2013年

9月

10日

経営者:編集長インタビュー 植木義晴 日本航空社長 2013年9月10日号

 ◇採算重視への意識改革で再生へ

── 最近の経営環境は。


植木 4~6月期は、前年同期比で2・6%増収、29・8%の営業減益でした。減益要因のほとんどが円安。為替の影響がなければ若干の増収増益でした。円安はまだマイナスに働いていますが、アベノミクス効果で景気回復につながればプラスになるでしょう。それまでは費用を削減し、増収策を打っていきます。その効果が早ければ今年度下期、遅くても来年から表れてくると思います。

── 政府の成長戦略では、首都圏空港の機能強化が重要政策になっています。成田と羽田をどう位置づけていますか。


植木 成田は国際線と国際線を結ぶハブ空港、羽田は国内線と国際線を結ぶハブ空港と位置づけています。羽田は、海外から羽田経由で地方都市に移動する、あるいは地方からのお客様が羽田経由で国際線に乗る、というように国内と海外を結ぶハブとして活用。成田は、例えば東南アジアから成田経由で北米に行く、というアジアからの通過のお客様を取り込むなどして活用していきます。

 2014年4月、羽田空港の国際線発着枠の拡大が予定されている。増便数は年間約3万回、1日約40便(往復)。増枠分のうちどれだけ割り当てられるかが各航空会社の戦略にとって重要になる。


── 羽田の国際線発着枠についての考え方は。


植木 羽田の国際線の枠は、どの航空会社も1枠でも多く欲しいと思う「プラチナチケット」です。現在は、昼間帯32便のうち、全日空8便、日本航空8便、外国航空会社16便で、国内に5割が割り当てられています。
 羽田の発着枠をどういう形で活用するのが、国益や顧客の利便性にとって望ましいのか、こうした観点から当局が割り当てを最終的に判断されると思います。


── 国内路線は?


植木 羽田の国内線は当社と全日空で50路線あり、そのうち22路線は共通路線。それ以外の中で16路線は全日空だけ、12路線は当社だけの路線です。JALしか就航していない地方のお客様がJALで羽田にきて、海外の目的地には全日空しか飛んでいない場合はトータルの運賃が高くなります。地方から羽田経由で放射状に海外に出て行くことを考えると、国際線で2社が乗り入れることが重要だと思います。

 ◇LCCとの差別化

── LCC(ローコストキャリア)への対抗策は。


植木 当社はフルサービスキャリアとして、安全をベースに最高のサービスと商品を提供し、ネットワークを充実させるのが基本方針。LCCに打ち勝つつもりはありません。
 我々の強みの一つは定時発着です。例えば海外出張で、到着後すぐに現地で重要な会議がある場合、多くの人はフルサービスキャリアを選ぶと思います。同じ人が休みの時にはLCCを使うこともあるでしょう。そうした使い分けが可能になったということです。
 ネットワークも強みです。国際線のアライアンス(航空連合)で世界各国を結んでおり、地方からJALで羽田に出て、羽田からJALで海外に飛び、そこからアライアンス先の航空会社で目的地に行く。個別にチケットを買うよりパッケージの方が安く、マイルもたまります。そこに価値を見いだしている方も多いと思います。


── 海外の航空会社の統合が進むなか、国内でフルサービスキャリアが2社ある意義はありますか。


植木 残った1社は、競争がなくなり楽になるでしょう。でも、国益やお客様の利便性にはマイナスです。当社は長く国際線を独占していましたが、競争がないと人間は努力しなくなる。それが経営破綻に至った原因の一つでした。大事なのは2社が競い合うことです。2社あって世界と戦えるのかという意見がありますが、当社と全日空は営業利益率や定時性で世界トップクラスのエアラインであり、世界と戦えていることを証明しています。1社になれば昔のJALが生まれるだけです。


── 10年1月の経営破綻から3年半。12年9月に再上場しました。何が変わりましたか。


植木 最も変わったのは社員の意識です。常に採算を考えるようになりました。以前は収入アップだけを目的に、採算度外視で経費をかけていた。今は規模を追うことなく、すべてのセクションや人間が、採算性を考えながら仕事をするようになっています。それが根付いてきたのは、当事者意識が生まれたから。昔はどこか他人事で、自分が率先して何かをするという空気が生まれない会社でした。1人がサボろうが影響ないと。今は、自分が欠けたら大変と意識しながら働く空気が生まれています。


── 昔のJALに戻らない自信はありますか。


植木 あります。人間は、いい時期があると必ず慢心して落ちていく。そこからはい上がるのもキープするのも大変だと3年半で学びました。
 地方支店や羽田、成田に行くと、現場の若い社員たちが、最高のサービスを提供し、収益性を上げるにはどうすればいいかを日々考え、動き出しています。その小さな渦が至るところにでき、それが大きな渦になれば、もう流れは止まらないと思います。(Interviewer=横田恵美・本誌編集長、構成=秋本裕子・編集部)

 ◇横顔

Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか
A 30歳で副操縦士、40歳で機長になりました。自然は毎日変わるので、どうしたら最高のフライトができるか、日々工夫するのが楽しかったです。
Q 最近買ったもの
A スーツです。パイロットは制服があるので、スーツはほとんど着る機会がなかったんですが、今は毎日スーツを着る生活なので、百貨店で新調しました。
Q 休日の過ごし方
A 社長になって1年半、休みはほとんどありません。たまに1日休みになると、家内と散歩したり、娘夫婦と夜ご飯を食べたりして過ごします。
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 ■人物略歴
 ◇うえき・よしはる
 京都府出身。1975年航空大学校卒業後、操縦士として日本航空入社。DC10運航乗務部機長、執行役員運航本部長、専務執行役員路線統括本部長などを経て、2012年2月から現職。60歳。