2015年

9月

08日

選挙:米大統領選に吹き荒れる“トランプ旋風”の衝撃 2015年9月8日号

安井 明彦(みずほ総合研究所欧米調査部長)


 米国の大統領選挙に、波乱が起こっている。共和党の指名候補を選ぶ予備選挙で、実業家のドナルド・トランプ氏が混戦から抜け出した。8月中旬までの世論調査では、トランプ氏の支持率は20%台前半で推移している。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事など居並ぶ有力候補者たちを10ポイント以上引き離す調査結果も珍しくない。

 米国の政治評論家は、トランプ氏の人気を一時的な現象と見ていた。不動産王として抜群の知名度を誇るトランプ氏だが、政治経験は皆無であり、問題発言も多いからだ。

 こうした評論家の低評価をトランプ氏は見事に覆した。6月の立候補から2カ月を経てもトランプ旋風は吹き荒れ続けている。

 普通の政治家であれば予備選挙からの脱落につながりかねない言動を繰り返しても、トランプ氏の支持率は揺らがない。ベトナム戦争の英雄として尊敬されるジョン・マケイン上院議員を、「捕虜になったから英雄と言われているだけだ」と侮蔑する。女性蔑視の発言を重ねたかと思えば、外交面でのアドバイスを誰から受けるかと聞かれ「テレビの討論番組」と答える。退役軍人、女性を攻撃し、外交的な人脈の弱さを披歴するという、これまでの大統領選挙の常識からはみ出した規格外の言動でも、「テフロン(加工のように傷つかない)・トランプ」の快進撃は止まらない。

 トランプ氏を支えるのは、既存の政治に取り残された有権者だ。

 トランプ氏への支持は、保守派だけでなく、穏健派にも広がる。なかでも安定的な支持勢力となっているのが、男性を中心とした高学歴ではない白人である。

 高学歴ではない白人は、工場労働者などのブルーカラー層が多く、金融危機や製造業の衰退に大きな打撃を受けた。経済的に取り残されたと感じており、不法移民や自由貿易への反感が強い有権者である。中絶問題などの社会政策については保守的であり、政府に対する反感が強い一方、公的年金や医療保険については、「保険料を納めてきた者の当然の権利」との考えから、その削減に反対する傾向にある。


 ◇取り残された有権者


 こうした有権者は、既存の政党の枠組みからはみ出しやすい。共和党には不法移民に厳しい勢力があるが、自由貿易を支持し、年金などは削減すべきとの意見が主流である。民主党は年金などを擁護するが、移民には寛容であり、中絶容認などの社会政策でも相いれない。結果的に、高学歴ではない白人は、経済面のみならず、政策的にも取り残される。

 そうした中で、彼らに合致する政策を提示したのがトランプ氏だった。トランプ氏は、全ての不法移民を本国送還すべきだとするなど極めて閉鎖的な移民政策を主張する。通商政策では、中国や日本、メキシコに「やられっぱなし」というのが口癖であり、高関税などによる徹底的な対抗が持論である。そして年金などに関しては、共和党の主流意見とは違い、削減反対の立場を取っている。

 8月21日にトランプ氏は、遊説先のアラバマ州で、「サイレント・マジョリティー(声なき多数派)が戻ってきた」と宣言した。高学歴ではない白人は、1960年代にサイレント・マジョリティーと呼ばれ、ニクソン政権の誕生を支えた勢力と重なる。高学歴化やヒスパニック(中南米系)の増加などにより、今ではマジョリティーとは言えなくなったこの勢力が、トランプ氏を支えている。

 サイレント・マジョリティーの心をつかんだトランプ氏の政策のうち、とくに共和党にとって厄介なのが、移民政策である。共和党は、曖昧にやり過ごそうとしていた問題に、はっきりとした態度を示さなければならなくなった。

 共和党にとって移民政策は、できるだけ穏便に済ませたい論点だった。党内に不法移民への強硬な対応を主張する勢力がある一方で、ヒスパニックの反感を買えば、党の未来を危うくするとの意見も根強い。そのため共和党は論点を新規不法移民の流入阻止にとどめ、既に入国している不法移民の扱いは曖昧にしておこうとした。

 トランプ氏の躍進により、曖昧な立場は許されなくなった。トランプ氏は全不法移民の本国送還に加え、不法移民による本国への送金禁止や、米国で不法移民が出産した場合には、国籍の出生地主義を適用せず、米国籍を与えないなどさまざまな提案を行っている。

 共和党の各候補者は、トランプ氏の提案に賛否を示さなければならなくなった。移民に敵対的な意見が目立つようだと、共和党はヒスパニックの支持を著しく損ねかねない。共和党にとって大統領選挙の勝利が遠のく悪夢のシナリオだ。


 ◇“本音”が受ける


 見逃せないのは、サイレント・マジョリティーを超えてトランプ支持の裾野が広がり始めていることだ。8月中旬の世論調査では、「トランプ氏が指名候補を獲得する可能性が高い」と見る共和党支持者が57%に達している。出馬直後の調査ではその割合は3割に満たなかった。

 どうやら常識からはみ出したトランプ氏の言動が、既存の政治家に飽き足りない米国民の琴線に触れているようだ。米国民には、トランプ氏の度重なる問題発言が、政治家としての計算ではなく、本音で語っている証しと映る。計算ずくの発言しかしない政治家との違いに米国民は魅せられている。

 既存の政治家に対する批判はトランプ氏の十八番である。トランプ氏は、他の候補者を「世論調査を分析するスタッフに言われたことを言っているだけ。まがい物だ」「言っていることは冗談と同じ。実現する力がない」と切って捨てる。返す刀でトランプ氏は、自らの実業家としての経歴を引き合いに、「ディールメーカー(取引を実現させる者)」としての実力を強調する。

 さらにトランプ氏は、自らの裕福さこそが、既存の政治家には持ち得ない強みだと主張する。既存の政治家は、選挙資金集めに忙殺され、利益集団の意向に左右されやすい。これに対してトランプ氏は、金の心配をせずに、思いのままに政治ができる、というわけだ。

 トランプ氏ほどの異質な人物を歓迎するほど、米国民には既存の政治に対する不満がうっ積している。

 対テロ戦争から金融危機へと、2000年代の米国は、外交・政治の両面で大きな苦難に直面してきた。それらが一服したかに見えた現在でも、「イスラム国」の台頭や中国発の金融市場の混乱等、不安材料は後を絶たない。世論調査では、10年以上にわたり「米国は間違った方向に進んでいる」との回答が多数を占め続けているのが現実だ。

 国民の不満は、党派対立に明け暮れる政治に向かう。08年に米国民は、「変化」をうたい、党派対立の克服を約束するオバマ大統領を選んだが、その期待はあっけなく裏切られた。「もう奇麗ごとは聞きたくない」。そんな米国民の思いが、トランプ旋風の背景にあったとしても不思議ではない。

 どこまでトランプ氏が走り続けられるかは未知数だ。足元の金融市場の混乱は、トランプ氏の実業界での経験がさらに評価される材料になり得る半面で、安心感を求める米国民が「規格外」の候補に恐れをなし、経験豊富な政治家に回帰する契機となる可能性も指摘できよう。

 しかし、トランプ氏が脱落しても、旋風を支えた不満は残る。米国には「トランプ氏は不満を持つ国民が選んだ乗り物に過ぎない」との指摘がある。うっ積する不満を吸い上げられた候補こそが、次の大統領に近づくのかもしれない。