2015年

8月

04日

追悼:独創的理論と実証で経済を解く 青木昌彦氏死去

 ◇マル経から比較制度分析へ


橘木 俊詔

(京都大学名誉教授)


 青木昌彦・米スタンフォード大名誉教授=写真=が7月15日、77歳で人生の幕を閉じた。素晴らしい学問的な業績のみならず、学界・社会活動でも華やかな生活を送られた人生を振り返ってみたい。

 一言で要約するなら、英語でいう「flamboyant(華麗な)」人生ということになろうか。私との個人的な関係は、京都大学において昔の講座制の下で青木教授・橘木助教授という師弟関係であったので、公私ともにお世話になった。

 まず人生を語れば、育ちは今でいう湘南ボーイであり、カッコよく生きる姿が自然に育っていた。東京大学経済学部ではマルクス経済学を専攻し、当時の学生運動の幹部であったことは皆の知るところである。姫岡玲治のペンネームでアジ論文を書いていた。北大生で当時のスター闘士・唐牛(かろうじ)健太郎氏と親交のあったことをよく話してくれた。

 マル経を離れて対極の近代経済学を勉強するためアメリカに渡り、ミネソタ大で博士号を取得してから、スタンフォード大、ハーバード大で教えた。近経への転向については今でも昔の仲間から批判の声があるが、先生なりの根拠があって意に介していなかった。日本に帰国後は京大で研究生活を送ってから再びスタンフォード大に移り、そこで大学生活から降りた。

 しかし日本は先生のことを放っておかず、経済産業研究所の所長に招いて、役所での研究に指導的役割を果たした。ここで書かれた大学名はトップ級の大学ばかりであるし、名誉としても日本経済学会会長、IEA(国際経済学連合)の会長を日本人としては都留重人・元一橋大学学長に次いで2人目として務めた。

 学問的業績については、高年時代における比較制度分析が輝いているが、これは他所でも語られていることなので多くを書かない。むしろ、若年・中年の頃の業績について書いてみたい。Ph・D論文では一般的均衡論の枠組みの中で、収穫逓増や外部経済の存在下において、解が存在するのか、あるいは分権的計画が可能なのか、といった課題を、先駆者であるレオニード・ハーヴィッツ・ミネソタ大学教授(2007年ノーベル経済学受賞)の下で解明して、「アオキあり」を世界の学界に知らしめた。


 ◇日本経済の強さ証明


 次の仕事は、当時の日本経済が強い時代に、そのメカニズムを理論と実証で解明したことである。労働における年功序列制と終身雇用制、資本におけるメインバンク制と株式持ち合い制を「制度的補完」というキーワードによって、なぜ日本経済が強くなったかを見事に証明した。

 特にゲーム理論を用いての証明手法に独創性があった。私も青木プロジェクトの一員としてこの実証分野でささやかながら貢献できたことは幸せであった。日本経済が繁栄を続けていればノーベル経済学賞を取れたかもしれなかったが、その弱体化によって受賞可能性が低下したことは残念であった。

 その後は視野を世界に拡大して、中国やアジア・中東諸国・旧東欧諸国までを含めた比較制度分析へと移っていった。経済体制の比較という壮大な研究プロジェクトは、ほぼ完成期にまで至った仕事とはいえ、まだ多少の心残りがあったろうから、道半ばで終了したことは無念である。

 思い出と言えば、先生は野球は私と同じくトラファンで、時折甲子園球場までご一緒した。西宮生まれの私は当然としても、湘南ボーイがなぜ阪神なのか、巨人を体制派とみなしての反抗心の強さから、と想像していた。


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 ■人物略歴

 ◇あおき まさひこ

1938年生まれ。62年東京大学経済学部卒、64年同大大学院修士課程修了。67年米ミネソタ大学で博士号を取得。米スタンフォード大、米ハーバード大、京都大学教授などを歴任した。97~2004年に通商産業研究所(現・経済産業研究所)所長に就任。08~11年に国際経済学連合(IEA)会長を務めた。理論経済学における「比較制度分析」の分野を確立し、国・地域で異なる経済システムと、それが採用されるメカニズムの解明に尽力した。日本人で初のノーベル経済学賞の有力候補とされた。(編集部)