2016年

7月

05日

第37回 福島後の未来をつくる:本間照光 青山学院大学名誉教授=2016年7月5日特大号

 ◇ほんま・てるみつ

 1948年生まれ。小樽商科大卒。専門は保険論、社会保障論。2016年3月まで青山学院大教授。著書に『社会科学としての保険論』『保険の社会学』『階層化する労働と生活』など。

 ◇加害者に甘い原賠法見直し

 ◇災害対策としての位置付けが必要

 

 原発事故発生時の電力会社の責任を定めた「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」の見直しが進んでいる。原賠法は事故の過失・無過失にかかわらず、事故を起こした電力会社に上限なく賠償責任を負わせる「無過失責任主義」「無限責任」が原則だ。

 しかし、改定にあたっては、電力会社の賠償責任の免除(免責)や有限責任化を目指す流れが強まっている。このままでは、被害者や国民は犠牲を強いられ、加害者=電力会社を守る構図になりかねない。

 

 ◇崩れた「建前」

 

 原賠法の改定に向けた議論は、内閣府原子力委員会に設けられた「原子力損害賠償制度専門部会」で進められている。専門部会は学識者やジャーナリスト、財界・原発事業者ら25人で構成され、2015年5月から10回の会合を重ねてきた。


 1961年に制定された原賠法は、第1条で「被害者の保護を図り、原子力事業の健全な発達に資することを目的とする」と明記している。この二つの目的のうち、「被害者の保護」を何より優先すべきであるのは国会の付帯決議などで明らかだ。

 原賠法は、原発事故を起こした電力会社に無限の責任を負わせるとともに、「賠償措置」の設定を義務付ける。これによって政府の補償契約か民間の保険会社の責任保険のいずれかを通じて迅速かつ確実に賠償金を支払えるようにするとしている。

 原発事故が戦争や社会的動乱、または異常に巨大な天災地変によって生じた場合には、電力会社の賠償責任を免除し、国が「何らかの措置」を行うこととしている。

 また、賠償措置額を超える責任が生じた場合には、電力会社への「国の援助」で対応するとしている。

 実は、60年に科学技術庁(当時)が日本原子力産業会議に委託してまとめた報告書は、原発事故時の損害額が当時の国家予算の2倍にあたる3兆7000億円に上ると試算していた。これを受け、賠償に伴う負担を電力会社の外に回す原賠法が制定された経緯がある。

 その前提には、原発事業において重大事故は起きない、仮に起きたとしても被害や損害は公衆に広くおよばないという「建前」があった。原賠法で定められた電力会社の賠償措置額が原発1サイト当たり1200億円(当初は50億円)と少額なのは、こうした事情があったためだ。

 しかし、この前提は福島事故によって崩れた。原発事故は起き得るし、事故が起きたら電力会社だけではとても負いきれない賠償責任が発生することが明らかになったのだ。

 福島事故の場合、東京電力は事故の原因となった東日本大震災が「異常に巨大な天災地変」にあたるとして賠償責任が免除されることを期待した。これに対し、政府は「津波」が原因だと判断。東電と結んだ原子力損害賠償補償契約に基づき、1200億円を支払った。

 だが賠償負担はすでに7兆円に上り1200億円だけでは到底足りず、東電は事実上破綻状態に陥った。その結果、国の管理下で賠償金を払いながら再建を進めることになった。

 このことからも分かるように、原賠法は、いわば原子力事業を進めるための「ポーズ」としての役割を担ったにすぎない。

 福島事故によって原賠法が機能不全の状態に陥っていることを如実に示すのは、11年8月に成立した特例法「原子力損害賠償・廃炉等支援機構法」だ。原子力損害賠償・廃炉等支援機構を「トンネル」として、本来、東電が負担すべき賠償資金が国費から投入されているからだ。

 この原資は政府のエネルギー対策特別会計の借入金で賄われている。加えて、借入金の返済には、東電を含む電力会社が電力料金に上乗せして国民から集めた「一般負担金」や、東電が負担する「特別負担金」が充てられる。特別負担金は一般負担金の3分の1ほどにすぎない。

 つまり、電力料金や税金の形で東電の賠償責任の多くを国民が負担している。しかも、こうした形で負担していることを納税者や市民は知らされていない。

 福島事故後、電力業界と財界からは「原子力事業は『国策民営』なのだから事故時の賠償は国家が責任を持ち、国家が補償すべきだ」「電力会社の責任や負担が諸外国に比べて重すぎる」といった意見が噴出した。

 しかし、諸外国のことを言う前に、まず自身の経験に学ぶべきだ。また「国策民営」と言いながらも、この「民」は国民ではない。実体は、政商ともいうべき巨大ビジネスだ。

 いま原賠法の見直しが進められているのは、被害者保護のためではない。同法を骨抜きにすることで、法的にも電力会社の免責や有限責任化を正当化したいと考えているのだ。

 電力業界と利害関係者が福島事故から学んだのは、賠償責任を回避することだったと言わざるを得ない。

 内閣府の専門部会では、電力業界や財界出身の委員や業界寄りと見られる委員が少なくない。原賠法の二つの目的について「同等の重点を置くべき」「いずれか一方に偏ることがあってはならない」などと曲解したうえで審議が重ねられている。「事故が起きても事業者はつぶせない」「事業者の残余財産は残す」「電力会社の社債(電力債)は被害者保護に優先する」「電力会社に対する株主や銀行の貸手責任は問えない」といった意見まで出ている。

 見直しにあたって「電力会社の無限責任を維持する」としながらも、その中身が巧妙にすり替えられようとしているのである。電力業界や財界は、原子力事業が国策民営であるなら、事故時の賠償は国と電力会社の「連帯責任」とするべきだ、そして電力会社を有限責任としたうえで電力会社が負えない責任を国の責任、つまり国の無限責任としたい考えだ。実際に専門部会では、国と電力会社の連帯責任とするなら、事故を起こした電力会社=加害者が国に支払いを求めること(求償)ができるとする主張すら、多数派になりつつある。いわば加害者から被害者である国民に賠償請求を付け回す、無法化とも言える主張だ。

 

 ◇被害者に目を向けよ

 

 福島事故によって、原子力事業は技術的にも経済的にも、電力会社だけの手には負えないことが明らかになった。同法の見直しにあたり、原発事業の予見可能性を高め、事業の継続性を求める声ばかりが目立つが、これでは、福島事故から何も学ばないばかりか、事故に便乗して原発利権を拡大しているだけだ。

 法の本来の趣旨を踏まえれば、電力会社や国ではなく、国民の生存可能性や事故に対する予見可能性を高める制度にするべきである。そのためには、事故は起きないという前提ではなく、事故が起きた時にどうすべきか、起きても被害を最小限に食い止めるにはどうしたらよいかをまず想定するべきだ。

 つまり、地震や津波などと同様、賠償を含めた原発事故への対応も災害対策の一連の行為として位置づけ、資金面だけでなく全体のリスクと対応策を総合的に考える必要がある。さらに言えば、福島事故によって原発事業のリスクと賠償に対応できないことが分かった以上、原子力事業から手を引くべき時に来ている。国、すなわち国民負担も無尽蔵ではない。次に大きな事故が起きたら、もはや金銭的な余裕すらない。

 国民の生存可能性や事故に対する予見可能性を高めるためにも、金権的・強権的に推し進める原子力のような中央集権型の電力供給体制ではなく、市民参加型の運営が可能な自然エネルギーといった地産地消型の体制への移行が不可避だ。

(了)