2016年

11月

01日

追悼:プミポン・タイ国王 2016年11月1日号

 ◇政治の安定の要

 

樋泉克夫

(愛知大学教授)

 

 タイのチャクリ王朝9世のプミポン国王が10月13日、88歳で逝去した。ワチラロンコン皇太子(64)は10月中に10世王に即位する見通しだが、実質的に王位を継承する戴冠式は1年ほど先になる予定だ。戴冠式までの間、プミポン国王と共に1980年代以降のタイの政治・社会の安定に腐心してきたプレム枢密院議長が摂政として王制を支えることになる。

 タイ政治の安定の「要」として重要な役割を果たしてきたプミポン国王死去の影響は大きい。

 プミポン国王は46年に18歳で即位した。70年代初頭までは国軍指導者による強力な独裁体制の下、象徴的存在として振る舞っていた。だが、73年に学生が決起し独裁体制反対の声を上げるや、国王は彼らの行動を「是」とし、長かった軍事独裁時代に幕を下ろさせた。

 しかし、社会の安定のためには、国軍との融和は必須だった。このため数年後、国外追放されたかつての国軍指導者が僧侶として帰国意思を示すや、国王は許している。

 国王が政治的旗色をより鮮明に打ち出したのは、81年4月に若手将校中心のクーデターが勃発した時だ。国王は、明確な形でプレム首相支持を表明し、クーデターを失敗に終わらせただけでなく、国軍内の反プレム勢力の行動に「ノー」を突きつけた。かくしてプレム首相は88年まで長期政権を維持する一方で、国軍内に築いた支持基盤を背景に、枢密院議長として国王を補佐し続けた。

 

 ◇王の「威徳」継げるか

 

 だが85年9月、プラザ合意(ドル高是正の合意)によって急激に力を増した円が集中豪雨的に投資されたことで、タイの社会構造に地殻変動が起きた。第二次大戦後、一貫して社会を支えてきた「ABCM(王室、官界、財界、国軍)複合体」と呼ばれるエリート層に対し、プラザ合意を機に起こった高度経済成長の中で生まれた新興企業家や中間層が発言権を求めるようになったのだ。

 新旧勢力は政治体制をめぐって対立を深めた。ABCM複合体が「国王を元首とするとするタイの民主主義」を掲げ、既得権益の防衛に回った一方で、新興勢力や中間層は新しい社会にふさわしい「(国王が政治に関与しない)制限のつかない民主主義」を求めた。共に「民主化」を掲げながら、妥協点を見いだすことはなく、21世紀に突入。2005年末から10年ほど、反タクシン派は国王を象徴する「黄色」を、タクシン派は「赤色」をシンボルカラーに、バンコクの中心街で激しい街頭行動を繰り返してきた。

 新旧対立の最後の抑止力こそ、プミポン国王の威徳であった。その国王を失うという未曽有の危機を管理できる組織は、国軍を除いて考えられない。国軍を従えたプラユット暫定政権は、国内安定に最大限の努力を払い、つつがなく皇太子に王位を継承させるはずだ。

 ただ、プミポン国王が長年にわたって築いた和解と融和の象徴という国民的合意を、ワチラロンコン皇太子が受け継ぐことができるのか。国民の目に新しい国王像が示されていないゆえに、将来への不安は消えそうにない。新国王の振る舞い次第では、国内対立の再燃が懸念される。(了)