2016年

2月

16日

特集:マイナス金利 2016年2月16日号

政策の大転換を「三次元」とすりかえた
政策の大転換を「三次元」とすりかえた

◇日銀乾坤一擲の劇薬

◇早くも賞味期限切れ

 

酒井雅浩/藤沢壮

(編集部)

 

 日銀が初めてマイナス金利の導入を決めた。年初からの中国発世界同時株安や下げ止まらない原油価格といったグローバルな市場の混乱から波及する円高・株安を断ち切ろうと、劇薬を投じた。景気回復を後押しできるか。

 

「黒田総裁は、為替の人。要するに、根っからの金融マフィアだ」

 かつての部下である財務官僚は、マイナス金利の導入を決定した日銀の黒田東彦総裁をこう評する。「円高がデフレの根源。円高を回避しなければ、2%インフレ目標の達成は不可能との強い思いからマイナス金利という劇薬に踏み込んだのだろう。財務官当時を彷彿させるような黒田流為替介入だ」

 

 

利回り曲線(イールドカーブ)の比較

◇黒田総裁の誤算

 

「日銀 マイナス金利導入を検討」

 金融政策決定会合のあった1月29日午後0時半過ぎ。テレビモニターに日銀のマイナス金利導入を伝えるテロップが流れると、金融機関のディーリングルームは大騒ぎとなった。

 

 金利が下がるとの見通しから、ヘッジファンドなどの投機筋に加えて、決済用ドルを必要とする輸入企業からドル買い・円売り注文が殺到。円相場は一時、1㌦=121円台と発表直前に比べて、一気に3円近くも円安・ドル高が進んだ。

 長期金利の指標である10年国債利回りも、前日の0・220%から0・095%へと初めて0・1%を割り込む未知の領域に突っ込んだ。金利全体の動きを示す利回り曲線は、大きく下押しされた(図1)。

 ここまでは黒田総裁の思惑通りだった。だが、株価は違った。日銀の発表後、前日比597円高の1万7638円まで急上昇したかと思うと、同274円安の1万6767円に急落、終値は同476円高の1万7518円となった。まさにジェットコースター相場である(図2)。

1月29日の株価とドル・円相場

 日経平均株価は、1月29日から2営業日続けて大幅に上昇したものの、2月2日には原油価格の下落を受けて、全面安の展開に。結局2月4日まで3日連続の値下げとなり、4日の終値は1万7044円と、マイナス金利効果を帳消しにした。

 さらに「円高阻止が最大の目的」(為替アナリスト)だったはずが、2月4日には1㌦=117円台と、マイナス金利導入以前の円高水準に逆戻りした。「欧米市場では早くも次の日銀の利下げが、材料視されている。1㌦=115円、日経平均1万6000円を死守するために、日銀は何でもやるという観測だ」(豊島&アソシエイツの豊島逸夫代表)。

 発表からの株価の値動きについて、楽天証券経済研究所の窪田真之所長は「マイナス金利導入のインパクトをすぐには理解できなかっただけ。冷静に考えると、マイナス金利を導入しても実体経済を改善する効果はほとんどないと多くの人が感じている」と分析する。

 お金を借りる人が貸す相手に金利を払うのが普通なのに、借りる人が借りるだけ得をし、貸す人が損をする──。そんなマイナス金利の賞味期限は、思いのほか早かったようだ。黒田日銀の大きな誤算だろう。

 

◇幻の連合への根回し

 

 大方の市場予想を裏切る形で黒田総裁がマイナス金利の導入を決めた理由は、円高阻止と賃上げムードの腰折れ回避である。

 元日銀金融研究所長の高橋亘・大阪経済大学教授は「今春闘の賃上げを後押ししたいという意図や、企業が次の年度の事業計画を策定する時期であり、企業の投資計画などに良い材料を与えたいという思いもあったのではないか」と指摘する。ニッセイ基礎研究所の矢嶋康次チーフエコノミストは「3月の次回金融政策決定会合で緩和しても春闘に間に合わない。その危機感が黒田総裁の背中を押した」とみる。

 豪放磊落にみえる黒田総裁だが、策士的な一面ものぞかせる。

「あれもマイナス金利導入のサインだったのか」──。連合関係者は、こう振り返る。日銀がマイナス金利の導入を決めた1月29日まで、「日銀幹部が連合首脳に対して執拗に接触を求めてきた」と明かす。

 黒田総裁は1月5日、昨年に続き連合新年交歓会に出席し、今年は演壇に立って日銀が進める大胆な金融緩和の必要性に対して理解を求めたのは周知の通りだ。ここで、「(日銀は)物価だけ上がればいいと考えているわけではなく、2%の物価上昇に見合った賃金の上昇がなければ持続可能でない」と強調。「歴史的にも物価と賃金は連動しており、賃金上昇は日本経済の持続的な成長のため不可欠だ」と呼びかけた。

 前出の連合関係者が語る。「何が何でも2%インフレ目標を日銀は達成する。連合も賃上げで協力してほしいと伝えたかったのではないか」

 

◇新「振り込め詐欺」

 

 マイナス金利で動いたのは、日の当たる場所だけではなかった。

 男は、テレビ画面に流れるテロップに、くぎ付けになった。何かいいネタになる出来事はないか、常に物色を怠らない。「金利がマイナス」。これほど響きのいい言葉が、これまでにあっただろうか。さっそく「部下」を呼び出して訓示した。「今から電話だ。『マイナス金利は、預けているだけであなたの預金が減っていくということです。タンス預金は空き巣に狙われる。私たちに大切なお金を預けませんか…』」――。

「こんな場面も、決してフィクションではないだろう」。警察関係者によると、全国の警察はマイナス金利が新たな特殊詐欺の材料になるとして、警戒を強めている。

 絶好のチャンスとうかがっているのは、犯罪集団に限らない。例えば、投資信託などの金融商品販売による手数料が大きな収入源となっている銀行。預金から投信に乗り換えさせれば、2~3%程度の販売手数料が手に入る。「預金も目減りすると勘違いして手を出す投資初心者や高齢者は少なくないだろう」と銀行関係者はみる。

 黒田総裁の記者会見を生中継したインターネットの動画配信サイトには、「銀行預金が減る」「金が売れる」「投資に回さなければ」といった書き込みが相次いだ。株や外貨、金、不動産まで、この機会に乗じて投資勧誘に力を入れる可能性が高い。

 証券アナリストは「一般にどう影響するか、正しく説明しないのならば、詐欺と同じだ」と断じる。

「銀行に預けておいたら減るんだから、タンス預金するしかない」。有力アナリストの元には、両親からこんな電話が掛かってきたという。こういう高齢者を狙っているのが、空き巣や強盗の常習者だ。

 2015年に全国の警察が把握した刑法犯件数(認知件数)は109万9048件(前年比9%減)で戦後最少だった。ピークだった02年(285万3739件)から約6割も減り、減少分の約9割は窃盗が占めていた。詐欺は前年より5%減った中で、振り込め詐欺は1474件増加している。マイナス金利は、新たな犯罪の温床となりかねない。

 

コアCPIの推移

◇総括なき政策転換

 

 異次元緩和から今春で3年を迎える。政策大転換とも言えるマイナス金利導入だが、黒田総裁は異次元緩和について総括していない。

 就任直後の13年4月、異次元緩和を実施、14年10月末には大規模な追加緩和に踏み切った。物価が下がり続けるデフレでは、人々は値段が下がってからモノやサービスを買おうとする。そのため商品が売れなくなり、さらに物価が下がり景気が悪化するという悪循環だ。黒田総裁は、世の中に出回るお金の量を増やすことで消費や投資を喚起し、物価を押し上げる狙いだった。

 しかし、物価は目標通りに上がってない。足元の消費者物価指数(生鮮食品除くコアCPI)は0・1%(昨年12月)と2%を大きく下回ったままだ(図3)。想定外の原油安があったとはいえ、そのために14年10月の追加緩和が実施されたはずだ。目標達成時期は今回の会合で「16年度後半ごろ」から「17年度前半ごろ」へと3度目の先送りとなった。

「(国債を購入する)量的ターゲットの拡大が限界に近づき、金利ターゲットへの移行」(BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミスト)と量を重視してきた政策目標を、金利に変更したとみるのが妥当だろう。しかし、「金融政策のターゲットを金利に戻す」と説明すると、異次元緩和の限界論を肯定することになる。そこで黒田総裁は、金融政策決定会合後の記者会見で「量・質・金利の三次元で必要な措置を講じる」と述べ、新手法の導入という「体裁」を整えた。

 また、今回の決定が市場の予想を超えた「サプライズ」となったのは、黒田総裁が国民を「だました」(市場関係者)からだ。黒田総裁は1月21日の参院決算委員会でマイナス金利について「現時点で具体的に考えていることはない」と、導入を否定する発言をした。

 記者会見で黒田総裁は23日まで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)への出発前、政策立案部局に追加緩和の検討を指示していたことを明らかにした。日銀内でマイナス金利の導入に向けた検討が本格化したのは「国会後」ということをあえて発表することで、批判を封じようとしたとみられる。

 だが、今回のスキームを分析した民間エコノミストは「かなり練り上げられ、完成度が高い」と語る。

 マイナス金利は実施期間に限界はない。マイナス幅の追加拡大も可能で、緩和策の「限界論」を払拭するにはうってつけだ。国債の買い増しや、株式など金融商品の買い増し余地も残り、単純に金融緩和の手段を増やしたことになる。また、巨額の借金を抱えている政府は、将来の利払い負担の大きな軽減という金利低下の恩恵を受ける。「これだけの案をたった1週間で完成させるのは、いくら精鋭ぞろいの日銀でも不可能だ」(同エコノミスト)と分析する。

 

◇銀行は大損をしない

 

 株式市場では、銀行は「損」をする立場とみられている。貸出金利が下がることで銀行の運用利回りが悪化するとの懸念が広がり、マイナス金利導入が発表された1月29日、メガバンクや地方銀行の株価は軒並み下落。東証1部の33業種中で「銀行」は唯一の下落だった。

 今回のスキームでは金融機関が日銀に預ける当座預金のうち、法定準備預金残高を除いた超過準備額のすべてにマイナス金利を適用するわけではない。15年の平均超過準備残高に当たる約210兆円には、これまで通り0・1%の金利(付利)が付くため、金融機関は今後も一定の利益を得られるようになっている。マイナス金利となるのは、2月16日以降にそれを超えた預金だけで、これまでの付利方式は基本方針として維持されている。つまり「大損」をするわけではない。

 付利によって金融機関は日銀に預けるだけで2000億円以上の利益を得ていた。貸し倒れなどのリスクがなく、利益を得られる仕組みのため、金融緩和で余ったお金は貸し出しなどに回らず、消費や投資を押し上げる効果が薄かったとも言える。

 だが、劇薬だけに「副作用」が懸念される。前出の豊島氏は「今後マーケットは、黒田総裁が何を言っても割り引いて考える。サプライズ演出が難しくなった」と指摘する。金利の歴史に詳しい日本大学の水野和夫教授は「資本を効率よく増やす仕組みが資本主義。その中で、金利をマイナスにしてしまうというのは、資本主義の否定につながりかねな

い」と語る。

 乾坤一擲のマイナス金利導入だったが、早くも賞味期限切れとなりかけている。黒田総裁の次の一手に注目が集まる。

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この記事の掲載号

定価:620円(税込み)

発売日:2016年2月8日

週刊エコノミスト 2016年2月16日号

 

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