2016年

1月

26日

追悼:デビッド・ボウイさん死去 音楽ビジネスの革新者

デビッド・ボウイさん(1973年5月撮影) ゲッティ=共同
デビッド・ボウイさん(1973年5月撮影) ゲッティ=共同

 ◇著作権を証券化

 

八木良太

(尚美学園大学芸術情報学部准教授)

 

 世界的ロック歌手のデビッド・ボウイさんが1月10日に死去した。享年69歳。ボウイはアルバム『ジギー・スターダスト』(1972年)でデカダンス(退廃・耽美(たんび))の美学を追求するグラムロックの旗手として注目を集め、80年代に「レッツ・ダンス」や「チャイナ・ガール」などの世界的ヒットにより名実ともにロックスターの地位を築いた。時代とともに変化し続け、常に新しい音楽スタイルを提示してきたロックのイノベーター(革新者)は、音楽ビジネスの世界においても同様だった。

 音楽ビジネスは知的財産権の保護・活用が成功の鍵を握る。しかし、多くのアーティストはその活用についてレコード会社や音楽出版社まかせで基本的に無関心だ。ボウイは違った。自らの権利をコントロールすることに長(た)け、革新的な知財マネジメントを実践した数少ないアーティストの一人だった。

 97年、ボウイは自らの楽曲(初期25枚のアルバム)の著作権(作詞・作曲の権利)とレコード原盤のアーティスト・ロイヤルティー(印税)を担保に「ボウイ債」と呼ばれる債券(資産担保証券、ABS)を発行して、5500万ドル(約65億円)の資金を調達した。アーティストが自らの著作権を証券化するはじめての試みだったという。

 ボウイ債の当時の利回りは7・9%(期間10年)で、米格付け会社ムーディーズは投資適格級のA3に格付けして信用力のある債券と認めた。音楽業界全体の不振により、2004年にボウイ債は投資適格級では最も低いBaa3に格下げされたが、ABS市場の活性化に一役買ったと言われている。

 ボウイ債を発行した理由は明らかにされていない。推測するに、当時はアルバムの売り上げが不振でレコード会社との契約更新が難航し、次回作の制作・発売のめどが立たない状況にあり、継続的かつ安定的な創作活動を行うための基盤となる自主レーベル設立の資金が必要だったと考えられる。事実、後に自身のレーベル「ISO」を立ち上げ、アルバム『ヒーザン』(02年)をリリースしている。

 

 ◇音源をオープン化

 

 権利活用の進取的な取り組みはビジネス面だけにとどまらない。04年、ボウイは自動車会社アウディと共同で「デビッド・ボウイ・マッシュアップ・コンテスト」を開催した。一般参加者がネット上に公開されたボウイの楽曲の音素材を自由に利用して新しい楽曲を制作し、優秀曲を決めるものである。ボウイとコンテスト参加者との協働作業で、インターネット時代の新たな形の音楽制作として注目を集めた。

 アーティストが作った楽曲に他者が手を加えて改変することは著作権の侵害行為にあたる。だが、ボウイは音楽制作の革新的な試みとして他者(それもアマチュア)による改変を認めて、それをファンとともに楽しんだ。

 ボウイは、権利の活用を従来のビジネスモデルの枠組みで完結するのではなく、著作権の証券化で音楽業界の資金調達モデルを提示し、新しい音楽創造の可能性を開くために柔軟な著作権運用を試みた。失敗や変化を恐れず、常に新しいことに挑戦し続けるロックスターであり、すべてにおいてイノベーターであった。(了)

 

(『週刊エコノミスト』2016年1月26日号<1月18日発売>15~16ページより転載)

この記事の掲載号

定価:620円(税込み)

発売日:2016年1月18日

週刊エコノミスト 2016年1月26日号

 

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