2016年

6月

14日

【三菱に喝! Part2 三菱とは何か】弱体化の深層 2016年6月14日号

三菱は日本経済の縮図(1962年の銀座4丁目)
三菱は日本経済の縮図(1962年の銀座4丁目)

◇巨大企業が牽引する時代は終わった

◇三菱グループは早急に解体すべきだ

 

奥村宏(経済評論家)

 

 三菱グループは、売上高や利益の合計では、いまだ日本の産業界に君臨する巨大企業集団に見える。三菱自動車の燃費不正問題の発覚後、私にコメントを求める国内外の記者の多くも、三菱グループの強さやその結束力を念頭に置く傾向が強い。

 だが、戦後日本の経済成長の中で確立された大企業体制が危機的状況に陥る中で、三菱グループの結束を強めてきた株式の相互持ち合いが崩れ、企業集団体制もまた崩れてきているという本質的な問題を見過ごしている。

 ◇持ち合いの功罪

 

 戦前の三菱財閥は、岩崎家が三菱本社の株式を所有し、三菱本社が傘下企業の株式を持ち、傘下企業がさらにその下の企業の株式を保有する、いわばピラミッド型の構造だった。しかし、第二次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策による財閥解体を経て、再び統合された三菱グループは、グループ企業で相互に株式を持ち合う横のつながりが特徴であった。

 三井、住友に比べて比較的歴史の浅い三菱が戦後に巨大化したのは、産業の重化学工業化の波に乗って発展し、企業集団体制を強固にすることに成功したことが大きい。三菱重工業が中心となって重化学工業分野の事業を拡大させ、三菱商事がグループ内企業の取引関係を結び、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)がファイナンス(投融資)を支援するという体制は、戦後日本の重化学工業が牽引(けんいん)する経済成長の中で確立していった。

 この過程において株式相互持ち合いは、株主安定と企業集団の強化という点でグループの結束を強め、成長を後押しする効果を発揮した。また、グループの社長が集う懇親の場である「金曜会」は、事実上の大株主会に近い性質を持っていたと理解することができる。

 ところが1990年前後のバブル崩壊を経て、株式の相互持ち合いの体制が崩れた。背景には、70年代から80年代にかけて企業の増資の形態が変化したことがある。

 かつては既存株主に、株式の市場価格に関係なく額面で新株を発行する株主割り当て・額面発行だったが、70年代以降は公募による時価発行が主流になっていった。時価発行増資は、企業にとっては少ないコストで資本調達できるメリットがある………

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この記事の掲載号

定価:620円(税込)

発売日:2016年6月6日

週刊エコノミスト 2016年6月14日号

 

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