異例の涙で銃規制を訴えた(1月5日) Bloomberg

◇銃規制を強化したいオバマ氏

◇市民の自由束縛だと非難

 

堂ノ脇 伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)

 

 オバマ大統領は今年の年頭所感で銃規制の強化に改めて取り組む方針を打ち出し、自らの政権の実績として残すことに強い意欲を示している。1月5日には大統領権限に基づく規制強化の方策、すなわち銃保持者のバックグラウンド・チェックの強化、ネット販売を含む銃小売業者に対するライセンス取得の義務化などを打ち出した。発表の場では「銃の犠牲になった子供たちのことを考えるたびに怒りが込み上げる」と異例の涙を見せながら演説した。

 米国では、合衆国憲法修正2条によって個人の武器保有が認められている。実際、自らの身を守る自衛の手段として、銃を所持するべきだと主張する米国人は多い。これは米国という移民国家の成り立ちの歴史と関係する。かつての建国途上の脆弱(ぜいじゃく)な治安行政基盤の時代にあって、自らの身は自分で守るという強い自己防衛意識が、根強い価値観として今も残るためだ。

 加えて、「国家や国家権力に対する市民の権利として、武器の保有は侵害されてはならない」という意見からは、強い個人主義と国家対市民の関係論という、日本人と異なる価値観や意識も見てとれる。全米ライフル協会(NRA)や、「政府による個人への過度の介入があってはならない」とする共和党保守層を中心に、銃規制そのものに堂々と反対の声が上がるのも、こういった背景があるからだ。

 

◇3億丁が流通

 

 米国では現在、非公式ながら、約3億丁もの銃が流通していると言われており、国民1人当たりの銃の保有率は世界でも群を抜いて高い。銃の乱射などによる殺人事件は後を絶たない。2015年には、銃によって4人またはそれ以上の被害者が発生する大量殺傷事件が329件起き、457人が命を落としたと報告されている。

 最近では、昨年12月2日にカリフォルニア州サンバナディーノ市で発生したテロ事件によって、14人が死亡し、21人が負傷した事件が記憶に新しい。犯人と中東の過激派組織「イスラム国」(IS)との関係も取りざたされる中、このような危険人物が容易に銃を入手できてしまう環境が放置されること自体を問題視する声は、日増しに強まっている。

 12年にコネティカット州ニュータウンで20人の子供と6人の教師が銃の犠牲となった事件の際にも、オバマ政権は銃規制法の強化を訴えた。だが、共和党を中心とする反対勢力によって、連邦議会で賛同を得られることはなかった。

 そもそも、既に3億丁も市中に出回っている銃を全て取り締まることは、現実的にはほぼ不可能と言われている。「結局、これらの銃を利用した凶悪犯罪から身を守るには、自らも武装するしかない」とする意見の方が現実的だという見方すらある。

 オバマ大統領自身も修正2条による個人の武器所有の権利を認めつつ、「少なくとも規制の強化を通じて、悲惨な事件の発生頻度を減らす努力は怠るべきではない」と発言。

最終的には、議会でもこれに呼応して、銃規制法を見直すよう行動を促している。民主党の大統領候補に名乗りを上げているヒラリー・クリントン氏も、すぐさまオバマ大統領の政策に賛意を示した。

 他方、共和党は、ポール・ライアン下院議長を中心に、今回もオバマ大統領の規制強化策に反対の立場を示している。「大統領は相変わらず犯罪者やテロリストの把握といった方策ではなく、市民の権利と自由を束縛する方向にばかり目を向けている」と非難の声を上げている。銃を巡る問題に政治的な決着の糸口は依然見えていない。(了)

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2016年

1月

26日

ワシントンDC 2016年1月26日号

イランの陰にロシア Bloomberg
イランの陰にロシア Bloomberg

 ◇外交の成否握るロシア攻略

 ◇イランとサウジ巡りジレンマ

 

及川 正也 (毎日新聞北米総局長)

 

 11月の米大統領選に国民の関心が移る今年、オバマ大統領にとっては、2期8年の政権の総仕上げの年となる。歴代大統領は最後の年に、歴史に名を刻む「遺産」を残すべく、最後の手腕を振るってきた。現在、過激派組織「イスラム国」(IS)や海洋進出を続ける中国など外交課題は山積みだが、最大の難関は東西冷戦の旧敵ロシアだろう。

 

「米国に対して実際の脅威を与える可能性がある国を挙げろと言われるなら、ロシアを挙げなければならない」。昨年7月、統合参謀本部議長に指名されたダンフォード海兵隊司令官は、上院軍事委員会の公聴会でこう証言し、ワシントンで波紋を広げた。中国、北朝鮮、ISも脅威対象として列挙したが、軍事力をちらつかせてクリミアを掌握し、ウクライナを揺さぶったロシアを、脅威の筆頭に位置づけたのだ。

 

 これに対し、ロシアのプーチン大統領は昨年12月31日、北大西洋条約機構(NATO)の拡大を「脅威」と位置づける新安保戦略を承認した。「指導的大国」のロシアに対して、世界覇権の維持を目指す米国や同盟国が抵抗していると警戒。中国重視の姿勢も示し、対抗姿勢を鮮明に打ち出した。

 

 日本としては、米国に中国への脅威感を強めてほしいところだが、筆者の知人の米シンクタンク研究員は「中国は米国と大国同士の共存関係を模索する。だが、ロシアは冷戦の雪辱を果たそうとして優劣を決しようとしている。アサド政権放逐を狙う米国と対立する形でシリアに軍事介入した。米ソ冷戦に逆戻りしたようだ」と指摘する。

 

 米露は冷戦の両巨頭だったが、ソ連崩壊後の経済低迷期にロシアは欧米の支援を受けた。国民の強い支持を背にしたプーチン大統領は、「冷戦の敗者」の汚名を返上すべく、四半世紀ぶりに「強いロシア」を復活。2014年のウクライナ危機で米露対立が国際政治の表舞台に躍り出た。

 

 ◇中東はロシアに分

 

 ただし、今後の米露関係を決定づけるのは、ウクライナ情勢よりも、混迷の度合いを深める中東情勢の行方だろう。世界のパワーポリティクスの主戦場となっている中東では、米国は多くの同盟国から不信の目を向けられ身動きが取れず、ロシアが虎視眈々(たんたん)と足場を築こうとする構図になっている。分はロシアにある。

 

 そのカギとなるのが中東の大国イランだ。核開発阻止に向けてオバマ政権が決断したイラン核合意は、イランと宗教・宗派で対立する米国の同盟国イスラエルやサウジアラビアを激怒させ、米国との関係をこじらせた。年明けにサウジがシーア派(イランで多数派)指導者を処刑し、イランとの断交に至ったことは、サウジの米国不信を象徴した出来事だった。一方、ロシアはシリアのアサド政権擁護でイランと思惑が一致。「イランの陰にロシアあり」という「黒幕」の存在感を醸し出している。

 

 サウジとイランの緊張緩和に向け、仲介をほのめかすロシアがイランに付くのは明白。一方、米国はイランもサウジも袖にはできないジレンマを抱える。米国務省は「調停人にはならない」(カービー報道官)と腰は定まらず、イラン核合意履行もシリア内戦終結も遠のくばかり、という皮肉な現状を招いている。

 

 米国内には、「冷戦思考から最も脱却できていないのは、オバマ大統領自身」との指摘がある。だが、ロシアを敵視せず、IS掃討や中東安定化に向けたパートナーと位置づければ、国内外からさらなる「弱腰批判」を浴びかねない。難敵・ロシアの攻略法をどう編み出すか。残り1年のオバマ政権の外交的成否は、ここにある。(了)

 

 

(『週刊エコノミスト』2016年1月26日号(1月18日発売)62ページより転載)

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2016年

1月

19日

ワシントンDC 2016年1月19日号

討論会は大人気 Bloomberg
討論会は大人気 Bloomberg

◇テレビ局のドル箱になった

◇大統領候補の討論会

 

三輪 裕範

(伊藤忠インターナショナル会社ワシントン事務所長)

 

 日本や米国のような民主主義社会では、政治家とメディアは互いの存在を必要とする一種の共生関係にある。政治家にとってメディアに登場することは、知名度や露出度向上のために必須だ。また、メディアにとっても、政治家は極めて重要な取材対象であり、政治家を抜きにして報道は成り立たない。

 こうした政治家とメディアの共生関係を強く印象づけるのが、2015年8月以降、断続的に開催されている民主・共和両党の大統領候補討論会だ。既に共和党が5回、民主党が3回、討論会を開催しており、いずれも大きな政治イベントであるだけでなく、一大メディアイベントになっている。

  FOXニュースが獲得した2400万人という視聴者数は、フットボールやバスケットボールなどの人気スポーツ番組を除いて、ケーブルテレビ番組が記録した過去最大の数字だ。CNNの2310万人という視聴者数も、CNN史上最大の数字だった。それまでのCNNの最高は、08年にジョー・バイデンとサラ・ペイリンの民主・共和両党の副大統領候補による討論会で記録した1070万人。今回の視聴者数は、その倍以上に達する驚異的なものだ。

 このように視聴者数が急増すると、それに伴いテレビ広告料も大きく引き上げられる。例えばCNNの場合、通常の放送なら30秒のスポット広告料は5000㌦(約60万円)前後だが、15年9月の討論会の放送ではそれが一挙に40倍の20万㌦(約2400万円)になった。さらに、10月の第3回共和党討論会を放送したCNBCは、9月のCNNの広告料を上回る25万㌦(約3000万円)を要求した。

 

◇夜の風刺番組に話題提供

 

 なお、共和党は、大統領候補者が十数人と乱立しているため、候補者全員を一堂に集めるやり方では満足に議論できない状況になっている。そのため、支持率の低い候補者は「アンダーカード」と呼ばれる前座の討論会に回されるが、このような前座の討論会でもCNNは5万㌦(約600万円)以上を要求しているのだ。

 では、15年の共和党大統領候補の討論会は、なぜこれほど大きなメディアイベントとして盛り上がったのだろうか。それはやはり、ドナルド・トランプによる影響が最も大きいと言わざるを得ない。「メキシコから来る不法移民は犯罪者ばかりだ」「イスラム教徒の入国は全面的に禁止せよ」など、普通の大統領候補なら決して口にしないようなトランプの過激な発言の数々が、討論会への関心をますます盛り上げ、過去にない高視聴率を稼ぎ出しているのだ。

 また、トランプの発言は、「サタデー・ナイト・ライブ」や「レイト・ショー・ウィズ・スティーブン・コルベール」など、米国で非常に人気の高い夜の風刺番組にも格好の話題を提供することになるなど、テレビ局の視聴率アップに大きく貢献している。

 最近の世論調査でもトランプは30%前後の支持を獲得し、首位を独走している。大向こう受けを狙った過激な発言を繰り返すトランプのような人物が、米国民が期待する真の改革を政治にもたらせるかどうかは疑問だが、少なくともテレビ局に多くの視聴者と利益をもたらしていることは間違いない。(了)

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2016年

1月

12日

ワシントンDC 2016年1月12日特大号

中南米経済を成長させられるか(メキシコ)
中南米経済を成長させられるか(メキシコ)

◇米州開発銀行の挑戦

◇中南米の成長狙い民間部門再編

 

安井 真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)

 

 ラテンアメリカ・カリブ(LAC)諸国の経済・社会発展への貢献を目的として、1959年に設立された国際開発金融機関の米州開発銀行(IDB)は、2016年1月、民間部門向け業務を再編する。

 

 IDBは、LAC諸国が持続的に経済成長するには民間部門の一層の育成や発展が重要だとして、IDBの民間部門局などの資金と人員を、主に中小企業向け支援を行う米州投資公社(IIC)に集約する。新IICは、年間事業規模で27億㌦(現IICの6倍)となる見込みであり、トップには、世界銀行グループの国際金融公社前副総裁のジェイムス・スクリヴェン氏が就任する。

 IDBの民間部門向け業務の再編構想が発表されたのは、13年3月のIDB・IICパナマ年次総会だ。それから約3年。現在のLAC諸国の経済は、米国のシェールオイル・ガスの増産に伴うエネルギー価格の低迷、中国経済の減速に伴う鉱物資源・食糧価格の下落、貿易の鈍化により、エネルギー・鉱物資源・食糧の産出国を中心に停滞している。

 政財界を広く巻き込んだ汚職問題を抱えるブラジル、内政・治安の悪化に悩むベネズエラ、長期の債務繰り延べ交渉により投資・開発に後れをとったアルゼンチンは、15年はマイナスあるいはゼロ成長に陥ると見られている。これらを主要加盟国とするIDBも、当面は難しい業務運営を迫られる。

 

◇インフラ投資の促進がカギ

 

 15年11月にワシントンで開催された会合で、IDBのモレノ総裁は、LAC地域の経済成長のカギを二つ挙げた。

 一つは貿易の促進。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の実現により、貿易規模の拡大とともに、貿易取引ルールの国際標準化が進み、TPP参加国のメキシコ、ペルー、チリをはじめとして、LAC諸国が国際的なサプライチェーンに組み込まれることが期待される。

 もう一つは、インフラ投資の促進。民間企業が海外へ事業を展開する際、現地のインフラの整備状況は、進出先選択の重要なポイントとなる。海外から投資を受け入れたい国

にとっても、インフラを整備する過程で、政府の支援体制や法制度の整備が進む。生産拠点、消費市場としての魅力が高まれば、海外企業の投資誘致につながり、産業や雇用が生まれる。

 新IICは、LAC地域のインフラ整備促進、中小零細企業育成、技術開発支援、気候変動対応を優先事業分野としつつ、アジアを含む域外加盟国からの投資も積極的に受け入れる。将来は、出資や資産運用などの業務も拡大したいと意気込む。

 また、IDBの民間部門局は従来から女性の活躍支援にも力を入れている。女性の活用に積極的な企業が資金を調達しやすくなれば、LAC地域の就業率向上と貧困削減にもつながろう。融資・保証案件の審査項目に、女性の経営への関与度合いを盛り込んでいる点は、ユニークな取り組みと言えよう。

 16 年は、日本がIDBに加盟して40年目に当たる。LAC地域は人口6億人、GDP6兆㌦の市場であり、平均年齢は20代と若く、豊かなエネルギー、鉱物、農業資源を有し、インフラの潜在的需要も大きい。新IICの誕生が、日本企業にとっても、LAC諸国とのより一層の貿易・投資を促進する契機となることを期待する。

 

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2016年

1月

05日

ワシントンDC 2015年12月29日・16年1月5日合併号

◇「イスラム教徒は入国禁止」で

◇トランプ氏の支持率さらに高まる

 

今村 卓

(丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 ついに共和党主流派の間でも、不動産王ドナルド・トランプ氏が、2016年の米大統領選の同党候補に指名される可能性が現実味を持って語られ始めたという。

 トランプ氏は12月7日、カリフォルニア州で起きた銃乱射事件を受けて、イスラム教徒の米国への入国一時禁止を提案。この極論にオバマ大統領や民主党はもちろん、共和党内でも同氏と指名を争う他候補や党幹部から一斉に非難の声が上がった。

 だがトランプ氏は、党内からの厳しい批判もどこ吹く風で「提案」を撤回せず、正当性を訴え続けている。

 指名争いは、トランプ氏の「提案」後、共和党主流派や他候補の焦燥感を強める展開になっている。共和党支持層への世論調査(『ニューヨーク・タイムズ』、CBSテレビ)では、トランプ氏の支持率が35%に達し、2位以下を20ポイント近く突き放した。しかも別の世論調査では、トランプ氏の「提案」への支持は、有権者全体で37%にとどまったのに対し、共和党支持者では65%に達したのだ。

 選挙専門家も共和党主流派も、トランプ氏の15年春の大統領選出馬表明以来、「泡沫(ほうまつ)候補で高い支持率は一過性」と見下してきた。だがトランプ氏は7月中旬から5カ月近く指名争いの首位を走り続け、イスラム教徒の入国禁止を唱えても支持率が跳ね上がった。同氏は共和党支持層に強い基盤を築いたと見るべきだ。

 その基盤とは、保守派のポピュリスト(草の根の大衆)のグループである。最近のCNNテレビの世論調査で、トランプ氏の支持層を特徴付けているのは教育だ。共和党支持層で大卒以上の人の同氏の支持率は2割弱だが、大学を出ていない層では46%に達する。後者は最近の景気回復に取り残され、大嫌いなオバマ政権の政策を阻止できない共和党の議会指導部や同党主流派への反感を、過去にないレベルに募らせてきた。

 

 ◇党内の支持者を開拓

 

 共和党の大統領候補の中で、党内に主流派、宗教保守派以外に、このポピュリストの大グループが潜在することにただ一人気付き、ポピュリストからの支持拡大に努め続けたのがトランプ氏だ。新市場を開拓した実業家としての面目躍如とも言える。

 しかも放言癖で知られるトランプ氏は、他候補のように「政治的正しさ」に配慮して言葉を選ぶ必要はない。ポピュリストの怒りや不安を突く極論を唱えて心をつかめる唯一の候補でもある。その関係を明確に示したのが、イスラム教徒の入国禁止「提案」とその後の支持率上昇だ。

 共和党主流派は今、二つの意味で苦境に立つ。トランプ氏が人気を維持して指名を獲得しても、一般投票では民主党の指名が確実なヒラリー・クリントン前国務長官に勝ち目がない。勝敗のカギを握る無党派層の多くが、トランプ氏を支持しないだけでなく、共和党内の主流派と宗教保守派もしらけてしまう。

 かといってトランプ氏を指名争いから引きずり下ろすのも難しい。党内には「入国禁止の提案を憲法違反と断じて、同氏の大統領候補の資格を剥奪すればいい」との声もある。トランプ氏は「党の扱い次第では無所属での出馬も検討する」と明言している。世論調査によれば、トランプ氏の支持者の大半は、同氏が無所属で出馬しても投票するという。共和党主流派にとって、同氏の無理な追い落としは危険すぎる。

 16年2月からの予備選に向けて、トランプ氏はポピュリストの支持固めの動きを一層強めるだろう。そのままトランプ氏がリードを保って指名に近付くのか。異例の展開となった共和党の指名争いは、見通しが立たないまま、予備選に突入する可能性が高まっている。(了)

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2015年

12月

22日

ワシントンDC 2015年12月22日特大号

◇法人税が高い米国

◇納税地移転への規制を強化


堂ノ脇 伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)


 米国のルー財務長官は、米企業が節税を目的に納税地を国外に移転する「タックス・インバージョン」(納税地変換・課税逆転)に対し、規制を強化する方針を11月19日に打ち出した。

 米国の法人税率は35%と先進諸国の中で最高水準にあり、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で数少ない全世界所得課税(海外で得た所得も課税の対象とすること)の採用国だ。このため、企業の国際競争力の点で不利だという不満が米ビジネス界で強い。1990年代から2000年代前半にかけては、多くの米企業が法人税を免れる目的で、バミューダやケイマンといったタックスヘイブンにペーパー会社の親法人を設立していた。

 これに対し米国では、04年の税制変更によって米企業の税逃れを阻止していた。インバージョンを行っても、旧株主が海外に新規設立した法人の株式の80%以上を保有している、あるいは、その設立国で「実質的な事業活動」をしていなければ、引き続き米国法人とみなすという規制を設けたのだ。

 その後は、「実質的な事業活動」をしている国の中でも相対的に法人税が低いアイルランドやスイス等の欧州諸国やカナダなどが、特に医薬やヘルスケア業界などの米企業の移転先に選ばれている。 

 形態としては、小が大をのみ込むような手法が多い。具体的には、グループ従業員・資産・所得のうち、親会社を設立した国でのそれらの割合が25%以上という要件を満たしつつ、引き続き米企業がその支配権を維持できるように、自らよりも小規模の海外の既存会社と合併して、本社所在地を相手国側に移転するというものだ。

 例えば、ファストフード大手のバーガーキングは14年、カナダのコーヒー・ドーナツチェーン大手のティム・ホートンズを約110億㌦で買収すると同時に、本社をカナダに移転した。米製薬大手ファイザーとアイルランドの同業大手アラガンの合併発表も注目されている。ファイザーによる事実上の買収といわれるこの取引により、統合会社はグローバルな運営拠点をニューヨークに残しつつ、登記上の本拠をアイルランドに移す方向で検討中という。


 ◇税制改革が必要


 このような取引が増えることは、米国の税収を揺るがす問題だ。かねてよりルー財務長官は「米国の税基盤を保護することは、財務省の責任である」として、インバージョン規制の強化を訴えている。と同時に、根本的には現行税制の見直しが必要として、連邦議会に対し、早期の税制改革等の対応を迫っている。

 今回の財務省の規制強化により、例えば、前述の80%の基準を下回るために、意図的に合併前の海外企業の規模を大きくする「スタッフィング(詰め込み)」といった手法は取れなくなる。設立国以外の有利な租税条約がある第三国に本社を登記することにも、制限が加わるとされている。

 これらを含め、今回導入される種々の規制により、ファイザーや他の米企業に今後、どのような影響が出るかが注目されている。 

 財政問題を抱える米国にとって、自国企業が海外に移転することで税収が減るのを避けたいという思いが強いことは十分理解できる。だが、これにより企業の海外展開や事業活動にさまざまな制約が課せられれば、その活力を低減しかねない。海外移転を選択せずともよくなるような法人税の減税や抜本的な税制改革の推進こそが最も望まれるところであろう。(了)

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2015年

12月

15日

ワシントンDC 2015年12月15日号

◇広がるシリア難民排斥の動き

◇選挙にらみのパフォーマンス


及川 正也

(毎日新聞北米総局長)


「狂犬病の犬を近づけるな」「日系人強制収容所を思い出す」「イスラム教徒は登録を」。オバマ米政権のシリア難民政策を巡る議論で、過激な言葉が飛び交っている。パリ同時多発テロをきっかけに始まった「難民排斥」とも言える動きは、多様性を美徳とし、人道支援に熱心な米国の有りようとも絡んで、物議を醸している。

 端緒は、パリ同時多発テロの自爆犯の遺体の近くからシリア難民のパスポートが見つかったことだった。これを機に、オバマ大統領の今後1万人のシリア難民受け入れ計画への不満が噴出した。

 素早く反応したのは、移民政策に厳しい共和党だ。2016年大統領選の指名争いに出馬している元神経外科医のカーソン氏は、シリア難民について「近所に狂犬病の犬がいれば、子供を遠ざけたいと思うはずだ」と発言。不動産王のトランプ氏は、難民の強制送還を訴え、イスラム教礼拝所(モスク)の監視やイスラム教徒の登録制を提唱。ブッシュ元フロリダ州知事やクルーズ上院議員は、キリスト教の難民を優先させるべきだと主張した。

 共和党主導の米下院も動いた。11月19日には、米下院が大統領の方針を事実上、凍結する法案を可決した。全米の30州以上がシリア難民受け入れを拒否し、難民政策に寛容な民主党からも、バージニア州ロアノーク市のバワーズ市長が太平洋戦争時の日系人強制収容所を例に排斥を訴えた。これに対しオバマ大統領は、宗教による難民差別を「恥知らず」と批判。難民拒否は「米国のあるべき姿ではない」と受け入れ継続を表明、対立は先鋭化している。


◇全米180カ所で受け入れ


 米国務省によると、米国はベトナム戦争後の1970年半ば以降、300万人の難民を受け入れている。最近のシリア難民の多くは欧州に向かっているが、米国もシリア内戦が始まった11年以降、約2000人を受け入れている。政府高官によると、面接を通じて応答内容と事実関係を照合する作業を繰り返し実施している。反米の暴力過激主義者やシリア北部で勢力を維持する過激派組織「イスラム国」(IS)の戦闘員の流入を阻止するためだという。

 現段階でのシリア難民の受け入れ率は50%強。半分が子供、4分の1が高齢者で戦闘ができる年齢の独り身の男性は2%という。ボランティア機関9団体を通じ、全米180カ所に難民受け入れ地域があり、役所、学校、病院、警察などと連携して受け入れ態勢を整えている。

 難民排斥の動きは、第二次世界大戦前夜の1939年にもあった。ドイツ・ナチスに迫害されたユダヤ難民の子供1万人を受け入れるルーズベルト政権の方針に反発が拡大。当時の米ギャラップ社の調査では、受け入れ「反対」が67%と、「賛成」の26%を大きく上回った。米世論は大戦への参戦拒否が強く、宗教的な懸念もあったとされる。

 ただ、今回のシリア難民に関する米紙『ワシントン・ポスト』などの世論調査によると、「反対」は54%。「支持」の43%を上回るものの大きな差とは言えず、「難民を認める場合は宗教差別すべきではない」が78%に達する。

 共和党や議会の難民拒否の動きは、選挙にらみの政治的パフォーマンスとの見方が強い。パリ同時多発テロの自爆犯のパスポートは偽造との疑いもあり、バワーズ市長は後に

謝罪している。パニックめいた米国内の状況について、知人の大学教授は「パラノイア(妄想症)」と批判。「過剰反応」だとして、これまでの対応への反動も強まっている。(了)

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2015年

12月

08日

ワシントンDC 2015年12月8日特大号

 ◇有力政治家が人前で涙

 ◇泣く男を受け入れ始めた米社会


三輪 裕範

(伊藤忠インターナショナル会社ワシントン事務所長)


 横浜市の傾斜マンションで、問題のくい打ち工事をした旭化成建材の親会社、旭化成の浅野敏雄社長が最近、記者会見で涙を見せた。かつて山一証券が倒産した時に、同社の野沢正平社長が記者会見で号泣(ごうきゅう)したことも記憶に新しい。それが号泣か、頬をぬらす程度かどうかは別としても、日本では政治家も企業経営者も、人前で涙を見せること自体に、あまり抵抗はないようだ。

 一方、米国では、人前で涙を見せることは、日本よりもはるかに許容されない行為である。特に政治家にとっては、自らの政治生命を断ち切るにも等しい行為であった。「人前で涙を見せるような気弱で軟弱な人間に、政治のような重大事は任せられない」と考えられてきたからだ。

 こうした政治家の涙に関して特に有名なのが、1972年の大統領選の序盤で起きた「マスキー落涙事件」である。当時、民主党候補の中で最有力だったエドマンド・マスキー上院議員が、ニューハンプシャー州での演説中に涙を見せたとして、新聞やテレビで大きく取り上げられ、批判された事件だ。マスキー上院議員は、これが契機となって有権者からの支持を急速に落とし、大統領選からの撤退を余儀なくされた。

 しかし近年は、政治家の涙に対する米国人の否定的な見方が徐々に変わりつつあり、有力政治家の中でも人前で泣く人が多くなっている。


 ◇「マッチョ文化」に変化


 今年9月には、フランシスコ・ローマ法王が米国民の熱狂的な歓迎を受けて訪米し、米議会で演説をした。その際、演説を行う法王の後ろの席に座っていたジョン・ベイナー下院議長が、感極まって涙を見せる場面があったのだ。

 この時のベイナー氏の涙の理由については、「ローマ法王が演説する時点で、既に下院議長を辞任することを決めていた(実際、その翌日に辞任を発表した)からだ」「熱心なカトリック教徒であるベイナー氏が、下院議長としてローマ法王を議会に迎えることに感激したからだ」などと、さまざまな説が流れている。理由はどうあれ、人が演説している時に下院議長が涙を見せるなどといったことは、まさに前代未聞であった。

 人前で涙を見せる政治家の中で、最も驚かされるのはオバマ大統領である。オバマ大統領は、2008年の大統領選の投票日前日に1回、12年の大統領選の投票日の前後にも2回、支持者や選挙スタッフの前で涙を見せているのだ。

 12年12月にコネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件の際の記者会見でも、「この種の悲劇が、あまりにも多い」として涙を見せた。以前であれば、大統領が人前で涙を見せるなどということは到底考えられなかったが、今ではメディアでも、さほど大きなニュースとして取り上げられなくなっている。

 政治家以外でも、人前で泣く人が急増している。スポーツ選手や芸能人、さらには一般市民に至るまで、最近の米国では、男性が人前で涙を流すケースが非常に目立つようになってきた。そして、それが以前のように、批判の対象として否定的に捉えられるのではなく、むしろ、その人の人間性や優しさを表すものとして、肯定的に受け入れられるようになってきたのだ。

 これまでの米国社会は、力強いことに至高の価値を置く「マッチョ文化」が優勢であり、人に弱さを見せてはならない、まことに厳しい社会であった。そして、それが時として、個人に不自然な虚勢を張らせることにもつながった。

 人前で涙を流すことに対して、より寛容になってきた米国社会が、個人にとってどこまで優しい社会になれるか、今後が注目される。(了)

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2015年

12月

01日

ワシントンDC 2015年12月1日号

◇米輸銀に権限は戻るか

◇異例の請願署名で審議開始


安井 真紀

(国際協力銀行ワシントン首席駐在員)


 米国輸出入銀行(米輸銀)が6月末に新規与信業務の権限を失効してから4カ月。権限の再承認を巡り、法案審議が動き出した。

 米輸銀は、米連邦政府が設立した公的輸出信用機関だ。貿易金融を通じて、特に米国の輸出を促し、雇用を創出することを使命とする。同行は、法律で業務権限を授権されている。法律が成立しなければ、新規与信の業務ができない。9月25日、米輸銀の業務権限を2019年まで4年間延長する法案が提出された。再授権を支持するのは民主党と共和党穏健派。反対するのは共和党の保守派と急進派だ。両者は対立し、反対派のヘンサーリング下院金融サービス委員長が、審議を拒否した。

 委員会への法案提出後、30日以上審議されない場合、委員会を迂回して、本会議で直接法案を審議できるようにする請願署名(ディスチャージ・ペティション)がある。この異例の手続きが下院議員の過半数の支持を得て成立。10月26日、下院本会議で、法案の審議開始を問う投票が行われた。

 結果は、共和党議員62人が民主党議員184人に賛同し、賛成246票、反対177票で審議開始が決定。翌27日の法案の投票は、賛成票がさらに伸びて下院を通過。審議の舞台は上院へ移った。

 7月から10月までの間、米輸銀の主要顧客や産業界は、米輸銀再授権への支持を再三、表明した。米国製造業協会は、8月下旬に共和党向けの資金サポートを無期限で延期すると発表。米ゼネラル・エレクトリック(GE)と米ボーイングは、米輸銀の業務権限の再承認に反対する共和党議員への政治献金を見合わせた。加えて両社は、米国内の生産拠点からフランス、ハンガリー、中国、カナダ、英国への移転と海外生産拠点の拡張を発表した。

 10月23日に開催された下院外交委員会小委員会の公聴会では、米輸銀の権限の失効について参加委員が「米国内の雇用の喪失のみならず、長期的なファイナンスのめどが立たず、米企業が新規事業の入札中止や受注失敗に追い込まれ、下請けの中小企業にも少なからず影響がある」という趣旨の証言をした。

 一方、議会では、9月末にベイナー下院議長が10月末での辞任を発表。後任は、当初、有力視されていたマッカーシー下院院内総務が早々に出馬を辞退、その後、10月29日にライアン歳入委員長が新議長に選出されるまで混乱が続いた。米輸銀の再承認を支持するベイナー議長は辞任直前、債務上限延長法案等の重要法案に加えて米輸銀の再授権法案も下院を通過させて、政界から引退した。

 

◇国際的な役割高まる

 

 近年の国際商取引では、米国と日本を含む経済協力開発機構(OECD)加盟諸国と、非加盟国との競争が激化。輸出取引の適切な競争を実現するために、加盟国の間でファイナンス条件を調整しても、非加盟国が破格の条件を提示すれば泥沼の潰し合いに陥りかねない。現在、非加盟国を含めた輸出信用ルールの策定を目指し、実務的な検討が始まったなか、主要加盟国の公的輸出信用機関として米輸銀の存在は欠かせない。

 10月末に米国上院議会に送られた米輸銀再授権法案は、高速道路法案に付帯させる形で審議されることとなった。現行の高速道路法の審議に合わせ、上下両院で可決・成立される見通しだ。

 米輸銀の業務権限が再承認される4年の間には、大統領選があり、政府と議会の関係も変わる。そのなかで、米輸銀に期待される役割は、どのように変わっていくだろう。(了)

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2015年

11月

24日

ワシントンDC 2015年11月24日特大号

本命候補ジェブ・ブッシュ氏は苦戦 Bloomberg
本命候補ジェブ・ブッシュ氏は苦戦 Bloomberg

 ◇共和党の指名争い
 ◇支持者の政治家不信が翻弄


 今村 卓

 (丸紅米国会社ワシントン事務所長)

 

 来年の大統領選に向けた共和党の指名争いは、本命とみられていたジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事の支持率が、11月に入り4%に沈む予想外の展開になっている。

 ブッシュ氏が窮地に陥っている最大の理由は、共和党支持者の政治家不信の強さだ。「大統領候補にとって何が重要か」を尋ねた最近の世論調査で、共和党支持者の65%が「新しい考え」と回答。「経験と実績」を挙げた支持者は29%にとどまる。民主党支持者の、それぞれ42%と50%という回答との違いは鮮明だ。

 別の調査では、共和党支持者の74%が「現在のワシントンの政治が機能していない」と答え、70%が「その責任は議会共和党にもある」と答えている。「責任はオバマ大統領と民主党にあり」との回答が90%とはるかに多いが、議会の上下両院を制している共和党の機能不全も認めて、失望しているのである。しかも、共和党支持者のフォーカスグループ・ディスカッション(明確に定義された母集団から少数の対象者を集めて行うディスカッション)では、共和党が反対する政策を数多く実現するオバマ政権以上に、それを阻止できない共和党の指導部と議員への不満が、より強く表れるという。

 共和党支持者の不満には、ないものねだりの面もある。共和党は、議会を制して立法権を押さえているが、行政権は民主党のオバマ政権が押さえ、オバマ大統領には拒否権もある。議会内部でも、上院では、民主党が議事妨害の可能な議席数を確保している。こうした制約の下では、議会共和党にできることに限界がある。統治の実績を重ねていくには、オバマ政権と交渉し、必要な譲歩をして、合意するしかない。

 しかし、この当たり前の政治プロセスを、共和党支持者は「議会共和党の裏切り」と非難し、妥協を重ねる共和党議員は「ワシントンの政治の悪癖に染まった」と失望する。そうした不信の対象は、上下両院の議員にとどまらず、州知事など政治家全般に広がっているのだ。そして、この共和党支持者の強い政治家不信の裏返しが、政治家ではない不動産王トランプ氏と元神経外科医のカーソン氏が2割台の支持率で首位を争う、現在の指名争いなのである。

 最初の予備選まで3カ月を切った時点で、共和党支持者の政治家不信が、指名争いに強く影響している。この異常な事態は、ブッシュ氏だけでなく、他の政治家の候補者、党を統率する共和党全国委員会や過去の指名争いで影響力を発揮してきた大口献金者にとっても大誤算だろう。


 ◇実績が武器にならない


 十数人の候補者が出そろった指名争いの序盤戦では、統治の経験と実績を積んだ多くの州知事出身の候補が競い合い、上院議員1期しか経験せずに就任したオバマ大統領との違いを有権者に示すことが、共和党の本選挙までのプランだったはずだ。しかし、共和党支持者が経験を積んだ政治家を嫌い、非政治家に活路を求めたため、州知事出身候補はブッシュ氏以下、全員が苦戦している。

 共和党内には、過去の大統領選と同様に、予備選が近づけば「民主党の指名が確実なヒラリー・クリントン前国務長官に勝てる候補」という現実的な志向に、有権者の意識が切り替わっていき、政治家の候補に支持が移っていくという期待はある。

 一方、現時点でこれほど「反政治家」の意識が強ければ、序盤戦のアイオワ州やニューハンプシャー州でトランプ氏かカーソン氏が勝ち、その後が異例の展開になっていく、との声も党関係者から出始めている。その意味でも、今後の世論調査や討論会、各候補の選挙戦の行方が日ごとに注目される。(了)

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2015年

11月

17日

ワシントンDC 2015年11月17日号

 ◇欧米間の個人情報移転は無効

 ◇4000社以上に甚大な影響


堂ノ脇 伸

(米州住友商事会社ワシントン事務所長)


 欧州司法裁判所が10月6日に下した、欧米間の「セーフハーバー協定(個人情報の移転協定)は無効」とする判決が波紋を広げている。この協定は、個人情報の移転に関する特別協定で、2000年に締結された。米政府が情報保護を担保するとの認識の下、米商務省が認可した米企業に対し、EU(欧州連合)における個人情報の米国への移転を例外的に認めている。

 もともとEUには包括的な個人情報保護法制があり、十分な保護措置を取る国に限り域外への個人情報移転を認めている。一方、米国には、行政機関による個人情報の流出を禁じる「プライバシー法」以外に確たる包括的な保護法がない。民間レベルでの個人情報保護は、半ば業界の自主規制に委ねていたため、EU基準を満たすことは困難とされていた。だがインターネットの普及で欧米間のデータ交換が飛躍的に増えたため、前述のように、米商務省認可の米企業には個人情報の移転を認めるセーフハーバー協定を結んだのだ。

 こうした状況下、13年のエドワード・スノーデン氏の暴露により、ネット企業が持つ膨大な個人情報を米国家安全保障局(NSA)が監視していた事実が発覚。「米国は個人情報に関し十分な保護体制を敷いていない」との疑念が欧州側に生まれた。14年には、在オーストリアのマックス・シュレムス氏が、フェイスブックが自身の個人情報を米国に転送していることに対し、「個人情報は米当局の監視から保護されるべきだ」と申し立てた。これを受けて欧州司法裁判所は「米国の情報監視体制の下では、個人情報保護が十分担保されていると言えず、セーフハーバー協定そのものが無効」との判断を下した。


 ◇企業は対策コスト増の可能性


 セーフハーバー協定が無効となることの影響は甚大だ。米商務省の認可を受けて、EUの個人情報を米国に移転している企業は、フェイスブックやグーグル、アマゾンなど4000社以上に上るとされる。

 今後、これを継続するには、各社が個別にさまざまな基準の認定を受けて、EU当局から承認を得るなどの方策も考えられる。だが、そのコストと有効性は全くの未知数だ。米国市場で事業を展開する欧州企業に、同様の影響が及ぶ可能性も指摘されている。プリツカー米商務長官は、今回の欧州司法裁判所の判断を遺憾とし、これが「米国とEUの企

業や消費者に加え、欧米間のデジタルエコノミー(産業のデジタル化)に重大な不確実性をもたらす」と述べている。

 米議会でも、これを機に「個人情報の保護体制を強化すべき」との声が上がっている。下院は10月20日、「Judicial Redress Act(司法是正法)」という法案を超党派で可決した。これは、前述の米プライバシー法の適用を、米国人のみならず、EUや同盟国の非居住者にも拡大するもの。自らの個人情報が侵害されたと認められる場合、米国政府を訴えることを可能とする法律だ。

 法案を提出した下院司法委員会のボブ・グッドラッテ委員長は、「この法案の成立により、プライバシーデータの保護に関して、米国が再び友好国の信頼を勝ち取ることを望む」と述べた。多くの米IT企業も法案成立を支持する声明を発表している。

 ただし、この法律を適用するのは米国行政機関が保有する個人情報に限られる。その意味では、「本質部分でセーフハーバー協定を無効とする欧州側の判断を覆すものにならない」との指摘もある。欧州の信頼を取り戻すには、さらなる個人情報保護強化の方策や、米国の情報監視体制の見直しが必要との意見も多く、米国側の対応が注目されている。(了)

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2015年

11月

10日

ワシントンDC 2015年11月10日号

Bloomberg
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 ◇米軍のアフガニスタン撤退延期

 迷走するオバマ氏の対テロ戦略


及川 正也

(毎日新聞北米総局長)


 オバマ米大統領は、2001年の米同時多発テロを受けた対テロ戦争の主戦場のアフガニスタンに駐留する米軍を、退任後の17年以降も残留させると発表した。これはイラクとアフガンの「二つの戦争」を任期中に終結させるという公約を断念したということで、出口戦略も後継大統領に丸投げした。オバマ氏の対テロ戦略は迷走を極めている。

「アフガン軍は十分に強くなったとは言えない。治安は不安定で一部では悪化している。駐留継続で状況を変えることができる」。オバマ氏は10月15日、①16年中も現在の9800人規模を駐留させる、②17年初頭までにこれを5500人に削減し、アフガン軍訓練やテロ掃討作戦を継続する──と発表した。退任する17年1月までに約1000人の米大使館警備要員を除いて米軍を完全撤退させ、「戦争終結の立役者」という「レガシー(遺産)」を残して政権を去る計画だったが、もろくも崩れた。

 09年1月の就任時、約3万人だった駐留米軍は、オバマ政権の増派などで一時10万人規模に到達。11年には、同時多発テロの首謀者で国際テロ組織アルカイダを率いたウサマ・ビンラディン容疑者の殺害、アフガン駐留米軍の削減方針の提示、イラク駐留米軍の完全撤退と出口戦略への布石を次々と打ち、14年末にはアフガンでの戦闘作戦終了にあたり、「米国史で最も長い戦争が終わる」と高らかにうたっていた。


 ◇イスラム国対策で失敗


 それから1年。開戦から15年目の「誤算」はなぜ起きたのか。理由の一つは、米軍が訓練を担ったアフガン軍の練度が向上しなかったことだ。オバマ氏は昨年春、①軍事介入は米国の安全保障に直結する場合のみ、②大規模地上戦を排し、空爆や米国が支援する国や勢力の軍の訓練に限定する──という米軍の海外派兵原則を決定した。アフガン軍の訓練や、シリア・イラク国境に勢力を張る過激派組織「イスラム国」(IS)に対抗する反政府勢力の訓練は、「オバマ原則」のテストケースだった。

 米軍は約35万人のアフガン軍・治安部隊を育成してきたが、9月にアフガン北部クンドゥズを旧支配勢力タリバンが制圧。アフガン軍のもろさを露呈し、奪還には米軍の空爆と地上特殊部隊の応援が不可欠となった。国際医療支援団体「国境なき医師団」運営の病院を米軍が誤爆して多数の民間人死傷者を出した事件は、こうした中で起きた。

 また、アルカイダや系列組織の掃討が道半ばだったことも、オバマ氏の「誤算」の要因だ。米残留軍は、首都カブールと北郊のバグラム空軍基地、東郊のジャララバードや南部カンダハルの基地に配置される。いずれも米国のテロ掃討作戦の拠点だ。米国のテロ対策担当のモナコ大統領補佐官は、アルカイダ掃討作戦の継続に加え、タリバンの内部対立

を利用して、不満分子を米国側に引き入れようとしている。「ISの動向を注視するため」としており、米軍のカバー範囲は広がっている。

 オバマ氏がアフガンからの撤退延期を決断した背景には、イラクからの米軍撤退後の「力の空白」を突いてISが増勢し、再びイラクへの軍事介入を強いられた苦い教訓もあった。そのIS対策では、「オバマ原則」に基づくシリアの反政府勢力の訓練作戦が失敗し、武器の直接供与に戦略を転換した。オバマ政権の対テロ戦略は総崩れの様相だ。

 クラウゼヴィッツの『戦争論』には、刻々と変化する戦況にいかに対応するかが指導者の要諦と記されている。撤退期限ありきのオバマ戦略の危うさは政権内外から指摘されていたが、その危惧は不幸にも的中してしまったようだ。(了)

 

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