2016年

8月

02日

ヘリコプターマネーは既に現実 予期せぬ“出口”への備えが必要=岩村充

岩村充(早稲田大学大学院経営管理研究科教授)

 

 真偽のほど定かではないが、2014年まで米連邦準備制度理事会(FRB)の議長だったベンジャミン・バーナンキ氏には、ちょっとした「都市伝説」がある。彼が議長に就任する前の03年、長引くデフレに悩む日本を訪れ、「それなら国債や他の債券をどんどん買ってマネーを増発したらどうか。国債や他の債券を買い尽くしたら、後はケチャップでも何でも買い入れることだ。そうすれば必ずデフレを逆転できる」。そう発言したというのである。

 

 さて、このケチャップ買いの勧め、政策提言としての適不適はともかく、「ヘリコプターマネー」略して「ヘリマネ」の本質を、見事に言い当てているところが面白い。リアルの経済価値の裏付けなきマネーの散布をヘリマネと言うのだとすれば、長く持っていれば無価値になるに決まっているケチャップを買い入れてマネーを発行するというのは、既にヘリマネに他ならないからだ。

 

 バーナンキ氏には、積極的なマネー供給論者であるという文脈から、「ヘリコプター・ベン」というあだ名が奉られていたことがあったが、そうしたあだ名の由来には、この都市伝説も含まれているかもしれない。

 

 日銀を含め多くの中央銀行がマネー供給の手段として採用している国債の買い入れは、それがいかに大量のマネーを散布するものでもヘリマネとは言わない。ケチャップは、レストランならぬ中央銀行が持っていても何も得られないし、賞味期限を過ぎれば廃棄するほかはない。だが、国債を金庫に収めておけば利子が得られ、償還期には元本が戻ってくる。だから、ケチャップを買うのはヘリマネでも、国債を買うのはヘリマネではないはずなのである。

 

 ◇金庫の中身は突然変わる

 

 でも、いつもそうなのだろうか。金庫の中の国債が、いつのまにか賞味期限切れのケチャップに変わっている、そんなことは起こらないのだろうか。

 

 実はそこが怖いところだ。悪夢のシナリオは、GDP(国内総生産)の2倍にまで膨張した国債発行残高、その借り換え能力に人々が疑いを持ち始めたときに始まる。そのとき人々は、日銀資産の大半、400兆円にも迫っている膨大な量の国債を、ただの不良資産、つまりは「賞味期限の過ぎたケチャップ」と思うようになるかもしれない。そうしたら何が生じるだろうか。

 

 生じるのは、通貨価値のスリップ・ダウン、言い換えれば物価水準のジャンプ・アップ、それへの予感である。日銀が望んでいるような緩やかで持続的なインフレではない。そして、長期金利は突発的な上昇を始めることになる。中央銀行が直接にコントロールできるのは、短期の市場金利であって長期金利、つまり長期債の市場利回りではない。そこに悪夢の基本構造がある。

 図1は、日本国債の保有状況を示したものである。財投債を含め1000兆円を超える国債のほとんどは、日銀を含む金融機関や機関投資家などに保有されていることが分かる。長期金利の急上昇は彼らの信用を直撃するだろう。

 

 日本の国債は、1700兆円の家計貯蓄に支えられていると言われることがある。その通りである。だが、家計貯蓄は、直接に国債市場を支えているわけではない。日本国債のほとんどは、期間決算に拘束される法人や組織を通じて保有されているのだ。だから、国債の借り換え能力に対する疑念は、日銀と民間銀行あるいは保険会社などのバランスシート毀損(きそん)を通じて、日本円や日本の金融システムに対する信用への破壊的な衝撃になりかねない。

 

 もちろん、黒田東彦日銀総裁の見事な手綱さばきで、異次元緩和が緩やかに「出口」を迎える可能性だってある。だが、それは保証できることではない。政府債務の基盤は盤石だと説明することと、それを信じてもらえるかどうかは別問題だからである。

 

 危機の可能性を否定できない以上、私たちは備えを怠るべきではない。

 

 ◇“永久債”にするのなら

 

 筆者は2016年5月末より、「日経ナウキャスト日次物価指数」の配信サイトである株式会社ナウキャストのホームページを借りて、一つのプランを公開している。

 

 ◇日銀保有国債の変動利付永久債化プラン

 

  1. 現在の準備預金を、通常の支払い準備に使用する第1階層預金と、第2階層比で上乗せ金利(スプレッド)が得られる第2階層預金に分離する。第2階層預金には最低保証金利(フロア条項)を定めておく。
  2. 第2階層預金の第1階層預金への振り替えは、(所定のペナルティーを払う限り)いつでも可能とするが、第1階層預金の第2階層預金への振り替えは下記Cに応募する以外にはできないものとする。
  3. 日銀は、準備預金保有金融機関に対し、現在の準備預金から第2階層への振り替えを入札方式により募集する。
  4. 上記Cによる落札額相当額につき、日銀保有国債を永久債に転換する。永久債の金利はCに準じたスプレッド条件(及び最低保証金利)を付した市場金利連動とする。
  5. 政府は、本永久債につき、額面での繰り上げ償還権を持つ。

 図2に示すように、その骨子は、今や国債発行高の4割にまで達している日銀保有国債を他の国債から切り離し、変動利付永久債に交換すること、そして、そこから生じるキャッシュフローを、少なくとも異次元緩和の終了まで、準備預金保有金融機関へと移転する仕組みを構築しておくところにある。

 

 参考にしたのは、日銀自身が1月のマイナス金利導入の際に採用した仕組みだ。マイナス0・1%の金利が付される一般の準備預金から、過去の積み立て実績に応じた一定金額を基礎残高として区分し、それにプラス0・1%の金利を付すというものである。

 

 筆者のプランでは、分離した準備預金の付利条件を入札で決定することにし、さらに、分離した準備預金を永久債に転換した変動利付国債に見合うものと位置付けてみた。国債を永久債化し変動金利に転換としたのは、政府の借り換え負担を軽減しつつ日銀のバランスシートを守るためである。だが、得られる効果はそれだけでない。

 

 日本あるいは日本国債をみる投資家の「潮目」が変わり、価格の下落(利回りの上昇)が始まったときのことを考えてみよう。もちろん、金利の上昇は、「潮目」の変化だけで起こるとは限らない。アベノミクスが成功し、異次元緩和が「出口」に至ったときにも、これは日銀の誘導に沿って、市場金利はマイナス領域から離れ始めるはずだ。

 

 いずれにしても、そうしたとき、政府は、自身のALM(資産・負債総合管理)的な判断から、この変動利付永久債の償還と借り換えを考え始めるはずである。異次元緩和が終わりを迎え、金利が上昇を始めれば、自身の資金調達を長期化し、再び固定金利化しておいた方が安全なはずだからだ。

 

 もう気付いていただけただろう。こうすれば、この仕組み自体に固定的な終了期をセットしておかなくても、変動金利のメカニズムがその代わりをしてくれるのである。そうしてこれまでの量的緩和の「成果」を切り離して凍結し、足元では日銀が追加的な緩和に動く余地を確保するとともに、事情が変わったときには、散布されたマネーを回収する仕組みを準備すること、それが今回の提案の狙いである。

 

 これまで通りにデフレと戦い続けるのか、それとも戦いの弊害の方に眼を向けるのか、それは英明な黒田総裁が決めることである。プランを永久債ベースで考えたのは、その黒田総裁が「出口」に至るステップを語っていないからである。永久債にしておけば、総裁が異次元緩和の終わりを語り始めるまで、市場は待つことができるわけだ。

 

 日銀総裁が「出口」を語る日は、まだまだ当分は来ないかもしれない。いや、日銀総裁が「出口」を語り始める前に、異次元緩和そのものが、予期せぬ終わりを迎えることになるかもしれない。それは楽しくない予想だが、その予想を無視できない以上、備えが必要なのである。

 

 具体的イメージをつかむために、このプランを実施した場合、量的緩和の「終わり」の前後で何が起こるか、一例を図3に示しておこう。あえて「一例」と断ったのは、そこで何が起こるかは、具体的な制度設計、すなわちスプレッド(上乗せ金利)とフロア条項(最低保証金利)、そして第2階層から第1階層へと準備預金を振り替える際のペナルティーの設定に依存しているからである。ここで示すのは、あり得そうなシナリオの一つに過ぎない。

 

 ◇シナリオは設計次第

 

 現行の金利体系からの移行を基本に考えてみよう。その場合、最低保証金利は移行時の基礎残高への付利水準(0・1%)と同じにするのが妥当だろう。また、ペナルティーはゼロでスタートするのが自然と思われる。その場合、スプレッドは多少のマイナスになるはずだ。そう想定する理由は、量的緩和終了前後のシナリオを考えれば分かってくる。

 今のマイナス金利の状況が膠着(こうちゃく)し動かない間のことを考えてみよう。その間は、第2階層の金利は最低保証金利にくぎ付けになったままで動きそうもない。スプレッドはマイナスに設定されているが、実際の金利適用に有効なのはフロア条項の方だからだ。

 

 では、状況が変わって第1階層預金の金利がゼロあるいはプラス領域にまで、つまりはフロア条項の意味がなくなるほどまで上がってきたとき、準備預金保有金融機関はどう反応するだろうか。

 

 スプレッドが存在する限り、第2階層に実際に付される金利は第1階層のそれよりも低く、かつフロア条項も無意味になっているわけだが、それは金融機関に新たな不利益をもたらすものではない。彼らは、いつでも第2階層預金を第1階層に振り替えることができるからだ。彼らがそうしないとすれば、それは、いったんは引き上げた準備預金金利を再び日銀が引き下げてくる可能性を読んでいるせいである。

 

 こう整理すれば、入札条件に応じてスプレッドがどうなるかの見当が付く。量的緩和の終わりの前でも後でも、彼らにとって第2階層預金を持つことは、第1階層預金比で必ず有利なのである。したがって、条件を入札で決めれば、スプレッドはマイナスになるはずである。入札でスプレッドがプラスになるとしたら、それは、第2階層から第1階層への振り替えにペナルティーを設定した場合である。ただ、そうした設定は、現状を基準に考える限り、あまり現実性はないように思われる。

 

 ちなみに、このプランでは、量的緩和継続中の国債(変動利付転換された国債)の金利は、もしそれにフロア条項が付されるのなら第2階層の金利と等しく、そうでなければ単純にスプレッドに沿ってもっと低くなる。いずれにせよ、際限なくベースマネーを供給する異次元緩和下では、市場金利は第1階層預金の金利に張りついて動かないので、それに連動する国債金利も事実上の固定となるだろう。このプランによる国債の金利が上昇を始めるのは、日銀が無制限のベースマネー供給を止めたとき、すなわち量的緩和が終わりを迎える局面に至ったときである。

 

 量的緩和が終わりを迎えれば、日銀は、保有国債の対市中売却つまり「売りオペ」を開始することになる。だが、保有国債が固定利付のままだったら、日銀は、オペ対象国債に生じる売却損だけでなく、保有国債全体に対する評価損をも気にしつつ、緩和の終わらせ方を探らねばならない。ところが、もし保有国債が変動利付に転換されていれば、わずかばかりのスプレッドに相当する売却損がオペ対象国債に生じる以外に損失は生じなくなる。それは、「出口」における金融政策運営に、新たな自由度と機動性を与えてくれるはずだ。

 

 言うまでもないことだが、描いた図は、プランの採用で演出できるシナリオの一例に過ぎない。だが、こうして準備をしておけば、金融政策と国債管理政策とが区別ないまでに溶け合ってしまった日本を予期せぬ衝撃が見舞ったときにも、それで市場と政策とが同時に崩壊する事態だけは避けることができよう。

 

 ◇緩和依存症への処方箋

 

 異次元緩和は一種の「麻薬」である。麻薬は痛みを和らげてくれるが、使い続けていれば健康を損なう。異次元緩和という処方箋に浸かりきった日本経済も同じようなものだ。そして、薬物依存症の患者を救うのには、それを断ったときへの恐怖から解放する治療が必要なのと同じように、異次元緩和依存症に陥った日本経済にも、やがて来る金利上昇への備えが不可欠なのである。このプランの狙いも、そうした備えについての議論を促すことにある。

 

 とはいえ、ここで提案したプランは、今日明日からでもスタート可能というものではない。プランの根幹にあるのは、日銀保有既発国債と新規発行の変動利付国債とのスワップ(交換取引)だが、それを既発国債の繰り上げ償還と新規国債の引き受けというかたちで行おうとすれば、国会の議決を経ない日銀国債引き受けを禁じている財政法第5条との関係を整理しなければならないし、そうした形式上のことだけでなく、プランの考え方の全体について、それを考えざるを得なくなった背景にまでさかのぼった議論が必要だろうからである。

 

 ただ、現実にリスクがある以上は、打てる手は早く打っておいた方がよい。また、そうして手を打っておけば、日銀保有国債への利払い負担が軽くなるだけでなく(ただし、政府と日銀を連結した「統合政府」でみれば、これは統合政府内の付け替えに過ぎず、本質的な負担軽減ではない)、日銀が国債市場の激変に備えて積み上げている自己資本(*1)の相当部分が不要になり、そこで生じた財政的余裕を、他の活動に振り向けることも可能になるからだ。

 

 16年1月の日銀によるマイナス金利導入は、いかにも評判が良くない。それは当たり前だろう。拙著『中央銀行が終わる日』でも説明したように、停滞の色を濃くする今の世界で求められているのは、銀行券を含むベースマネーの全体にマイナスの金利を付し、デフレ時における金融政策を、ケインズのいう「流動性の罠(*2)」から自由にさせる手法を確立することである。世はマイナス金利なのに、ゼロ金利という利回りが確保され、しかも流動性まで備えた金融資産である銀行券をそのままにして、市場金利だけを強引にマイナス領域に押し下げようとする政策は、金融システムに深刻なゆがみを生じさせることになる。

 

 マイナス金利政策が金融機関経営に及ぼす影響について問われた黒田総裁、そこで「金融政策は金融機関のためにやっていない」と切り返したと報じられたことがあった。ただ、筆者は、それは彼の真意の全部ではないと信じたい。金融政策が金融機関経営のためのものでないことは自明だが、安定した金融システムなくして実効ある金融政策運営ができないことも自明だからである。黒田総裁ほどの知見の持ち主が「社会の利益を増進しようと思い込んでいる場合よりも、自分自身の利益を追求する方が、はるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある」(『国富論』大河内一男監訳・中公文庫より)と説いたアダム・スミスを知らぬはずはあるまい。

 

 危機の足音が聞こえ始めた今、日銀はこれまでにも増して市場の声に注意深く耳を傾ける必要がある。

 

(岩村充・早稲田大学大学院経営管理研究科教授)

◇日銀の自己資本(*1)

 日銀は利益の大半を政府に納めるが、うち5%を自己資本に積み増すよう義務付けられている。資産購入で利益が増す一方、リスクが増しているため、2013年度は20%、14年度は25%を財務大臣の許可を得て自己資本に積み増した。

 

◇流動性の罠(*2)

名目金利がゼロ以下まで低下すると、金利ゼロの金融資産である銀行券の需要が無限大になるため、貨幣供給量を増やしても金利は下がらなくなる。

◇いわむら・みつる

 1950年生まれ。東京大学経済学部卒業。74年日本銀行入行。企画局兼信用機構局参事を経て、98年より早稲田大学ビジネススクール教授。著書に『貨幣進化論』『中央銀行が終わる日』など。

 

*『週刊エコノミスト』2016年8月2日号 特集「ヘリコプターマネーの正体」掲載