2016年

9月

06日

特集:マーケット怪奇現象 2016年9月6日号

◇怪奇現象① 社債市場の異変

◇超低金利が覆い隠すハイブリッド債のリスク

 

桐山 友一

(編集部)

 

極端な低金利の環境下で、従来の常識では考えられなかった現象が、市場のあちこちで起きている。

「ついに来たか」──。証券関係者がうなった。ソフトバンクグループが8月24日、同社としては初めての「ハイブリッド社債」の発行を発表した。特に証券関係者の目を引いたのが、国内で初となる個人向けのハイブリッド社債も発行すること。利率は仮条件で年2・9~3・1%と、超低金利の中でその高さが際立つ。個人向けには3500億円を9月30日に発行予定で、購入単位は100万円。同社は市場の反応をみたうえで、9月9日に利率を正式決定する。

 ソフトバンクは英半導体大手アーム・ホールディングスの買収後の財務基盤の強化に生かすと説明する。では、なぜこれほどの“高金利”を実現できるのか。その秘密は「ハイブリッド」にある。ハイブリッド社債とは、発行する企業にとって負債でありながら、株式のような資本の性格も併せ持つ債券のこと。今回のハイブリッド社債は償還までの満期が25 年の超長期で、一般債務に比べて返済順位が劣る劣後債でもある。高まるリスクの分だけ金利を上乗せする必要があるが、極端な低金利環境が発行を可能にした。

 また、ソフトバンクのハイブリッド社債では、発行から5年が経過すれば、同社の裁量で繰り上げ償還できる仕組みがある。5年後にさらに低金利になっていれば繰り上げ償還する一方、同社の信用力が低下している場合などには、繰り上げ償還しない選択肢もありうる。それでも、BNPパリバ証券の中空麻奈チーフクレジットアナリストは「預金も個人向け国債も金利が限りなくゼロになる中で、選択肢のない個人にとって大きな魅力に映るのでは」と話す。

 ハイブリッド社債の発行が昨年から急増している(図1)。ブルームバーグによれば、今年の発行額は8月下旬までで1・7兆円と、すでに昨年1年間の1・2兆円を大きく上回り、三菱地所は今年2月、期間60年という超長期のハイブリッド社債発行で総額2500億円を調達した。ただ、これまでは機関投資家向けばかり。個人は本来、民間事業者の社債に対し、超長期のリスクを取ることは考えにくかった。ソフトバンクは今回、機関投資家向けにもハイブリッド社債を発行するが、金額は未定。一歩先に個人向けへ踏み込み、運用難に悩む個人の需要開拓に期待する。

 こうしたハイブリッド社債市場の活況は、企業の信用低下や将来の金利上昇などのリスクを覆い隠すほどの低金利によって生まれた“超常現象”だ。対照的に、国内の普通社債は発行の伸びがそれほど高くない。日本証券業協会によると、普通社債の発行は今年1~6月、前期比7%増にとどまっており、みずほ総合研究所の野口雄裕・上席主任エコノミストは「設備投資などに使われれば好循環が生まれるが、借り換えや自社株買いのためなど前向きな調達ばかりではない」と指摘する。

 

◇社債は数時間で“蒸発"

 

 ある国内生命保険大手の社債運用担当者は、社債が“蒸発”するのを実感した。イスラエルに本拠を置く後発医薬品世界最大手のテバ・ファーマシューティカル・インダストリーズが今年7月、同業のアラガン社(アイルランド)買収のため、150億㌦(約1兆5000億円)もの社債を発行したが、格付けはトリプルB格と高くはない。運用担当者は「簡単に飛びつけるものではないのに、数時間で売り切れてしまった。発行額の5~6倍の資金が集中したようだ」と驚く。

 生保や年金などの機関投資家が、プラスの金利を求めてさまよい、世界中の金利水準を押し下げている。その傾向は日銀が今年1月、マイナス金利政策を導入後、特に顕著になった。しかし、安定運用が不可欠な機関投資家にとって、損失を確定させるマイナス金利での投資には躊躇する。そうした投資家の姿勢が、国内の社債や地方債などの市場にある“異変”をもたらした。発行体の信用力とは別に、債券の金利水準が決まる「絶対値プライシング」の拡大だ。

 債券の金利はこれまで、償還までの期間が同じ国債金利に、発行体の信用力の程度を金利として上乗せすることで決まっていた。しかし、日銀のマイナス金利政策の導入後、特に償還までの期間が短い国債金利のマイナス幅はさらに深くなり、債券の発行体の信用分を加味しても金利がマイナス化してしまう事態に。そこで、機関投資家が投資できるよう、信用力とは別に金利をぎりぎりプラスとする起債が広がっているのだ。

 福岡市は今年9月、期間5年の市債100億円を利率0・001%で発行する。5年国債の金利は8月、一時マイナス0・2%を下回る状況で、市の信用力の程度を金利として上乗せしてもマイナスになってしまうからだ。それでも「市債の発行を引き受ける証券会社には、機関投資家から何倍もの応募があるようだ」(福岡市総務資金課)。限りなくゼロに近い金利でも、投資家が殺到せざるをえない苦しい事情がある。

 みずほ証券の大橋英敏チーフクレジットストラテジストは、現在の社債などの市場について「マーケットではリスクが適切に評価されておらず、リスクに鈍感になっていることが怖い」と警戒する。

 

◇危うさ増す国債市場

 

 社債などの市場に大きな影響を与える国債市場は、今や日銀が発行残高の3割超を保有して支配する。その国債市場で今年7月末から8月初めにかけて、マイナス圏にある金利が急騰した。長期金利の指標となる10年国債の利回りは7月27日、マイナス0・3%に迫っていたのが、8月2日は一時マイナス0・025%と約4カ月半ぶりの高水準に急上昇。きっかけとなったのは、7月29日に開かれた日銀の金融政策決定会合だった。

 金利急騰の要因の一つとなったとみられるのが、日銀が同日に決定した邦銀のドル資金調達の支援拡大だ。世界では今、相対的に金利の高い米国に向けて投資資金が集中しており、邦銀は米ドルの調達難に直面する。こうした円から米ドルを調達する際のコストは「ドルヘッジコスト」と呼ばれ、現在は160ベーシスポイント(1ベーシスポイント=0・01%)前後の水準で高止まっている。日銀のドル資金調達の支援拡大により、このドルヘッジコストが下がるのではという予想が投資家の間に広がった。

 実は、ドルヘッジコストの低下は、日本円に投資する米ドルの投資家にとっては大きなダメージ。円からドルに交換する際のコストの裏返しとして、ドルから円に交換する際に受け取れるプレミアム(割り増し金)が減少してしまうからだ。日本国債が少々のマイナス金利でも、プレミアムで利益を得られていた外国人投資家が、プレミアムの低下を嫌って売りに出たのではないかとみられている。

 日本の国債市場で外国人投資家の存在感は高まっている。2006年3月末には4・4%にすぎなかった「海外」の保有比率は、16年3月末(速報)は10・2%へと拡大(図2)。日銀を除けば海外の保有比率は15・5%に高まる。ここ数年、日本国債を買い越してきたのはもっぱら外国人。岡三証券の鈴木誠・債券シニアストラテジストは「外国人がいっせいに売りに回った時、金利が急騰する局面がいずれやってくるだろう」と懸念する。

 金利の急騰局面は、市場が発する重要なサインだ。野村証券の松沢中チーフ金利ストラテジストは、「日本の過去の長期金利の推移をみると、大きな金利急騰局面の数年後にバブルが崩壊している」と語る(図3)。国債市場は中央銀行の重要な政策手段の場であり、金融政策が緩和から引き締めへ転換する際、その兆候にもっとも敏感に反応すると考えるからだ。日銀は今年9月20~21日の金融政策決定会合で、これまでの金融政策を「総括的に検証」すると表明。大きな節目に来ていることは間違いない。

 1987年、98~99年の金利急騰後には、それぞれ日本のバブル崩壊(90年)、ITバブル崩壊(00年)が発生した。そして、03年の金利急騰後、07~08年には世界的な金融危機が到来した。市場で今、足元で次々と起こる異変に、日銀はどう対処するのか。かじ取りを誤れば、巨大なバブル崩壊の足音が聞こえてくる。