2015年

9月

07日

特集:原油30ドル時代の幕開け 2015年9月8日号

◇世界中でマネー逆流


中川 美帆(編集部)


 8月21日のニューヨーク・マーカンタイル取引所の原油先物相場は、代表的指標の米国産標準油種(WTI)の価格が1バレル=39・86ドルまで下がり、リーマン・ショック後の2009年3月上旬以来、初めて40ドルを割った。週が明けた24日は一時37ドル台とさらに下落。昨年7月末には100ドル台で推移していたので、約1年で半値以下に落ち込んだことになる。

 株式市場では、原油安で収益悪化が懸念される石油関連銘柄を中心に、売りが集中。8月21 日のダウ工業株30種平均は、約10カ月ぶりの安値となる1万6459ドル75セントで取引を終えた。

 原油暴落を引き起こした要因は、中国の景気減速懸念に伴う投資家心理の冷え込みだ。8月11日から3日連続で行われた人民元の切り下げ、20日に発表された中国の製造業関連指標の悪化により、中国の需要が落ち込むとの警戒感が広がった。中国だけでなく、原油需要の拡大を引っ張ってきた東南アジアなどの新興国経済も失速し始めた。

 半面、供給は増えている。米国のシェールオイルは高水準の生産を維持。石油輸出国機構(OPEC)のサウジアラビアやイラクの生産量は6〜7月に過去最高水準を記録している。7月のイラン核合意を受け、米欧が対イラン制裁を解除すれば、イラン産原油も国際マーケットに放出される。

 さらに、米国の利上げが近づき、ドル高期待が高まったことで、投資家が原油から資金を引き揚げ、ドルに回帰したことも、原油相場を押し下げた。


◇巨額投資があだ


 原油価格の暴落は、エネルギー関連の株式、債券、権益投資、投資信託など、広範囲に悪影響をもたらして、資産価値を目減りさせる。

 エネルギー関連の資金調達と投資は近年、激増していたので、反動も大きい。歴史的な低金利と高い流動性(カネ余り)のなか、社債の起債額は今や世界で年5兆ドル超、シンジケートローン(銀行団による協調融資)の年間組成額は年4兆ドル超に達している。このうち最大の資金調達主体が、エネルギー業界だ。

 とりわけ米国のエネルギー関連の会社は、シェールオイル開発が急ピッチで進んだこともあって、大量に社債を発行してきた。米国でシェール開発に関わる会社は、社歴の浅い新規参入者が多い。そうした会社が資金調達の手段として積極的に活用してきたのが、「ハイイールド社債」(信用力の低い社債)だ。原油価格が上昇していた10〜14年の5年間の米ハイイールド社債の発行額は合計約1・4兆ドルで、このうち約2700億ドルをエネルギー業界の発行が占める。格付けの低い会社が、高い貸し出し利回りで借り入れる「レバレッジドローン」も急増した。

 このように、信用力の低いエネルギー関連の会社が社債やローンで調達した金額は、過去5年間で合計約1兆ドル(約120兆円)に上る。こうした会社のハイイールド社債やレバレッジドローンによる資金調達は、一般的に、将来のキャッシュフローを信用力の源泉にしている。その前提になるのは原油価格の上昇だ。しかし、原油安でその前提が崩れたため、社債価格は暴落(利回り上昇)。エネルギー以外の低格付け社債にまで、売りが波及している。原油安が長引けば、経営が悪化し、債務不履行に陥る会社が増える恐れがある。


◇減損が広がる


 原油安は、実業にも影を落とす。企業は原油高への期待から、権益確保など、さまざまなエネルギー関連の投資をしてきた。世界の14年1年間の公表金額だけで5000億ドル(約60兆円)弱に上る。これは、企業のバランスシートに、巨額の投資を固定資産として計上していると言える。原油が暴落したことで、エネルギー関連の投資価値を減損処理する動きが広がる恐れがある。

 業績が悪化したエネルギー関連の会社は、設備投資を減らしたり、雇用調整に踏み切ったりする。とりわけ、シェールオイルの増産で14年に世界最大の産油国になった米国で、その傾向が顕著だ。今年1月には、米テキサス州のシェール開発会社WBHエナジーが経営破綻したニュースが伝わり、世界に衝撃が走った。原油価格が急落し始めた昨年夏以降で初の米シェールオイルの開発会社の破綻とされる。

 米調査会社によれば、15年1月の米エネルギー関連会社によるレイオフ(人員整理)計画数は2万人を超えた。これは、産業別のレイオフ計画数が得られるようになった01年10月以降で最大だ。 シェールオイルの巨大産地がある米ノースダコタ州とテキサス州では、失業保険の受給を申請する人が増えている。会社が倒産したり失業者が増えたりすれば、税収も減る。個人の自動車ローンの焦げ付きも増えかねない。シェールブームに沸いた土地開発や不動産への銀行融資が、焦げ付くリスクもくすぶる。

 石油産業を支える産業は幅広い。労働者の増加を見込んだオフィスやホテル、住宅の開発や、運送業、レストランなど多岐にわたる。原油安による危機は、こうしたエネルギー関連以外の産業にも飛び火する。

◇新興国から資金が流出

 

 一方、中東のペルシャ湾岸産油国はどうか。これらの国は、国家歳入に占める石油関連収入の割合が高いうえ、政府が石油利権を掌握している。原油安は、政府の歳入減少に直結する。

 国際通貨基金(IMF)の試算によると、原油の1年間の平均価格が1バレル=99・4ドルから56・7ドルに下がった場合、ペルシャ湾岸産油国の輸出は合計約3000億ドル減る。これは湾岸産油国にとって、名目国内総生産(GDP)の21%に当たる資金流入が失われることを意味する。

 産油国の原油収入「オイルマネー」は、政府系ファンドの「ソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)」を通して、世界の金融市場に還流している。SWFの調査機関によると、世界のSWFの預かり資産は昨年末時点で約7・1兆ドルとなり、5年間で1・8倍に増えた。SWFの預かり資産の約6割は、原油やガス収入を原資としたファンドのものだ。 これらSWFが国家財政を補塡するために、国際金融市場からオイルマネーを引き揚げる(逆流する)のではないか──。そんな警戒感が市場関係者の間で強まっている。もしSWFがオイルマネーを引き揚げれば、国際金融市場の流動性が低下して、投資先の新興国の不動産価格や株価が下がり、新興国が資金調達難に陥ることになりかねない。

 歳入が減った産油国が歳出削減に踏み切れば、国民の給料が減って、不満が高まり、社会不安が広がる恐れもある。過激派組織「イスラム国(IS)」などが勢いづくかもしれない。治安が悪化すれば、外資企業が参入を足踏みして、経済はさらに低迷する。

 また、これまで原油価格の調整役を担ってきたサウジの優位性が低下する可能性がある。潜在的な生産能力のあるイランが将来、存在感を高め、価格形成をめぐるサウジとの覇権争いになり、中東のパワーバランスが変わることも考えられる。

 原油安は中東以外の産油国の景気も悪化させ、株価や通貨を下押ししている。インドネシアの通貨ルピアは8月下旬、1ドル=1万4000ルピア台に下落。1997年のアジア通貨危機の直後に匹敵する安値になった。世界の投資資金が逆流し始めたことで、これまで資源収入への期待から恵まれた資金調達が可能だった多くの新興国が危機に直面している。

 

◇日本企業にも逆風

 

 他方、日本経済にとって、原油安はメリットが大きい。日本の原油消費は米国、中国に次ぐ世界3位。日本は世界最大の液化天然ガス(LNG)輸入国でもある。このため原油安は、貿易収支の改善などに寄与する。ガソリン代や電気料金の下落を通じて、家計にもプラスに働く。

 半面、資源ビジネスは苦境にある。石油元売り大手の出光興産と昭和シェル石油は、経営統合することで基本合意した。国内市場の縮小に加え、原油安による在庫の評価損が影響している。

 石油やガスのプラント建設では、原油安のもとで発注者が収益性を見極めようと、最終投資判断が先送りされる傾向にある。「有力案件が減るなかで発注があれば、韓国企業など世界中の企業が一斉に入札するので、価格競争が激しくなる」(SMBC日興証券の大内卓シニアアナリスト)。日揮や千代田化工建設のようなプラント会社にとっては厳しい状況だ。

 最近の数少ない大型案件で、三井物産が権益の20%を保有するモザンビークのLNG事業(エリア1鉱区)は、千代田化工建設らの企業連合がプラントの設計・調達・建設作業(EPC)企業に選定された。最終投資決定(FID)は年内を予定するが、来年3月になる可能性がある。

 総合商社の資源ビジネスの多くは減益に陥っている。伊藤忠商事は今年6月、出資していた米開発会社の株式を売却して、シェール開発事業から撤退した。大和証券の五百旗頭治郎チーフアナリストは「油価下落が商社の業績に与える影響は15年度から本格的に出る」と予想する。

 資源を大量消費する中国景気の減速によって、原油だけでなく、銅など他のコモディティー(商品)価格も激しく下落した。非鉄会社などに収益悪化懸念が出ている。

 UBS証券の山口敦シニアアナリストは、「足元の非鉄市況が続くと、住友金属鉱山の経常利益は、15年度に会社計画の1480億円から1200億円に減少しかねない。チリのシエラゴルダ銅鉱山事業は減損リスクもある」と危ぶむ。

 住友商事が20億ドルを超える投融資や保証を手掛けるマダガスカルのニッケル鉱山開発事業「アンバトビー」は、「現時点では減損の対象としていない」(住友商事)が、ニッケル価格の暴落が続けば、減損リスクが高まる。

 今後、石油の需要が回復するには時間がかかり、原油価格の低迷は長期化するとの見方が市場関係者の間で強まっている。みずほ総合研究所の長谷川克之市場調査部長は「原油暴落のなかで、投機筋のロングポジション(買い持ち)が急速に減少してきたが、歴史的には引き続き高水準にとどまっており、さらなるポジションの調整による売り圧力が残っている。リーマン・ショック後の最安値である1バレル=32ドル台を試す展開も予想される」という。いよいよ原油30ドル時代に突入だ。 一方で、原油安が長引けば、投資が減って開発は停滞する。石油開発では、原油を探鉱してから生産するまで3〜5年ほどかかる。このため開発が停滞すれば、5〜10年後に供給が足りなくなり、油価が急騰する可能性もある。

 原油安は世界経済を混乱に陥れる。

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