2015年

5月

19日

問答有用:新垣 隆 作曲家・ピアニスト 2015年5月19日号

◇ゴーストを脱して活動「人の希望に応えたい」


聞き手=藤沢 壮

(編集部)


-- 佐村河内守氏のゴーストライターだったと告白して大変な騒ぎとなりました。当時はどのような心境でしたか。

新垣 もうおしまいだと思っていました。

 公表すれば、予定していたコンサートなどを含めて音楽の仕事はすべておしまいだと。完全なピリオド(終止符)です。「交響曲第1番 HIROSHIMA」が多くの人に注目されるようになり、11年にCDが世に出てしまった時点で、「こういう日はいつか来るだろう」と考えていました。

-- 仕事を再開できるという期待はわずかでもあったのですか?

新垣 いえ、ありませんでした。佐村河内氏の仕事を引き受けていた頃も、大学時代の仲間たちなどと作曲やピアノ伴奏などの仕事はしていて、会見後も仲間たちとの関係は変わらないだろうと思っていました。でも、それは身近な間柄だからであって、社会に受け入れられるのは無理だと思うわけです。

 ですが小さなコンサートのピアノ伴奏など、仲間が少しずつ助け舟を出してくれました。昨年6月には、桐朋学園大学出身の演奏家約20人が集まり、私がピアノで共演するコンサートを企画してくれたのです。・・・・・・・・・