2016年

8月

16日

第38回 福島後の未来をつくる:枝廣淳子 東京都市大学環境学部教授=2016年8月9・16日合併号

 ◇えだひろ・じゅんこ

 1962年京都府京都市生まれ。東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。『不都合な真実』(アル・ゴア著)の翻訳をはじめ、環境問題に関する講演、執筆多数。幸せ経済社会研究所所長、NGOジャパン・フォー・サステナビリティ代表。

 ◇未来に向けた柏崎の挑戦

 ◇原発賛否を超える対話

 

2016年7月10日、第24回参議院議員通常選挙で自由民主党が大勝する一方、鹿児島県知事選では国内で唯一稼働する九州電力川内原子力発電所を「停止して点検するよう九電に申し入れる」との公約を掲げた三反園訓(みたぞのさとし)氏が当選。自民党は参院選でも大勝したことから、国レベルで原発再稼働を加速させる。しかし地域レベルをみると、消えることのない声なき「反対」の声に、動きの取れない状態が続くだろう。

 ◇原発再稼働をめぐる四つの問題点

 

 原発再稼働に関しては多くの問題点がある。一つは、あいまいな原発の「地元」の定義、二つ目は不明瞭な再稼働の判断責任、三つ目は日本では核廃棄物の最終処分地も処分方法もまだ決まっていないこと、そして国民議論が不在の国のエネルギー政策の問題だ。


 四つめの問題点である、国民との対話や議論のないところで原発政策が進められていることについて、自民党政権になって増長していることをもっと危惧しなければならない。

 福島原発事故後、当時の民主党政権は、今後の日本のエネルギー政策を決めるプロセスに国民的議論を入れた。そのプロセスから「国民の多くが原発ゼロを望んでいる」ことが明らかとなり、民意を反映して2030年代に原発稼働ゼロとする革新的エネルギー・環境戦略が策定された。しかし、経済界を中心とする反対勢力などに押され、閣議決定はなされなかった。その後、自民党政権になると、ほぼ原発推進派の委員からなる委員会でエネルギー政策が議論され、討論型世論調査などの国民的議論もないまま、30年の原発電源比率は20~22%と決められた。

 たしかに電気料金は重要だ。しかし、私たちは、個人としても組織、地域、社会としても、今日明日だけを考えて生きているわけではない。

 現在までのエネルギー政策の決め方は、国民の思いや意見に耳を傾けることを拒否し、ひたすら経済界の「電力コストを早急に下げよ」という声に沿うものに思える。長期的に考え、本当に大切なものは何かについて国民的議論を踏まえて政策や方向性を考えていくこと、その重要性を、福島原発事故は私たちに教訓として残したのではないだろうか。

 国レベルではエネルギー政策をめぐる対話や議論はなくなっているが、他方、地域レベルではさまざまな試みや取り組みが行われている。

 私は新潟県柏崎市のエネルギー市民対話ファシリテーター(議事進行役)として12年から15年まで、中立的立場で地域住民の相互理解や合意形成に向けて取り組んだ。

 

 ◇意見対立を昇華する場

 

 1985年に東京電力柏崎刈羽原発の営業運転開始後、原発7基を抱える人口9万人の柏崎市は、「エネルギーのまち」として発展してきた。原発誘致の頃から、推進派と反対派が激しく対立。今までは原発の話題には触れないことで、狭い地域社会での折り合いをつけてきた。しかし福島原発事故後、会田洋市長の「エネルギーのあり方やこれからの柏崎のまちづくりについて、市民の皆さんと考え、話し合いする機会をもちたい」という思いから12年に「明日の柏崎づくり事業」が始まった。

 運営を担う実行委員会メンバーは、商工会議所のメンバー、大学教員や医師、地域の自治会長、原発と地域住民との対話づくりに関わってきた人など、年齢も立場もさまざま。委員8人の3人が原発推進派、2人が反対派、3人が中間派だ。

 委員会の初会合は重苦しい空気だった。ファシリテーターの私は、原発や再稼働の是非を議論するのではなく、「将来どのような柏崎であってほしいか」を皆で出し合って議論するワークショップ形式で進行した。議論を重ねるうちに、原発に対する考えや立場は異なっていたとしても、「柏崎の将来を思う気持ち」や「何かを変えたい」「立地地域の声を国や消費地に伝えたい」という思いは同じであることがわかり、共通の目標を確立することができた。

 委員会はそのような思いを市民とも共有・議論したいと、「これからの柏崎とエネルギーを考えるシンポジウム」を12年9月に開催。原発誘致をめぐり市民同士のつらい対立があった地域での初めての試みに、不安の声もあったが、自身の思いを率直に伝え、ほかの人の考えに冷静に耳を傾けるという、これまでにない会となった。

 シンポジウム1日目は、これまでの柏崎市について。市の柏崎のこれまでに関する中立的な説明のあと、原発推進・反対の立場の実行委員がそれぞれ、自分の思いやこれまでの柏崎に対する考えを話した。その後これからの柏崎について、企業経営者やUターン市民、大学生などが思いや考えを語るパネルディスカッションを行った。

 参加者のアンケートには「原発賛成、反対、中立派が一緒に議論をすることは初めて、大変よかった」「こんなに静かに議論できる場があることに驚いた」といった感想が多数あり、このような対話の場に期待が寄せられていることがわかった。

 2日目は「柏崎の未来をみんなで語ろう、考えよう」と題し、市民の井戸端会議を開催。約60人が参加し、方法論や実現可能性の有無は考えず相手の話を聞くことをルールに、柏崎の好きなところや柏崎の希望あふれる未来などを小グループで多数挙げていった。その後、いくつかの小グループで意見を共有し、全体で発表。世代も立場も異なる市民が、和気あいあいと柏崎の魅力を語り合った。うまくいくだろうかと心配していた市長が驚くほどの盛り上がりだ。何十年も話をしたこともなかった、強硬な原発賛成派と反対派が同じテーブルに着き、会が終わったあとも語り合っている姿に、市の職員が驚いていたのが印象的だった。

 明日の柏崎づくり事業の2年目には、より広い市民にエネルギー問題を考えてほしいと、ジャーナリストの池上彰氏による講演会を13年11月18日に開催。1週間後に行った「柏崎の産業を考える」シンポジウムでは、地元で再生可能エネルギー事業者が難題に向き合いつつ取り組みを進めている様子に感動と共感が生まれた。過去の柏崎では、「原発以外の産業を考える」=「反原発派」と捉えられるなど、新しい産業を考えることもままならない状態だった。原発の有無に関係なく、原発以外の産業を考えることは柏崎にとって良いこと・必要なことではないかという雰囲気が醸成されていった。

 事業3年目は、「生き残りをかけて─柏崎の産業のこれから」という産業と地域経済を考えるシンポジウムを14年9月29日開催後、より具体的な産業づくりについて考えていこうと、先進的な活動を展開している企業経営者やNPO法人代表などを講師に迎え全4回の勉強会を14年10月から12月に開催した。

 柏崎市の対話の取り組みを手伝ってきて、これまで声を出せなかった人が意見を述べ、考えることのなかった人が考えることができる場をつくり、次のステップにつなげていくことが重要だと考えている。実行委員会はまさに、そのような対話が実践できた場であった。対話を重ね、原発賛成や反対、立場の異なる人たちが、冷静に議論をすることができ、「意見に賛成はしないが、なぜあなたがそう考えるのかはわかった」と互いに語るようになった。この信頼感が醸成されたとき原発や再稼働の賛否を超え、「共に未来を考え、動いていく場」が生まれた。

 このプロセスは、他の原発立地地域など地域にさまざまな賛否両論を抱える地域の役に立つだけではなく、本当の意味での国のエネルギー政策を創り出していくうえでも一考に値するのではないだろうか。

(了)