2015年

6月

02日

特集:世界史を動かす聖書と金利 2015年6月2日号

 ◇聖書が禁じ、教会が認めた歴史 神と人の綱引きが定める水準


柳沢哲哉

(埼玉大学経済学部教授)


「金利」は経済活動を行う上で欠かせない存在である。金利があるから人々の投資が促進され、それによって社会が発展してきた。ところが、歴史を振り返ると、宗教が金利を禁止していた時代があった。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の経典である「旧約聖書」(ユダヤ教では単に「聖書」と呼ぶが、以下旧約聖書とする)には、金かねもうけの罪悪視や金利を禁じる叙述がいくつもある。金利の禁止については、「異邦人には利子を付けて貸し付けてもよいが、あなたの兄弟に貸すときには利子を取ってはならない」(「申命記23章20」)、「その人に金や食糧を貸す場合、利子や利息を取ってはならない」(「レビ記25章37」)といった具合である。この教えを絶対とした古代の宗教世界では、金貸しは罪深い行為とされ、高い金利を取る者は処罰されることもあった。

 古代の一神教の世界が金利を禁じていたのはなぜか。また、いつ、どのようにして金利が当然のように存在するようになったのか。


 ◇共同体を守る金利禁止


 その答えの足掛かりは、多神教だった古代ギリシャに見ることができる。紀元前4世紀頃の哲学者アリストテレスが、貨幣を貸し付けて利子を取る行為を「最も自然に反するもの」と言ったように、古代の指導者たちは金利を厳しく批判した。アリストテレスが活躍した都市国家アテネは、「ペロポネソス戦争」で好敵手スパルタに敗北し、やがてマケドニアに支配されていく衰退期にあった。

 経済成長が望めない共同体では、貧富の格差が拡大しやすい。そうした中、自由な営利活動、とりわけ金利を目的とした貸し付けは、金を借りても返せない自由民を生んだ。土地所有者の中には没落していく者もいた。つまり、金利は人々の困窮に拍車をかけ、階層秩序を崩壊させかねない危険性を持っていた。

 プラトンたちの議論は共同体の危機への対応という観点から読むことができる。プラトンが『国家』で描いた理想国家は、人口を一定に保つように管理し、自由民による貨幣の使用を認めない共産制社会であった。アリストテレスは貨幣の使用を認めたが、営利活動は禁止しようとした。「貨幣は交換の手段であって、金もうけの手段ではない」というのがその理由である。

 一方、ユダヤ教は、ユダヤ人が旧約聖書にある「イスラエル12部族の子孫」と言われるように、部族社会を基盤としていた。その流れをくむキリスト教も初期にはそうであっ

た。部族のような狭い社会は、高利貸しを放置すれば社会秩序が維持できない。宗教が共同体を守るために、教義で金利を禁じようとしたのは自然であったと思われる。


 後のローマ帝国の時代になると商業が繁栄し、両替や金利付きの貸し付けを行う金融業も登場する。しかし、ローマ帝国の分裂後、西欧は自給自足を中心とする封建制社会の時代を迎え、商業活動や金融業は衰退する。そのころ人々の生活に浸透していたのがキリスト教であった。

 商業や金融業が主要産業でない社会では、金利も重視されない。金利を禁じる聖書の教えは、金貸しにとっては不都合でも、社会と齟齬を来すことはなかった。当時の神と人の綱引きの結果が、金利を否定した。


 ◇社会の調和のため金利容認


 12世紀になると、イタリアを中心に、農耕に代わって商業活動が活発になる。遠隔地貿易も盛んになり、大きなお金を融通し合う上で、金利は欠かせないものになっていった。共同体が小さかった頃は、内部の調和を保つために必要だった金利の禁止は、社会経済が大きくなるにつれ、現実との間で軋轢を生み始めた。神と人の綱引きが再び始まった。

 その頃、カトリックの宗教会議は、高利貸しとなるキリスト教徒の増加を憂え、しばしば金利の禁止を繰り返していたが、経済活動を行う上で金利を必要とする人々の要請を無視できなくなった。神学者たちは、現実と伝統的なキリスト教の教えとを調和させる必要に迫られた。社会と齟齬を来さないためには、教会は金利を認めなければならなかった。

 金利はラテン語で「ウスラ(USURA)」と言う。もともとはあらゆる金利を含む概念だったが、中世の教父たちや教会法が「与える以上に受け取ること」と定義したことで、「正当でない」金利という意味を持った。従ってウスラは通常、「高利」と訳される。これは、英語の高利「USURY」の語源となった。

 従って、教父たちが現実と折り合いをつけ、金利を認めるには、いわば「正当な」利子、すなわち「与える以上に受け取ること」のない利子を説明しなければならなかった。

 この作業に取り組んだのが、中世最大の神学者トマス・アクィナスである。トマスは、カトリックの本山ローマの南、ナポリ近郊で生まれた。彼が13世紀後半に著した『神学大全』の中でウスラを取り上げ、聖書やアリストテレスを引き合いに出しながら、ウスラを否定している。

 それに続いて、貸手はウスラと異なる「便益」を要求できるか? という問題を論じている。これが興味深い。トマスは金の貸手は、借り手に対し、次の三つを要求できるとした。①損害の補償。例えば、返済に遅延が生じた場合に、ペナルティーを契約に盛り込むことなどが挙げられる。②一種の「組合」の形で商人や職人に貨幣を委託した場合の利得の受け取り。今日風に言えば、会社への出資者が利潤の一部を取得できることである。③早期の支払いの際の代金の割引──である。

 重要なのが①損害の補償である。損害の補償は、ウスラとは質的に異なる金利(インテレセ)として正当性が認められていく。これは後に二つの方向で発展していく。一つは、無利子の返済期間を短縮することで、ペナルティーを実質的に金利化する道である。無利子期間がゼロになれば、それは金利と同じである。やがて神学者の間でも無利子期間をなくしてよいとする議論が生まれる。

 もう一つは、市民法に起源を持つ「損失利得」を容認する道である。トマスが活躍した13世紀は地中海貿易が盛んになっていた。貿易商に出資して利得を得ることは、②にあるように問題がなかった。もし、別の人に無利子で貸し付けを行えば、出資すれば得られたはずの利得が得られなくなる。これは利得の損失と見なせるだろうか? もし、損失と見なせるならば、その損失分を①の補償として要求してもそれはウスラではない。これが損失利得として利子を容認する道である。


 ◇「損失利得」としての利子


 損失利得は今日の経済学でおなじみの「機会費用」の考え方である。トマスもこの考え方をよく知っており、検討した。しかし、最終的には損失として認めず、①から除外した。神学者の間ではトマスの見解が多数派だった。損失利得としての利子が受け入れられたのは、長い論争を経た14世紀である。現実の社会と齟齬を来さないために、教会は利子の解釈を変更していったのである。神と人との綱引きは、時間をかけて新しい場所へと移っていった。

 ウスラの禁止は、経済理論の観点からは、資源の最適配分をゆがめ、経済成長のブレーキ役であったと言えそうだ。一方で忘れてならないのは、ウスラの禁止が共同体の維持という社会的機能と結びついていた点だ。今日の金利規制がそうであるように、ウスラの禁止も少なからぬ人々の生活を守ってきたはずである。

 だからこそ、トマスをはじめとする教会関係者は、金利を禁止する聖書を尊重しつつ、実質的に金利を正当化する道を模索し続けたのだ。逆に言えば金利が抑制されていたからこそ、多様な金融技術が編み出され、経済を発展させてきたと言える。

 いつの時代も、経済の大きなうねりが、社会を根底で動かす原動力となってきた。教会は人々の欲望に歯止めをかけようとしつつも、成長する経済と折り合いをつけ、世の中の変化に順応しようともがき続けてきた。宗教と経済のせめぎ合いは人類の歴史そのものであり、この神と人の不断の綱引きが時代に合った金利を決めてきたといえる。