
◇トンネル工事1100本の実績
1898(明治31)年創業。50年代に関西電力黒部ダム・黒部川第四発電所(通称黒四)建設において、資材輸送の要である関電(大町)トンネルの建設に携わり、小説・映画『黒部の太陽』のモデルとなった。バブル期における過大投資などで経営が悪化し、2000年に4300億円の債権放棄を要請した。その後、業績回復に伴い、14年9月に自己株式(優先株)の消却を完了。15年3月期に08年3月期以来、7年ぶりに復配した。
── 特色と強みはなんですか。
樋口 建設業はものづくりであると同時にサービス業でもあります。お客様の事業成功や収益向上を我々の建設技術でかなえるという理念を社員にも説明しています。
もう一点は、全員参加です。私が社長になった時から、一番のねらいは風通しよくコミュニケーションが図れるようにすることでした。土木・建築、営業、事務など業務間の壁をなくせば、どの担当からでも、よい提案やサービス提供ができます。
強みの一つはトンネル工事です。トンネルは、実際に掘ってみないと山や土の状態が分からないことがあり、状況に応じた工事が必要です。その最たる例が、黒四のトンネル工事です。軟弱な地層である「破砕帯」から地下水が出て前に進めなくなる現場で苦闘の上、工事を成し遂げました。今まで建設したトンネルは約1100本に上ります。その実績やデータを持っています。
── リニア中央新幹線の東京─大阪間の86%がトンネルなので、強みがあるのでは。
樋口 山梨リニア実験線の一部を整備した経験を生かさなければならないと思います。分からないことが起きた時に、対応できるのが当社の強み、他社との違いです。当社としても技術向上に日々努め、強みに磨きをかけていかなければなりません。
── 00年以降、どのように業績を回復しましたか。
樋口 00年に主要取引金融機関に債権放棄をしてもらい、関係者にご迷惑をかけてしまいました。金融支援策として、優先株300億円分を金融機関に引き受けていただきました。いま振り返れば、残してもらうべき価値のある会社だったかを問われ続けた15年だったと思います。私が社長に就任した13年には、まだ188億円分が残っていました。
そこで、収益性の改善に力を入れました。当時、建設業界には、大きな仕事ならば、結果的に赤字でもよいという風潮があったのは確かです。当社は受注段階での利益見通しの確実性を全社的に検討することで、営業利益を積み増すことができました。加えて、東京五輪開催やリニア中央新幹線建設が決まり、当社の株価が行使価額(転換価額)の100円から大幅に上がったおかげで、無事に優先株を消却することができました。
◇インフラの維持更新研究
── 震災復興にどのように携わっていますか。
樋口 被災地で、盛り土をして町全体をかさ上げする計画や、鉄道、道路の復旧などに参加しています。 原発関連では、福島第1原子力発電所の敷地造成と諸施設の基礎を当社が担当していました。事故後は、早めに現場に入って原発への通行道路建設や片付けなどを行いました。現在、福島第1原発には、作業員を含め170人くらい動員しています。除染や放射性物質に汚染された草木などを焼却して容積を減らす減容化もしています。
── 東京五輪については。
樋口 大会期間だけ使用する仮設の競技場の計画などにいくつかチャレンジしていきたいです。インバウンド効果で、ホテル建設の要請も多くなっています。
── 海外での取り組みは。
樋口 受注額が大きく魅力的ですが、その国を熟知していないと商売できません。台湾では、事業を始めて40年以上の実績があるので、人脈やネットワークを構築しており、法律も熟知しています。それがそろって初めて商売になります。そのため、売上高における海外事業の比率は1割程度に抑えます。
── 人手不足など建設業界の問題にどう対応しますか。
樋口 建設業は時期によって仕事量の多さに幅があるので、仕事が重なった時にどうするかが問題です。解決には生産性の革新が大切です。効率を上げれば、原価は下がります。工法の工夫、なるべく人手をかけなくて済む工法への切り替え、機械化などをしていかなければなりません。
その対応の一つとして、茨城県つくば市の研究所で、生産性を上げる方法のほか、これから需要が出るインフラの維持更新などを研究しています。熊谷組にしかないものをそのうち、どんと発表したいと思いますので、楽しみにしていてください。
── 16年3月期から3カ年の中期経営計画を策定しました。
樋口 3年目に連結営業利益158億円を目標としていますが、15年3月期の161億円を下回るため、周囲から堅いと言われています。当社は、売上高の約65%が建築、約35%が土木。建築は前期で採算の悪い工事がなくなり、前期に売上高が大きく伸びた土木は引き続き好調。そのため、中計の計画値は十分に達成できる見通しです。(構成=丸山仁見・編集部)
Interviewer 金山 隆一(本誌編集長) Photo 根岸 基弘:東京都新宿区の本社で
■横 顔
Q 30代の頃はどんなビジネスマンでしたか
A 日本各地で作業所長をしていました。現場はさまざまな事態が起きて大変ですが、建設物として残ります。そのようなところにやりがいがありました。
Q 最近買ったもの
A ワインセラーです。元社長の実家が営む山梨県甲州市のぶどう園がワイン記念館に改修されました。その縁でワインを飲む機会が増えました。
Q 休日の過ごし方
A ウオーキングをします。当社でウオークラリーをやっており、3人1組のチームとなって歩数を競っています。
■人物略歴
ひぐち やすし 山梨県出身。1970年甲府第一高校卒業。76年東北大学大学院修了後、熊谷組入社。2003年ケーアンドイー社長、11年熊谷組常務執行役員、12年専務執行役員などを経て、13年6月より現職。63歳。