2015年

8月

11日

よみがえる絶版本:異業種からも参入続々 2015年8月11・18日合併号

◇電子書籍は絶版を救うか


永江 朗

(ライター)


 電子出版を手がけるボイジャーがこの7月、片岡義男の全作品デジタル化プロジェクトを始めた。『スローなブギにしてくれ』や『彼のオートバイ、彼女の島』などで知られる片岡には、現時点で600点近い小説作品がある。さらに『10セントの意識革命』や『日本語の外へ』『文房具を買いに』など、評論やエッセーを含めると膨大な作品数になる。それらをすべて電子書籍化しようというのだ。まずは第1期として小説100点を1点250円で配信開始した。ボイジャーはすでに池澤夏樹の全作品電子化にも取り組んでいる。

「作家にとって、自分の作品が絶版にならず、書店に並び続けるのは大きな誇りだ」とある作家は言う。しかし現実には難しい。年間新刊発行点数は約8万点。ただしこれは取次(出版販売会社)を経由して書店などで販売される書籍の数で、出版社や団体から書店に直接卸される本を含めるとさらに多くなる。いくら大型書店が増えたとはいえ、書店の棚には限りがあり、取次や出版社の倉庫にも限界がある。在庫を管理するにも費用がかかるのだ。そのため、大量の新刊が刊行される陰で、大量の既刊書が絶版になり、断裁されて古紙パルプになっている。

 電子書籍が登場したとき、「これで絶版がなくなる」と言われ、作家にとっても読者にとっても朗報だと思われた。実際、片岡や池澤のプロジェクトを見るとそう感じるし、他社では小田実や開高健の全集が電子書籍化されている。ほかにも絶版になった本や長らく品切れになっていた本が電子書籍化されている例はたくさんある。元の紙の本を出していた出版社とは別の会社が電子書籍を出すこともあるし、その会社が出版社ではない場合もある。例えば椎名誠の初期エッセー、『気分はだぼだぼソース』はクリエイター・エージェンシーのクリーク・アンド・リバーから出ている。

 しかし電子書籍の現実は、当初抱かれいたようなバラ色のものではなかった。まず、電子書籍化にもそれなりのコストがかかる。紙代や印刷代は書籍の製作費用の一部でしかないし、紙の本を電子化する場合でも校正作業にはコストがかかる。コストを回収できる見込みのない本は電子化が進まない。品切れや絶版になるのは売れない理由があるからで、電子化されたら売れるということはあまり考えられない。そもそも電子書籍のマーケットは紙のそれよりもはるかに小さい。


◇10年後は読めない危険

 

 また、一度電子化してしまえば半永久的に読めるというのも幻想だった。読者は書物の電子データそのものを購入するのではなく、電子書籍にアクセスする権利を買っているにすぎない。そのため電子書籍を提供している電子書籍ストアがサービスをやめると、購入した電子書籍が読めなくなる可能性がある。専用端末やタブレットなどにダウンロードしていても、その機器が故障したり買い替えたりしたとき、再ダウンロードしようにもダウンロード元の電子書籍ストアが存在しないという事態も起こりうる。機器は壊れたり紛失したりすることがあるし、陳腐化したので買い替えることもある。

 実際に電子書籍ストアの撤退は起きており、購入者にポイントで返金するなどして対処している事業者もある。

 現在の電子書籍のフォーマットが、いつまで使えるのかも不明だ。近い例を挙げると、筆者は1980年代の中ごろからワープロを使用して原稿を書いてきた。初めはワープロ専用機で、次にパソコンにワープロソフトを走らせて使ってきた。記憶媒体も磁気テープにはじまって現在のクラウド・ストレージまでさまざまに変化してきた。そのため80年代、90年代に書いた原稿はほとんど読むことができない。データを変換するソフトを使ったり、サービス会社に依頼すれば可能かもしれないが、わざわざその手間とお金をかけてするほどのことではない。IT技術の変化は速く、10年後はおろか5年後も現在の電子書籍フォーマットが有効かどうか分からない(ちなみに筆者は15年ほど前から、原稿は拡張子が「.txt」の、いわゆるプレーンテキストで執筆している)。

 紙の書籍なら、絶版になろうと出版元が倒産しようと、古書市場で入手することが可能だし、所有はできなくても読むだけなら図書館を使えばいい。千年前、紙に墨で書かれた文書がまだ読めるのに、現在の電子書籍は10年後も読めるかどうか分からない。そう考えると、電子書籍はまだまだ発展途上のものだということが分かる。フォーマットや販売方法も含めて、これからも変化していくだろうし、いまは当たり前のようにつけられているDRM(デジタル著作権管理)というコピー防止ソフトも将来的にはなくなるかもしれない。電子書籍が本当に絶版本を救うのは、かなり先のことになりそうだ。