2016年

8月

02日

【ヘリコプターマネーの正体】予期せぬ“出口”への備えが必要 2016年8月2日号

◇ヘリコプターマネーは既に現実

 

岩村充

(早稲田大学大学院経営管理研究科教授)

1950年生まれ。東京大学経済学部卒業。74年日本銀行入行。企画局兼信用機構局参事を経て、98年より早稲田大学ビジネススクール教授。著書に『貨幣進化論』『中央銀行が終わる日』など。

 

 真偽のほど定かではないが、2014年まで米連邦準備制度理事会(FRB)の議長だったベンジャミン・バーナンキ氏には、ちょっとした「都市伝説」がある。彼が議長に就任する前の03年、長引くデフレに悩む日本を訪れ、「それなら国債や他の債券をどんどん買ってマネーを増発したらどうか。国債や他の債券を買い尽くしたら、後はケチャップでも何でも買い入れることだ。そうすれば必ずデフレを逆転できる」。そう発言したというのである。

 さて、このケチャップ買いの勧め、政策提言としての適不適はともかく、「ヘリコプターマネー」略して「ヘリマネ」の本質を、見事に言い当てているところが面白い。リアルの経済価値の裏付けなきマネーの散布をヘリマネと言うのだとすれば、長く持っていれば無価値になるに決まっているケチャップを買い入れてマネーを発行するというのは、既にヘリマネに他ならないからだ。
 バーナンキ氏には、積極的なマネー供給論者であるという文脈から、「ヘリコプター・ベン」というあだ名が奉られていたことがあったが、そうしたあだ名の由来には、この都市伝説も含まれているかもしれない。
 日銀を含め多くの中央銀行がマネー供給の手段として採用している国債の買い入れは、それがいかに大量のマネーを散布するものでもヘリマネとは言わない。ケチャップは、レストランならぬ中央銀行が持っていても何も得られないし、賞味期限を過ぎれば廃棄するほかはない。だが、国債を金庫に収めておけば利子が得られ、償還期には元本が戻ってくる。だから、ケチャップを買うのはヘリマネでも、国債を買うのはヘリマネではないはずなのである。

 

◇金庫の中身は突然変わる

 

 でも、いつもそうなのだろうか。金庫の中の国債が、いつのまにか賞味期限切れのケチャップに変わっている、そんなことは起こらないのだろうか。
 実はそこが怖いところだ。悪夢のシナリオは、GDP(国内総生産)の2倍にまで膨張した国債発行残高、その借り換え能力に人々が疑いを持ち始めたときに始まる。そのとき人々は、日銀資産の大半、400兆円にも迫っている膨大な量の国債を、ただの不良資産、つまりは「賞味期限の過ぎたケチャップ」と思うようになるかもしれない。そうしたら何が生じるだろうか。
 生じるのは、通貨価値のスリップ・ダウン、言い換えれば物価水準のジャンプ・アップ、それへの予感である。日銀が望んでいるような緩やかで持続的なインフレではない。そして、長期金利は突発的な上昇を始めることになる。中央銀行が直接にコントロールできるのは、短期の市場金利であって長期金利、つまり長期債の市場利回りではない。そこに悪夢の基本構造がある。……

 

(『週刊エコノミスト』2016年8月2日号<7月25日発売>30~33ページより転載)