2013年

9月

17日

経営者:編集長インタビュー 吉永泰之 富士重工業社長 2013年9月17日特大号

◇目標は世界中の車好きのための100万台

 北米市場で新型車の売れ行きが好調。2013年3月期は世界販売台数72万4000台で過去最多、営業利益、純利益ともに過去最高益だった。14年3月期はさらに75万2000台を見込む。

── 業績好調までの歩みは。

吉永 2009年、米国向けにレガシィの車体を一回り大きくしたことで台数が伸びました。ですが、さらに大きくすれば売れるというものではありません。日本の自動車会社8社のうち、販売台数は一番少なく、経営資源も多くない。そんな我々がどう戦うべきかを考えました。デザイン力やコスト競争力など6項目について、評価が最も高い他社の車種との比較をしていると、「あれも足りない」「これも足りない」と会議の度に元気がなくなる。そこで、数は多くなくても認めてくださるお客様がいるという我々の「強み」は何かを考えることに切り替えました。

 ◇歴史に根ざした安全と走り

── その答えは?

吉永 歴史に根ざさない、実態のないことを掲げてもむなしいだけです。歴史に学べば、当社の前身は中島飛行機で、今も当社の1部門である航空宇宙カンパニーで飛行機を製造しています。そのため安全に対する基準が自動車も飛行機並みに高い。また、運転していると飛行機のように操る楽しさが感じられる。高い安全性を求める分だけ製造コストは高くなりますが、1ドル=80円前後の円高でも販売台数を伸ばしてきた。この安心と楽しさを提供する。これが我々の強みです。

── その上でどんな具体策を。

吉永 販売台数が多い他社に比べて、我々は調達コストを削減しにくいため、価格競争はしない。少ない経営資源を安心と楽しさという付加価値の追求に集中投資しようと決めました。そこで、コスト競争に陥りやすい軽自動車の開発と生産をやめました。当時の森郁夫前社長に相談しながら下したこの決断が勝負どころでした。軽自動車の開発担当者を小型車に移し、それによって誕生した「XV」や、トヨタ自動車との共同開発のスポーツカー「BRZ」の販売も好調です。

── 米国で好調の理由は?

吉永 理由は三つ。一つは品質。「安全性は商売にならない」と言われましたが、米国道路安全保険協会(IIHS)の安全性評価で、米国で販売している全車種が最高評価を獲得しました。日本人はメーカーで車を選ぶ傾向がありますが、米国人はIIHSの評価などを基に品質で選んでくれました。二つ目はマーケティングの成功。米国の販売会社も「スバルとは何ぞや」と議論した末、彼らも価格競争から価値訴求へと転換しました。米国の乗用車の値引きは平均2400ドルですが、スバルは業界で1~2番目に少ない800~900ドル。価格が維持され、中古になっても人気があり、販売代理店ももうかる好循環が生まれています。三つ目は販売体制の強化。621の販売店のうち5年間で3分の1を入れ替えました。リーマン・ショックでゼネラルモーターズやフォードを契約解除になった実力ある販売代理店がスバルに乗り換えたのです。

 20年ごろまでに世界販売台数100万台の目標を掲げる。米国市場は50万台を見込むが、うち20万台は日本から輸出する考えだ。

── 生産体制の考え方は。

吉永 自動車は世界的に見れば成長産業で、20年ごろには年間の総販売台数は1億台と見込まれています。新興国で台数が伸びるのは分かっていますが、新興国に生産拠点を造って台数を追う場合は、規模が大きい会社が有利。我々は異なるビジネスモデルで際立った会社になりたい。まずは好調な米国市場で生産能力を増強します。中国は設備投資の許可を申請中で、他の新興国は富裕層をターゲットに輸出で対応します。
 ベンツやBMWも本国での生産が7割です。我々の車作りも、国内の取引先との関係の上に成り立っています。この産業集積なくして、スバルの品質維持はできない。好決算のこの機に、取引先の生産体制の効率化を支援します。

── 「100万台以上は目指さない」と発言されているとも聞きます。

吉永 正式に決めたことではありませんが、意識的に発言しています。販売が好調なので、コンパクトカーを新興国で製造しようという話が持ち上がりかねません。議論自体が無駄なので、あえて「100万台以上は目指さない」と極端な言い方をすることで、規模の競争はしないという方向性をはっきりさせています。

── トヨタの協力で今年6月にハイブリッド車を発売しました。

吉永 1カ月で目標台数の13倍。他社のハイブリッド車よりも燃費は悪いのですが、居住性がよくて加速がいい点をお客様に支持していただけたのがうれしいですね。当社のエンジンは独自の「水平対向エンジン」なので、トヨタさんのシステムをそのまま搭載することはできません。技術などを勉強させて頂き、結果として自社開発しました。技術陣を中心に「電動化時代にも生き残れる」という自信がつき、社内に広がっていた閉塞感がなくなりました。動力は変わっても、走りの味を提供する。それがスバルです。(Interviewer=横田恵美・本誌編集長、構成=望月麻紀・編集部)

 ◇横顔

Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか
A 工場のフォークリフトの運転手からセールスマンになり、次に経理を学んでいたら突然、企画部門へ。いろいろやりました。
Q 最近買ったもの
A 7月に車をレガシィからXVに買い替えました。色はサテンホワイトパール。納車待ちでご迷惑をかけているハイブリッド車ではありません。
Q 休日の過ごし方
A プールに行き、後は読書をするか、「今すべきことを全てやっているか」と仕事のことを考えています。
………………………………………………………………………………………………………
 ■人物略歴
 ◇よしなが・やすゆき
 東京都出身。1977年成蹊大学経済学部卒、富士重工業入社。戦略本部長やスバル国内営業本部長、販売促進部長、専務などを経て、2011年6月から現職。59歳。