2015年

9月

29日

歴史に学ぶ通貨と為替:プラザ合意 行き過ぎた「ドル高の是正」 2015年9月29日号

 ◇コントロール困難な市場の期待


竹中正治

(龍谷大学経済学部教授)


 1985年9月22日のプラザ合意前までの80年代のドル・円相場は大幅なドル高だった。日米のインフレ率で調整したドル・円実質相場指数で見ても、米連邦準備制度理事会(FRB)が算出するドル実質相場指数(主要通貨に対するドル実質相場の加重平均値=ドルインデックス)で見てもそうだった()。

 当時、なぜこのようなドル高が生じていたのか。金融政策面では、当時のボルカーFRB議長が深刻な高インフレ傾向を是正するために金融政策目標を金利からマネー供給量に切り替え、その伸び率を厳しく管理する金融引き締め策を実施した。その結果、ドル金利は長期・短期とも10%を超えるまで跳ね上がり、他の主要通貨との金利差が拡大した。この金利差の拡大が海外から米国への債券投資(ドル買い)を急増させた。

 もう一つは、財政政策だ。「小さな政府」を標榜(ひょうぼう)する保守派のレーガン米大統領は大減税を実施する一方、旧ソ連を圧倒するような軍事力の確保を目標に軍事支出を拡大した。その結果、財政赤字が急増し、ドル金利の上昇に拍車をかけた。

 財政赤字の拡大、つまり政府貯蓄の減少は、国内の貯蓄投資バランスで貯蓄不足(投資余剰)の方向に向かうことを意味する。そのためこれに伴って、貯蓄投資バランスの等式上のもう一方の辺である経常赤字(輸出?輸入)も急拡大した。海外マネーの流入という金融面でのドル高要因が、経常赤字という需給面でのドル安要因に勝ったのだ。


 日本に目を向けると、80年の外国為替管理法の改正によって対外投資が原則自由化され、対外証券投資ブームが生じていた。生損保など機関投資家は高金利通貨であるドルに引かれて米国財務省証券への投資を急増させた。長期的には日米の金利差による収益がドル・円相場における為替損失を上回ると判断したのだ。………