2016年

9月

06日

追悼:むのたけじさん・ジャーナリスト 2016年9月6日号

 ◇平和を訴え続けた70年

 

金井暁子

(編集部)

 

 従軍記者として経験した第二次世界大戦の教訓から、平和を訴えてきたジャーナリストのむのたけじ(本名・武野武治)さんが、8月21日に老衰のため亡くなった。101歳だった。

 編集部は今年3月、むのさんにインタビューした。さいたま市にある次男・大策さんの自宅で会ったとき、顔色もよく、足が不自由なこと以外は非常に元気だった。はっきりとした口調で、その場にいた誰よりも大きな声で力強く、その半生と今思うことを語ってくれた。

 むのさんは従軍記者として2度戦地に行っている。1度目は、1940年に日中戦争最中の中国。2度目は、42年に日本と連合国が戦うインドネシアのジャワ島。インタビューでは、戦時中に新聞社が反戦を唱えることができなかったことを悔いるとともに、一度戦争が始まると、民衆や新聞社の中でも言論の相互監視や自己抑制が行われたことを説明した。そのため、戦争は起きる前に防ぐことが一番大切だと力説した。

 日本が降伏することを知った後の45年8月14日に、むのさんは戦争体験を反省して出直すために、ひとり新聞社を退社した。その後、48年に故郷の秋田県で週刊新聞『たいまつ』を創刊し、30年間、反戦平和や東北振興などを訴えてきた。特に憲法9条を守ることの大切さを主張し続け、9条は連合国が日本の交戦権を奪った「死刑判決」としながらも、「受け入れるしかない。本当に9条が世界平和の道しるべとなるよう若い人に考えてほしい」と話していた。今年5月3日の憲法記念日に東京で開かれた集会にも参加していた。

 むのさんを介護、看病してきた大策さんによると、最後まで日本のことを憂えていたという。7月10日の参議院選挙の結果、改憲勢力が3分の2になったことを聞くと、「残った3分の1の勢力は、相手が無視できないような新しい考えを作ることだ」と語っていた。また亡くなる4日前に、言いたいことがあると声を録音させた際にも、発言は聞き取れないものの「日本が……」と気にかけていた。

 インタビュー時にむのさんは、過去に2度がんを克服したことを得意げに語ってくれた。そして、亡くなる時はほほえみながら死ぬのだと言っていた。大策さんによると亡くなる少し前「私の手を軽く握り、少し笑ったように見えました」と、見事それを実行した。ご冥福をお祈りします。