2015年

9月

15日

経営者:編集長インタビュー 田中 英成 メニコン社長 2015年9月15日特大号

 ◇コンタクトレンズで海外勢と真っ向勝負


 メニコンは、国内コンタクトレンズメーカー最大手(本社・名古屋市)。2015年3月期の連結売上高は過去最高の631億円、営業利益は28億円。20年に売上高1000億円を目指す。6月25日、東証1部と名証1部に上場した。


── 国産コンタクトレンズの草分け的存在です。

田中 1951年に日本で初めて、黒目のみを覆う角膜コンタクトレンズの実用化に成功したのが、私の父、田中恭一(現会長)です。父は、働いていた名古屋の老舗眼鏡店の常連だった米軍将校の夫人からコンタクトレンズのことを聞き、興味を持ちました。でも実物を見せてもらえなかったので、自分の目を実験台に、想像しながら開発を試行。当時の研究者たちは、白目まで覆う強角膜レンズをコンタクトレンズと認識していましたが、父はコンタクトレンズを見たことがなかったので、角膜コンタクトレンズを開発しました。その後、ハードコンタクトレンズの主流は角膜コンタクトレンズとなりました。現在は、素材開発から製造、販売まで、安全性にこだわって、コンタクトレンズとそのケア用品の事業を展開しています。

── 順調だったのですか。

田中 私が常勤として入社する前の1990年代後半から、業績は下り坂になりました。大きな引き金は、外資系メーカーの使い捨てソフトコンタクトレンズが日本市場に入ってきたこと。当時、当社の主体はハードコンタクトレンズで、レンズを捨てるという発想がなかった。しかも日本経済はデフレスパイラルに陥り、コンタクトの価格破壊が起きま

した。利用者は、コンタクトが医療機器だということを忘れ、(扱いがずさんになり)目の障害が社会問題に。業界全体が疲弊しました。


 日本のコンタクトレンズ使用人口は拡大しており、日本市場は14年度に約2000億円となった。首位は米国のジョンソン・エンド・ジョンソンで、約6割のシェアを外資4社が握る。かつて首位だったメニコンは、シェア約18%で2位だ。


── 業績が回復したきっかけは?

田中 会員制システムの「メルスプラン」です。私が考案し、01年に開始しました。これは、毎月2000円前後の定額料金を支払えば、レンズが汚れるなど日常利用時のトラブルが起きても、追加料金なしでレンズを交換できる制度。レンズに問題がなくても、1年たてば新品に交換できます(レンズの種類により制度は異なる)。

 従来のビジネスモデルだと、メーカーから利用者へ商流が直線的につながり、販売店に主導権がありました。これだとデフレスパイラル下で集客するには、価格を下げるしか手段がない。販売店は価格競争に明け暮れ、処方技術が落ち、サービスが低下しました。

「メルスプラン」では、利用者が当社と直接契約し、メニコンは販売店にフィー(手数料)を支払います。販売店は自ら価格を決める必要がないので、価格競争から脱却して、安定した収入を得られます。当社は安定収入を得て、開発に資金を回せる。利用者は、気軽に眼科を受診できるなど、より良いサービスを受けられます。会員数は年約6万人のペースで順調に増え、112万人になりました。会員は年数㌫しか脱会せず、収益の見通しを立てやすい点もメリット。全国でメルスプラン加盟店は約1600店、直営店(子会社の販売店であるエースコンタクトを含む)は約110店に達しています。


◇新商品ラッシュ


── 6月に上場しました。資金調達の目的は。

田中 大きいのは、新商品開発に向けた設備投資です。既に26億円を投じており、今期から3年間で19億円を使う計画です。国内で3番目の工場を立ち上げ、年内に生産を開始する予定。今年から来年にかけては新商品ラッシュが見込まれます。

── コンタクトレンズは、日本の貿易赤字の大きな原因。外資よりメニコンのシェアが高まれば、日本経済にもプラスです。

田中 外資企業がマネできないような画期的な技術を使っている商品が、使い捨てコンタクトレンズの「マジック」。黒目(角膜)に直接ふれる内面部分のレンズを、手でさわらずに装着できるので、清潔です。こういった商品を積極的に開発し、投入していきます。女性に人気のカラーコンタクトレンズは、市場が大幅に伸びているので、当社も昨年、参入しました。ナチュラルに瞳の輪郭を強調できるので就職活動にも使えますよ。

── 海外市場への取り組みは。

田中 連結売上高の海外比率は、現在の13%を、20年までに30%へ伸ばす計画です。コンタクトレンズ使用人口の多い欧米、アジアを中心に拡販していきます。先行しているのは米国で市場も大きい。中国も爆発的に伸びる可能性があります。「マジック」は、水があまり奇麗でない地域でも使いやすいでしょう。

 ただ、医療機関と信頼関係を構築せずに参入すると、価格破壊を起こし、安全性が損なわれます。そういった戦略をとる外資企業もありますが、同じ土俵で戦うつもりはなく、技術を生かし、安全性を重視するスタンスは変えません。

(Interviewer=金山隆一・本誌編集長、構成=中川美帆・編集部)


 ◇横顔

Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか

A 眼科医を経て、36歳でメニコンの常勤となり、志を持って仕事に取り組むようになりました。

Q 最近買ったもの

A 先日、知人のピアニストのコンサートに行きました。彼女がCDデビューしたので、そのCDを買いました。

Q 休日の過ごし方

A 寝ているか仕事のことを考えていることが多いです。このほか、月2回はコンサートかミュージカルかオペラを鑑賞します。


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 ■人物略歴

 ◇たなか ひでなり

 名古屋市出身。1978年名古屋商科大学附属高校(現在の名古屋国際高校)卒業。87年愛知医科大学医学部卒業、メニコン入社(非常勤)。眼科医を経て、94年からメニコン常勤。98年常務。2000年から現職。55歳。