特集:認知症に克つ 2017年7月4日号

◇2025年高齢者5人に1人 

◇「人類最大級の病」に

 

 超高齢化時代を目前に、日本は認知症という重大な問題に直面しようとしている。認知症の国内患者数は462万人(2012年、推計値)で、25年には約700万人に増加すると予想されている。この時、65歳以上の高齢者に占める割合は現在の7人に1人から、5人に1人へと上昇する。

 認知症は、社会的、経済的に深刻な影響をもたらす点が、他の病気と大きく異なる。特効薬のない認知症は、在宅または施設での継続的な介護が必要になるためだ。

 国際アルツハイマー病協会によると、世界の認知症患者数は15年の4680万人。認知症の治療や介護にかかるコストは、15年の8180億ドル(約91兆円)から、18年には1兆ドル(約111兆円)を超えるとの推計もある。認知症は「人類社会を滅ぼす病」と言える。

 

 しかし、認知症の仕組みはいまだ未解明で、病気の原因となる物質も特定されていない。現在発売されている治療薬は、進行を半年から1年遅らせる程度だ。予防法も確立されていない。より効果的で安全な薬の登場が望まれる中、世界の製薬会社は、根本的な治療を目指す薬の開発にしのぎを削っている。

 

 ◇6割はアルツハイマー病

 

 認知症は、学習や記憶、感情などの認知機能が低下し、日常生活に支障をきたした状態を指す。現在、製薬会社の多くが治療薬開発に取り組むのは、認知症の6割前後を占めるアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)だ。

 

 アルツハイマー病には大きく三つの特徴がある。大脳に現れる「脳のシミ」と言われる「老人斑」、異常たんぱく質「タウたんぱく」の凝集、神経細胞の死滅による大脳の萎縮──だ。それぞれの関係性は解明されていないが、最も早い段階で起きると考えられているのが、老人斑のもとになる異常たんぱく質「アミロイドβ(ベータ)の蓄積だ。

 

 アミロイドβは、体のあらゆる細胞にあるたんぱく質「APP」が分解される時、酵素によって切り出された部分だ。切り出されたアミロイドβは、発症の約20年前から神経細胞内にたまり始める。最初は単独で存在しているが、次第に集まり、塊を形成する。塊になる過程で毒性を持ち、神経細胞を侵すという見方もある。このアミロイドβの塊は、やがて老人斑になり、発症へと至る。

 老人斑と神経細胞の死滅との関係は解明されていない。だが、アルツハイマー病の原因と見られるアミロイドβを減らすことができれば、より根本的な治療に近づくと考えられている。そこで各製薬会社は1990年代後半から、この「アミロイド仮説」に基づいて治療薬の開発に取り組んできた。

 

 昨年9月、米製薬会社バイオジェンが開発中の薬の臨床試験で、アミロイドβを減らし、認知機能低下を抑制する効果があったとする論文を発表して注目を集めた。

 

 同社が開発する薬は、アミロイドβに結合する抗体医薬「アデュカヌマブ」だ。抗体が旗振り役になって、脳の神経細胞の働きを調節する「グリア細胞」を呼び、グリア細胞がアミロイドβを減らすと考えられている。

 

 ◇「日本は最優先市場」

 

 アミロイドβがたんぱく質(APP)から切り離され、老人斑を形成するどの過程に働きかければ効果的なのか、現状では明らかではない。このため各社は、複数の薬を同時に開発して、様子を見ている。アデュカヌマブは、最終段階に近い老人斑とその手前に作用するという。

 

 バイオジェンは昨年の臨床試験の結果により、アルツハイマー治療薬開発で世界をリードする1社になった。そのバイオジェンが今、注目しているのが日本市場だ。米国本社開発部隊が頻繁に日本を訪れ、厚生労働省や、医薬品の審査などを行う医薬品医療機器総合機構(PMDA)の幹部を訪問し、認知症市場の調査を進めている。

 

 今年1月、バイオジェンの最高経営責任者(CEO)に就任したミシェル・ヴォナッソス氏も、最初の訪問先に日本を選んだ。

 

「日本は最優先市場の一つ」。東京で開いた記者会見の冒頭、ヴォナッソスCEOはこう強調して、「アルツハイマー病治療薬の開発で最も進んでいるのは当社の『アデュカヌマブ』だ」と自信を見せた。アデュカヌマブは臨床試験の最終段階に当たる第3相試験を実施中で、20年秋に臨床試験を終了予定。20年代前半の発売を目指している。

 

 世界で最も高齢化が進む日本は、認知症の問題に先陣を切って直面することになる。日本法人のバイオジェン・ジャパンの鳥居慎一社長も、「日本で成功すれば、5年、10年後に欧米での成功につながる。日本がアルツハイマー病治療薬の開発、販売戦略のある意味で実験場になる」と、同社が強く日本にコミットしていることを隠さない。

 

 製薬大手が取り組むアルツハイマー治療薬の中で、臨床試験が進んでいるのは、アデュカヌマブと同様に抗体でアミロイドβを減らすタイプの薬だ。

 

 米イーライリリーの「ソラネズマブ」もその一つ。同社は昨年までの臨床試験の対象者よりも、症状が軽い段階の患者に対象を設定しなおして第3相臨床試験を準備している。日本イーライリリー研究開発本部の中村智実氏は、「アルツハイマー治療薬の研究は5合目くらいの位置までは来ている」と研究は前進していると話す。

 

 中外製薬も、親会社のスイス・ロシュとともに、アミロイドβを減らす抗体薬「ガンテネルマブ」の第3相試験の年内開始を目指して準備中だ。同社の開発中の薬の中には、同じくアミロイドβの撃退を狙った抗体薬「クレネズマブ」もある。

 

 アミロイドβを減らす抗体薬は、投与する薬の量や対象とする患者の症状の段階を変えながら効果を試す段階に来ている。中外製薬のプライマリーライフサイクルマネジメント部領域戦略第3グループの中谷紀章副部長は「アミロイドβという狙いどころが正しいかどうか、各社が現在実施している臨床試験の結果で判断できるところまで来ている」と話す。

 

 ◇エーザイも参戦

 

 薬の開発が難しいのは、認知症の発症メカニズムの全容が明らかになっていないためだ。診断の難しさも、開発を困難にしている。血圧や血中コレステロールなど数値で測れるものとは異なり、ヒトの認知機能(学習、記憶、感情など)の評価を数値化することは難しいという。

 

 薬理学を専門とする昭和大学薬学部の野部浩司教授は、「(認知症の薬は)原因のはっきりしない病気を、効果の確認されていない新薬を用いて、治療効果を評価するようなものだ」と説明する。薬で狙うターゲットが手探りであるがゆえに、さまざまなアプローチが試行錯誤されている。

 

 抗体でアミロイドβを減らす以外のアプローチも研究が進んでいる。「アリセプト」で認知症市場を切り開いた日本の製薬大手エーザイは、βセクレターゼ(BACE)阻害薬「エレンベセスタット」の開発に取り組む。BACE阻害薬は、アミロイドβが生まれる源流の部分に着目した薬だ。アミロイドβをたんぱく質から切り出すハサミの役割をする酵素の働きを阻害する。

 

 エーザイ・ニューロロジービジネスグループの木村禎治執行役は、「プラセボ(偽薬)に差をつけて承認に持ち込みたい」と意気込む。現在、世界で2660人を対象に第3相臨床試験を実施中だ。

 

 アミロイドβ以外にも、タウたんぱく質など治療薬の対象は広がりを見せている。富士フイルムグループの富山化学工業(東京都新宿区)は、神経細胞死そのものを抑制する治療薬の開発に取り組む。富士経済によると、国内認知症治療薬の市場規模は1497億円(16年、見込み)で、24年の予測は2045億円。この時期までに画期的な新薬が登場すれば、市場規模は一気に拡大する可能性がある。

(花谷美枝・編集部、村上和巳・ジャーナリスト)

 

週刊エコノミスト 2017年7月4日号

特別定価:670円

発売日:2017年6月26日


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