
◇最高水準の企業業績なのに
◇縮こまる投資と消費の心理
中川美帆
(編集部)
「鋼材の売り値がジワジワ下がり、在庫の評価損が出ている。この先も好転する見通しが立たない」
千葉県浦安市に広がる「浦安鉄鋼団地」の一画に倉庫を構え、鋼材を加工・販売している老舗問屋の社長は頭を抱える。「客先からの値引き要求も強く、断ると他社に取られるから、仕方なく受け入れている」状態で、扱っている鋼材の販売価格は、この3カ月の間に約5%下がった。
北陸の繊維・工作機械関連メーカーの従業員は「中国の需要が減って、ライバル会社との価格競争が激しい。インドは比較的需要があるほうだが、成約に至るまでの期間が延びている。需給バランスが崩れ、在庫が積み上がっている」と嘆く。
全国中小企業団体中央会の9月の「中小企業月次景況調査」(対象約2600人)では、景況感、売上高、収益、販売価格、資金繰り、設備操業度など全ての指標が前月より悪化した。背景には、中国経済の減速や天候不順、倹約志向による需要の減少、人手不足による人件費の上昇などがある。今後、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の合意で輸入品の価格が下がれば、国内商品への値下げ要請が強まることを懸念する声も聞かれる。
全国中小企業団体中央会の関口貴博主事は「国内の中小企業は限られたパイを巡り、海外の廉価商品などと熾し れつ烈な競争をしている。賃金は、途上国の低賃金労働者との競争で下落傾向だ」と話す。さらに、経済構造がグローバル化するなか、大企業でも予測できない海外リスクなどに備えつつ、輸出競争力を保たなければならない。そのシワ寄せで、国内下請けの中小企業がコストカット要請を受けているケースもある。

◇2期連続マイナス成長も
一方で、上場企業の収益は過去最高水準にある。9月の有効求人倍率(季節調整値)は1・24倍で、23年8カ月ぶりの高水準だ。9月の完全失業率は3・4%で、18年ぶりの低水準となる3%台前半を今年3月以降、維持している。にもかかわらず、中小企業や地方では景気回復の実感が乏しい。高所得者が豊かになれば、低所得者にも富がしたたり落ちる「トリクルダウン」には、ほど遠く、アベノミクスの浸透状況はまだら模様だ(図1)。
デフレ脱却を目指したアベノミクスは、円安・株高と資産価格の上昇→企業収益の拡大→設備投資の増加、賃金上昇による消費増加→企業収益の拡大──という好循環の実現を目指してきた。だが、スタートから約3年たった現在、この通りになっていない。
内閣府は11月16日に2015年7~9月期の国内総生産(GDP)速報値を公表する。民間のシンクタンクや金融機関12社が10月30日までに発表した予測によると、物価変動の影響を除いた実質GDPは、前期比年率で平均マイナス0・3%。12社中、10社がマイナス予測だ。これが現実になれば2四半期連続のマイナス成長となり、景気後退入りと判断される可能性がある。
実は、アベノミクスがスタートした13年1~3月期から15年4~6月期までの10四半期で、マイナス成長は4四半期もある(21㌻の図2)。7~9月期がマイナスなら、11四半期で5四半期がマイナスとなる。約0・5%にまで落ち込んだ潜在成長率の低さから、財政・金融政策のカンフル剤が切れると、とたんにマイナスに落ち込んでしまうのだ。
世の中に出回るお金の量を示すマネタリーベースの残高は10月末時点で344兆円となり、前月より約6兆円増えた。14年度の内部留保は前年度から約26兆円増の354兆円(うち現預金は210兆円)と過去最高を記録。しかも、日本の上場企業の半数近くは、手元資金(現預金と短期保有の有価証券)が有利子負債残高を上回る「実質無借金」だ。
にもかかわらず、企業は設備投資や賃金にお金を使おうとしない。「長いデフレで“設備を持たない経営”とリストラの意識が染みついてしまった」(みずほ総合研究所の高田創チーフエコノミスト)うえ、財政再建による将来の増税を警戒しているからだ。加えて、中国や新興国経済の先行き不安、米国景気の腰折れ懸念が悪影響を及ぼす。今後の利上げによるドル高も、米国の景気下押し要因になりかねない。
賃金が上がりにくいことに加えて、雇用の実態もあまり良くない。前述の有効求人倍率や失業率の数字は確かに良好だが、実は雇用者の37・2%を非正規労働者が占める(9月の労働力調査速報)。
個人消費も低調だ。総務省が10月30日に発表した9月の家計調査速報によると、消費支出は実質で前年同月比0・4%減となり、2カ月ぶりにマイナスに落ち込んだ。日銀が同日公表した「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」は、「企業の賃上げに対するスタンスが慎重化する場合や、そうしたもとで消費者の物価上昇に対する抵抗感が強まる場合には、物価の上昇ペースが下振れるリスクがある」と指摘している。
円安による、輸入品を中心とした物価上昇も追い打ちをかける。今後、日銀が2%のインフレ目標達成のために追加緩和をすれば、円安が進み、さらなる物価上昇を招く恐れもある。17年4月には、消費税率10%への引き上げも控える。
先行きへの警戒感がくすぶるなか、企業も個人も、お金を使うことに慎重になっている。
このため、企業収益を景気回復のための投資や消費にどうつなげていくかが、大きな課題になっている。
◇どんよりとした曇り空

政府と経済界の代表らによる「官民対話」の初会合が10月16日に開かれ、安倍晋三首相は設備や人材への積極的な投資を求めた。対して経済界は、規制改革や、法人実効税率の早期引き下げなどを要求。両者の主張は平行線だ。
「新三本の矢」の①14年度490兆円の名目GDPを20年ごろ600兆円にする、②出生率を現在の約1・4から1・8にする、③介護離職をゼロにする──という内容も、構造改革などを期待していた国内外の投資家らの失望を招いた。
三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林真一郎主任研究員は「景気を天気に例えるなら、現在はほとんどの項目が、どんよりした曇り空で、3カ月後もほとんど変わらない」と見る(図3)。公共投資は、年末に編成する15年度の補正予算を充てる可能性もあるが、執行は年明け以降なので、目先は減る見通しだ。
先行きへの不透明感ばかりが強まる。このままでは、まやかしの景気回復に終わる。(了)
この記事の掲載号

2015年11月17日号
【特集】景気回復のウソ
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