第56回 福島後の未来:未来に負の遺産を残さない 廃炉規制の透明化を=村上朋子

◇むらかみ・ともこ  1967年広島市生まれ。92年東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士修了。同年、日本原子力発電に入社。2004年に慶応義塾大学大学院経営管理研究科修士修了、経営学修士取得。05年より日本エネルギー経済研究所勤務、07年より現職。
◇むらかみ・ともこ  1967年広島市生まれ。92年東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士修了。同年、日本原子力発電に入社。2004年に慶応義塾大学大学院経営管理研究科修士修了、経営学修士取得。05年より日本エネルギー経済研究所勤務、07年より現職。

村上朋子(日本エネルギー経済研究所原子力グループマネージャー)

 

 2017年9月現在、営業運転を終了した日本の商業用原子力発電所は15基である。このうち大事故を起こした福島第1の1~6号機を除く9基は通常の運転経験を経て廃炉が決まったプラントである。

 同じ型式のプラントですでに廃炉段階にある、あるいは廃炉を完了したものが海外にいくつかあり、世界にとって全く初の廃炉となるわけではない。にもかかわらず、日本で廃炉が進捗(しんちょく)中のプラントは日本原子力発電の東海発電所と中部電力の浜岡1、2号機だけといっていい。東海発電所の歩みと廃炉スケジュールを図に示す。

 なぜ、世界で経験のある普通のプラントの廃炉が日本で進まないのか。いつまでも進まないと何が問題なのか。本質的な疑問に焦点を当てたい。

 

 当たり前のことだが、発電プラントは営業運転を終了した瞬間から「お金を生まなくなる」、すなわち「プロフィット・センター」ではなく「コスト・センター」となり、電気事業者はそのプラントにかかるコストをできるだけ抑制しようとする。営業運転を終了した発電プラントに対して施さなければならない最低限のこと、例えば使用済み燃料のプラント外への搬出を実施した後は、最低限のメンテナンス以外、何もしないことが最大のコスト抑制策になるであろう。廃炉関連の規制要件があまり固まっておらず、適合性のある廃炉計画や廃棄物処分のイメージが描けないことも電気事業者が今あえて廃炉計画を先へ進めようとしない要因になっている。要するにこれらが「廃炉が進まない理由」である。

 

 解体工事の知見を有するプラント関連企業やゼネコン、エンジニアリング企業など他のプレーヤーからみれば、これから廃炉を始めるプラントは、言葉は悪いが状況次第では「カモ」になり得る。規制要件が不透明で規制側・申請側双方にとって審査が手探りであることは、請け負う企業からみれば、些細(ささい)な課題をあたかも前代未聞の難問に仕立て上げることも可能ともいえる。

 

 仮に規制機関から「適合性のある廃炉計画を策定しない事業者は原子力事業の遂行能力に欠けるとみなし、既設炉の運転資格も剥奪する」と言われでもしようものなら、電気事業者は運転資格を剥奪されないため、プラント建設会社やエンジニアリング企業から規制に適合するための技術を何億円吹っ掛けられようが買おうとするであろう。

 

 現実には規制機関が電気事業者にそのような脅しをかける可能性は低いので、プラント企業などが電気事業者をカモにする構図も想像しにくい。つまり廃炉事業は、現状のスキームでは電気事業者にとってだけでなくプラント企業などにとっても事業性がない。

 

 誰も廃炉を進めようとしないことにより問題が生じないのなら、極端にいえば廃炉を永久に先送りしてもよいように思える。この点はどうなのだろうか。

 

 産業界でよく挙がる意見は「使用しなくなった設備は早く解体し、別の施設を建てて土地を有効活用すべき」である。もともと原子力施設が立地する場所だけに地盤条件も良く、環境影響評価も一通り済んでいるので、新たな事業をするにしても開発コストが比較的安価ですむ。

 

 この意見によれば、廃炉が進まないことによるデメリットは、新たな事業機会をみすみす逃す「機会コスト」である、といえるだろう。

 

 それにもまして私が衝撃を受けたのは、ある事業者の「何十年もたったら、このプラントを知る人が誰もいなくなる」という切実な声である。いくら設計図があるといえども、地震で支持構造物や天井や壁などが崩落して変わり果てた姿となることは十分起こり得る。仮に大きな形状変化がなくとも、ただでさえ解体工事にリスクはつきものである。現場を知っている人々が少なくなればなるほどそのリスクは高くなっていく。現場を知る人がいなくなる前に一日でも早く廃炉を進めることこそがリスクヘッジになる、とその事業者は言うのである。

 

 この意見による「廃炉を先送りするデメリット」は「現在の投資を出し惜しみしたばっかりに、数十年先の世代に大きなツケを払わせること」であり、いわば世代間不公平であるといえる。私は、この事業者の指摘は決して軽視できないと思っている。

 

 この主に二つの理由から、特に「世代間不公平」から私は、廃炉を早期に進めることの意義を提起した。とはいえ現実には電気事業者もプラント企業も規制機関も、早期に廃炉を推進するインセンティブに乏しい。誰も得をしない事業に突っ込む愚か者はいないからである。

 

 裏を返せば、誰かが得をする事業であれば必ず「得をしたい」人たちが知恵を出して群がってくるし、投資家も集まる。廃炉を「誰かが得をする事業」にするには、前述の“ベンダー等が電気事業者をカモにする”構図以外でどのようなアイデアがあり得るであろうか。

 

 ◇突破口はある

 

 私は「現状の廃炉関連の規制要件が不透明で、適合性のある廃炉計画や廃棄物処分のイメージが描けない」ところに突破口があり得ると考える。すなわちポイントは規制要件の透明性である。

 

 例えば規制要件を国の事業として公募に近い形で議論し、それを学会などが承認する。すでに日本原子力学会の標準委員会でそれに該当する活動は行われているが、より透明性を高め、より多くの関係者からの関心を呼び込むため、公開討論に近い形とする。

 

 重要なのは、規制要件の適用条件を厳格化し、審査の段階で規制要件に明記のない問題が生じた場合の規制者・申請者間の議論プロセスを透明化することである。

 

 こうすることにより規制者による恣意(しい)的な基準の乱用と、事業者による恣意的な拡大解釈との両方に抑止効果が期待できるのではないか。

 

 規制ルールの透明性が高まれば、真っ当な事業者にとって廃炉ははるかに魅力的な事業となる。お金を生まなくなった施設をお金を生む施設に変える、いわばコスト・センターを再びプロフィット・センターに変えることはもともと事業者が本来持っているDNAである。

 

 透明化した規制ルールの下で適合性のある廃炉計画を立案・遂行できないのなら、それは事業者の能力不足にほかならないから、前述の「適合性のある廃炉計画を策定しない事業者は原子力事業の遂行能力に欠けるとみなし、既設炉の運転資格も剥奪する」という対応が決して脅しではなくなるのである。しかし現行の不透明な規制ルールの下で規制機関が電気事業者に対してそう言うことは明らかな脅しである。だからこそ透明性を確立すれば計画立案・遂行能力のない事業者に代わり、その事業を自ら手掛けたい事業者が現れるであろう。

 

 営業運転を終了したプラントのことを知っている人たちがいるうちは、廃炉を合理的に進めることが十分可能である。そう考えると、廃炉を採算性のある事業とするための必須条件である「規制ルールの透明化」のタイムリミットまでそれほど多くの時間はない。

 

 東海発電所が運転終了してからちょうど20年目の今こそ、廃炉の早期推進の意義を考えたい。

(週刊エコノミスト2017年10月17日号掲載)