2017年

1月

10日

リベラルの罪 レッテル貼りの“ポピュリズム” 実相は取り残された人々の怒り

Bloomberg
Bloomberg

ブレイディみかこ(英国ブライトン在住ライター)

 

バズワードとは人々が大騒ぎして使っているわりには定義が曖昧な言葉のことだが、いま流行の「ポピュリズム」はその最たるものだろう。

 

 オックスフォード英英辞書に書かれたPOPULISMの意味は、「庶民の意見や願いを代表することを標榜(ひょうぼう)する政治のタイプ」となっているが、昨今のポピュリズムの使われ方は本来の意味とは違う。英国のEU(欧州連合)離脱、トランプ現象が大きなニュースになった2016年は特にそれが顕著になった。

 

 EU離脱決定後に辞任した英国のキャメロン前首相は、12月9日、「私はポピュリズムに負けた」と半年前を振り返って言った。彼によれば、自らが率いた残留派を打ち負かしたものは「ポピュリズムという不満のムーブメント」だったという。

 

 また、欧州中央銀行のマリオ・ドラギ総裁は、難民問題に関するインタビューで、「欧州の移民への対応力をポピュリズムが破壊している」と欧州の未来を憂えている。

 

 イタリアでは憲法改正の是非をめぐる国民投票後、EU寄りの政策を進めてきたレンツィ首相が退任に追い込まれ、これまた「嘆かわしきポピュリズムの勝利」と報道された。

 

 いったいポピュリズムとは、現代社会の秩序と良識を脅かす疫病か何かなのだろうか。

 

 ◇“脅威”を征伐する?

 

 英国元首相のトニー・ブレアは、欧州の政治情勢を真剣に危惧し、政界に復活する意志を宣言している。欧州全土に広がるポピュリズム・ムーブメントへのカウンター(対抗)として機能する新機関を設立するつもりだという。

 

 そもそも、タブロイド紙の政治記者だったアリステア・キャンベルを官邸戦略情報局長に起用し、陰の副首相と呼ばれるほどの影響力を与えて、「スピンドクター(広報による情報操作のプロ)政治」という言葉を生んだ張本人のブレアが、「ポピュリズムと戦う」と真顔で言っているのを聞くと噴きそうにもなるが、政治家とはどこの国でも健忘症である。

 

 いずれにせよ、現代のメディアや知識人、政治家などに使用されるときの「ポピュリズム」は、デマゴギー(虚偽宣伝)やレイシズム(人種差別)といったネガティブな要素を多分に含んだ「脅威」の同義語になっている。欧米のリベラルにとって、ポピュリストとは、洗練されていない低学歴の人々のことであり、メディア人や知識人、政治家は、こうしたポピュリストを諸悪の根源であるかのようにレッテル貼りする。

 

 だが、ちょっと待っていただきたい。

 

 例えば、スペインの政党ポデモス、ギリシャのシリザなどは「左のポピュリスト」と呼ばれており、本人たちも「自分たちはポピュリストだ」と誇りを持って言う。だが、ポデモス党首のパブロ・イグレシアスという人は、30代にしてマドリード・コンプルテンセ大学(英国で言うならオックスフォード大のようなものらしい)の名誉教員に選ばれた超エリートなので、低学歴と呼ぶことはできないし、レイシズムや排外主義は彼の政党が一貫して否定している事柄である。大卒の若者たちがポデモスを熱狂的に支持しているというのも、「地方の無知な労働者」といった一般的に言われているポピュリズム支持者の図式とは違う。

 

 ◇下からの突き上げ

 

 歴史をさかのぼれば、ポピュリズムというのは、19世紀末に米国で起こった農民たちの社会改革運動の名前だった。彼らは人民党(Populists)を結成し、民主的な政治や景気対策を要求した。つまり、彼らのことを顧みなくなっていた当時の政治家たちに対する、下側からの突き上げ運動の名前がポピュリズムだったのである。

 

 ところが、現代のメディアにおける「Pワード」(ポピュリズム)の氾濫(はんらん)を見ていると、それは「間違った考え方」を象徴する言葉になり、メディアも政治家もそれと戦うことに躍起になっているように見える。

 

 これほど欧米社会がPワードを恐ろしがるのは、それが欧州におけるファシズムの台頭を思い起こさせるからだろう。1920年代と30年代の大恐慌の時代に、大衆を喜ばせる言葉を発し、広報による情報操作戦略(ブレアが得意だったやつだ)で権力を握ったヒトラーやムソリーニの時代を彷彿(ほうふつ)とさせられるからだ。

 

 だから、あの暗黒の時代を回帰させないように、英BBCをはじめとする大手メディアや政治家たちは、なんとかPワードを征伐し、社会から抹殺しようとする。

 

 キャメロン前首相はPワードに負けたと言った。が、彼を負かしたのは、実際のところ疫病なんかではなく、人間である。同じPでも、PEOPLEに負けたのだ。それは彼に同意しなかった人々や、彼の政策や言動に怒っていた人々である。なのに彼は何か流行(はや)りのウイルスのような、人間ではないものに負けたような言い方をした。

 

 ウイルスが思想のようなものを指すとすれば、実はこれほどその威力がなくなっている時代はないだろう。右対左、リベラル対保守、グローバリズム対ナショナリズムといった従来のイデオロギーは、もはや何の意味も持たなくなってきている。

 

 キャメロン前首相とEU残留派を負かしたのは、伝統的な意味での左翼でも、右翼でもないし、特定の政治勢力ですらない。すべての政党とエスタブリッシュメントたちに、自分のささやかな希望や不安を無視されてきたと感じている「取り残された人たち」だ。

 

 ◇個が生き抜く生きにくさ

 

 欧米の民主主義は、国家の枠組みや帰属意識、共同体意識、安定した仕事を原則として築かれたものだ。だが、近年のエリートやリベラルは、時としてこれらの原則を痛烈に批判する。国境をなくし、何ものにも帰属せず、コミュニティーに頼ったり、仕事に安定を求めたりせず、グローバルに生き抜くのが“プログレッシブ”(進歩的)な人間なのだと彼らは啓蒙(けいもう)する。

 

 しかし、世の中にはそういう生き方をしたくない人々もいる。「取り残された人たち」は、リベラリズム(とそれを奉ずるエリートたち)こそが彼らを生きにくくした原因だと考えている。

 

 例えば、リベラルな社会はもはや「福祉国家」ではなくなった。リベラルな世の中は、それを利用できる幸運な一部の人々だけがもうかる不正取引場になってしまったと彼らは感じている。

 

 こうした人々は単に疫病にかかっているのだろうか。欧州や米国で起きた出来事をPワードという言葉で切り捨てることは、実質賃金の低下や、記録的水準に達そうとしている格差への人々の怒りから目をそらすことにほかならない。

 

 EU離脱投票後の英国のストリートではレイシズムが以前より顕在化しているということは大々的に報道されているが、週末に労働者階級の街のパブに座っていれば、酔っ払って排外的なことを口にする人よりも、「ファッキン・エリート」「ファッキン・リベラル」といった言葉を憎々しげに吐く人のほうがはるかに多いことに気づく。彼らがもっとも嫌がっているのは、実は移民ではないかもしれないのだ。

 

 そもそも、トランプやEU離脱のリーダーたちが用いた手法は、クラシックな意味でのポピュリズムではない。彼らが使った戦略は単なる「ポピュラリズム(大衆迎合主義)」である。むしろいま必要なのは、本物のポピュリズムだ。庶民をだまして利用したり、疫病にかかったと憎悪するのではなく、彼らの言葉に耳を傾け、言葉の意味を分解し、再構築して、この分断の時代を切り開くツールにすることができる政治だ。

 

 言葉は、デモクラシーの妥当性を議論するために使われてきたツールである。デモクラシーを沈ませないための救命ボートといってもいい。だが、言葉が本来の意味から逸脱してバズワード化し、レッテル貼りの道具として使われ始めると、デモクラシーは沈没するしかない。

この記事を含む特集「世界経済総予測2017」

『週刊エコノミスト』2017年1月3・10日合併号

世界経済総予測2017

購入はコチラから

 

特集カバー記事

◇米国に吸い寄せられるマネー

◇警戒される「ブラックスワン」