特集:経済で学ぶ歴史・気候・バブル 2017年8月29日号

◇経済的欲求で人類は移動

◇定住化で四大文明誕生

 

出口治明(ライフネット生命保険創業者)

 

人類の歴史を振り返ると、生理的・経済的な欲求が移動を生み、文明を育んできたことが分かる。

 

 約20万年前にアフリカ大陸で誕生した人類(ホモ・サピエンス)は、狩猟採集の生活を営んでいた。ところが、牛や鹿など野生の大型動物(メガファウナ)を人類がたくさん捕獲したことで生息数が減って簡単に捕まえることができなくなった。そこで、約10万年前にメガファウナの肉を求めて、一部の勇気のある人たちが丸木舟に乗ってアラビア半島経由でユーラシア大陸に移動し始めたのである。

 

 ユーラシア大陸からベーリング海峡を渡って北アメリカ大陸、南アメリカ大陸まで人類は移動する。メガファウナを追いかけて人類が世界中に広まったこの旅は「グレートジャーニー」と呼ばれている。これを裏付ける事実としては、この年代の地層からメガファウナの骨が激減する一方、人類の骨が増えていることが挙げられる。

 

◇寒冷化がきっかけ

 

 人類はメガファウナを求めて移動を続けたが、約1万3000年前に定住化(ドメスティケーション)を始める。人類の脳が、食べ物を追いかけるのではなく、定住して自分たちが周囲を支配しようと考え始めたのである。これにより、人類は狩猟採集生活から農耕牧畜社会へと転換した。植物を支配する農業、動物を支配する牧畜、金属を支配する冶金(やきん)へと進化を遂げる。定住化の明確な理由は分からないが、同時期には地球の寒冷化があり、食物を確保するために定住して農耕や牧畜を始めた可能性もある。

 

 移動していると資本を蓄積することはできないが、定住して農耕や牧畜が始まると、食料が過剰に生産されるようになり、資本が蓄積されるようになる。また、頑張ってたくさんモノをつくる人もいれば、生きていく上で最低限の量しかつくらない人も出始め、貧富の差が生まれる。こうして、争いも生まれるようになった。

 

 古代文明は大河の周りで発達した。水が人間にとって必須なものであることはもちろん、川が近いと、交通が便利で周囲との交易が行いやすく、穀物や果樹などの植物が栽培しやすいという利点があるためだ。チグリス川、ユーフラテス川の流域で発達したメソポタミア文明は、約5500年前に物々交換のために文字を生み出した。そこから影響を受け、直後にナイル川流域のエジプト文明、約500年遅れてインダス川流域のインダス文明、さらに約1000年遅れて黄河流域の黄河文明が次々と生じた。このように古代の「四大文明」はばらばらに起こったのではなく、最古のメソポタミア文明の刺激を受けながら発達したとの学説が有力になっている。

 

 さらに紀元前1200年ごろに始まった寒冷化の影響で、ユーラシア大陸では「海の民」と呼ばれる大規模な民族移動が生じた。北方に住んでいた民族が食べ物を求めて南下したことで、民族間の玉突き現象が生じて鉄器技術を秘匿していた大国ヒッタイトが滅び、鉄器技術が拡散した。こうして人類は鉄器時代に突入したのだ。

 

 一方、アメリカ大陸のマヤやアステカなどのメソアメリカ文明は独自に発達した。四大文明に比べて発達が遅れたのは、アメリカ大陸が南北に細長いためだ。南北は気候帯が変わるため、移動しにくい。四大文明は西から東への平行移動だったため、気候帯が同じで、文明の伝播(でんぱ)がしやすかったと考えられる。このように気候変動が人類の歴史をつくってきた。

 

 日本には約4万年前に、朝鮮半島から人類が移り住み始め、それから数千年後に琉球、さらに数千年後に樺太から人々が移動してきた。約1万7000年から1万8000年前に縄文土器ができ、水田稲作が伝わる紀元前10世紀ごろまで縄文時代が続くことになる。

 

 縄文時代が1万年以上続いたのは、当時の日本列島に世界的な需要がある「世界商品」がなかったからに他ならない。魅力的な世界商品がなかったので、他の地域からそれ以上、移民が入ってこなかった。

 

 世界商品がなければ、外部と交易することができない。その地にある生態系の範囲内でしか生活することはできなくなる。日本列島は雨がたくさん降り、豊かな緑と豊富な海産物があったため、外部と交易する必要がなかったとも言えるが、外から何も入ってこなければ、それ以上に発展することはできない。人類は交易をすることで豊かになり、初めて人口も増える。資本もそれほど蓄積されていなかったので、大規模な争いも起きなかった。

 

 偶然、大陸から日本列島にたどりついた人たちが、水田稲作技術を持ち込んだことで、日本の文明は進化を遂げた。さらに北九州に朝鮮半島南部の鉄が入ってきたことで、石と木を使っていた農耕具にくわやスコップの原形が加わり、農作業がはかどるようになった。これにより、十分な食料を確保できるようになり、人口が増えて、文明が起こった。また、朝鮮半島にある鉄を求めて交易も始まった。資源のない日本は、交易によって海外から鉄などの資源を求めていくしかなかった。

 

 交易をして生態系にないものを他の場所から持ってくることで、人類は豊かになった。鉄がなければ日本に文明は起きなかっただろう。資源がない日本(倭国(わこく))が鉄の代わりに朝鮮半島に提供したのはおそらく兵力だ。当時の朝鮮半島では、高句麗(こうくり)や新羅(しらぎ)、百済(くだら)が勢力争いを繰り広げており、兵力が不足していた。倭国は鉄、仏教、漢字などの先進文化を兵力の見返りとして手に入れた。まさに経済的な欲求が歴史を動かしてきたのだ。

 

 ◇低成長の江戸時代

 

 化石燃料、鉄鉱石、ゴムという高度産業社会の3要素を持たない日本は、世界で最も自由貿易や国際協調をやっていかなければならない状況に置かれている。日本は外国と仲良くやっていくしかないことを宿命づけられている。

 

 江戸時代、江戸幕府がなぜ鎖国政策を取ったのか。江戸幕府は米の収穫量である「石高」を基準に各藩の兵力などを定めた。各藩が外国と独自に交易するなどして、石高以上の収入を得られなければ、徳川家を上回ることは困難だ。だが、海外との交易により収益を上げることができれば、兵力を増すこともでき、徳川家には脅威になる。

 

 鎖国政策は江戸幕府を存続させる上では優れたものであったが、資源のない日本の成長を阻害する要因となった。鎖国の間に産業革命と国民国家という2大イノベーションが生じ、爆発的に経済が発展して人口が増えた西欧列強とは異なり、日本の人口は3000万人程度で頭打ちとなった。鎖国前の世界に占める日本のGDP(国内総生産)シェアは4~5%で現在とほぼ同じレベルにあったが、ペリー来航時は2%前後に半減していた。160センチ程度だった戦国時代の男性の平均身長が、江戸時代末期には5センチ程度低くなっているが、体格の劣化は移動の禁止や経済の低成長とも無関係ではないだろう。

 

 開国を迫ったペリーに対し、江戸幕府は「開国」「富国」「強兵」という三つのグランドデザインを打ち出して、鎖国政策を転換した。200年以上続いた政策を180度転換するには、大変な勇気を要したであろう。明治維新後の新政府もこの三つの戦略を踏襲したが、日清、日露戦争の勝利などで過信し、国際連盟から脱退するなど「開国」を捨ててしまった。資源がないのに、「富国」「強兵」だけでは限界がある。

 

 第二次世界大戦では、石油を輸入できなくなったことで、一刻も早く戦争をしないと船も飛行機も動かせなくなるということになり、戦争せざるを得ない状況に追い込まれた。戦後、日本は「強兵」を捨て、「開国」「富国」で国づくりをしたから、再び豊かな国になることができたといえる。鍵は「開国」にあるのだ。

 

 ◇世界に開かれた国が発展

 

 人類は生理的・経済的欲求に突き動かされて、移動を繰り返してきた。それが人類の発展につながり、歴史をつくってきた。

 

 一般論として移民は優秀だ。どんな危険があるか分からない場所に行くのは誰だって怖いものだ。昔はその土地の言葉も話せない人間だと思われれば、殺されてもおかしくない。意欲、能力、体力、気力がある優秀な人が、どこに行っても生きていけると思って移動する。

 

 米国がなぜ栄えているのかと言えば、今も多くの外国人が入ってきているからだ。欧州では、1987年につくられた大学間の学生交流推進計画「エラスムス計画」により、国境を越えた大学の単位互換制度などが導入されている。これは、米国に新興国の優秀な学生を取られるのを防ごうとする狙いもある。

 

 日本も移民とは無関係ではない。19世紀後半から20世紀にかけ、日本も米国やブラジルに多くの移民を送り出してきた。経済成長に追いつかない形で人口が増えたことで、貧困にあえいでいた人たちが、より良い暮らしを求めて海を渡ったことが背景にある。日本からの移民には、現地で大農園主となるなど、成功した人も多い。

 

 日本は戦後、「単一民族」「単一文化」という神話をつくってきた。移民と言えば、政治的に拒否反応を示す人がいる。しかし、日本に来た留学生は初詣に行くし、お茶も習うし、和服も着るし、日本の文化に溶け込んでいる。

 

 世界の優秀な人に来てもらうには大学に入ってもらうのが一番いい。日本語や日本の文化を覚える機会になり、その後の摩擦も少なくなる。人手不足だから移民を受け入れるか、という議論をするよりも、米国、欧州のように、日本に留学しやすい環境を整えることが先決だ。そのためには、秋入学の制度を全面的に導入することが必要だろう。大学を秋入学にして国際化すれば、外国人を受け入れやすい文化が醸成されるに違いない。

 

 経済を活性化させるには、外国人を受け入れ、多くの国と交易をすることが重要だ。特に資源のない日本にはそれが求められている。

 

 産業革命までは、気候変動が人類の経済活動に大きな影響を与えていた。今も気候変動が社会・経済に与える影響は大きく、その意味では地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」は重要だ。気候変動は人類の移動を促す主要因だった。

 

 さらに交易を行うことで、プラスアルファの利益が生まれる。気候変動に注意を払い、自由な交易を行い、外国人をどう受け入れていくかを考えることが、現代でも社会・経済発展の鍵となるのは変わらない。

(出口治明・ライフネット生命保険創業者)

週刊エコノミスト 2017年8月29日号

定価:620円

発売日:2017年8月21日