特集:すぐに使える新経済学 2017年12月12日号

 

◇「生身の人間」に注目

◇行動経済学の実践

 

 環境省は12月、エネルギー消費の抑制を促す「省エネリポート」を一般家庭に配信する実証事業を始めた。受託先のIT大手、日本オラクルが電気・ガスの使用状況などを記載したリポートを東北電力や東京ガスなど電力・ガス会社5社を通じて計30万世帯に月1回、計4回送付する。

 

 省エネリポートには、電力・ガスの使用状況とともに、省エネのヒントが掲載されている。オラクルは2007年から10カ国でこのリポート事業を展開しており、平均2%の省エネ効果をあげているという。

 

 省エネリポートはメッセージの見せ方に工夫を凝らしている。効果が高かった文面の例を見てみよう。

 

「過去6カ月のお客様の(電力・ガスの)ご使用量は、よく似たご家庭を上回っています。年間2万円の負担増です」

 

「得をする」情報よりも、他の家庭よりも「損している」と指摘された方が人は省エネに励む傾向があるという。また省エネ行動を推奨する場合、より実現が難しい選択肢と、より実現が容易な選択肢の三つを同時に提示すると効果が高いことがわかっている。

 

(1)省エネ性能が高い冷蔵庫に買い換える

(2)節水型シャワーヘッドを取り付ける

(3)お湯が冷める前に、家族が続けて入浴する

 

 おカネがかかるために最も難易度が高いのは(1)で、手軽なのは(3)だ。実際に最も選ばれやすいのは、(2)という。

 

 省エネリポートは、環境省が17年4月に立ち上げた二酸化炭素削減に向けた行動を促すための「ナッジ・ユニット」の取り組みの一つだ。ナッジとは「肘(ひじ)で軽くつつく」意味で、強制ではなく、それとなく特定の方向に誘導する工夫を指す。17年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者のリチャード・セイラー米シカゴ大学教授が提唱した。

 

 環境省によると、日本の行政でナッジ・ユニットを設置するのは今回が初めて。イギリスでは10年に同名の組織が設立されており、米国にも同様の事例がある。コストを抑えつつ効果を期待できるナッジは、財政負担の拡大を避けたい政策担当者には魅力的だ。政策への応用は続くだろう。「役人は政策立案に当たり、学校で学んだ(主流派経済学の)理論を反映しなければならないという発想はない。役に立つならば何でも使う」(旧経済企画庁〈現内閣府〉出身の小峰隆夫・大正大学教授)からだ。

 

 ◇非合理的な人間

 

 行動経済学は経済学の一分野ではあるが、前提からして従来の経済学とは大きく異なる。主流派経済学は自分の利益追求を最大限に追求する「ホモエコノミクス(経済人)」を前提とする。経済人はとにかく合理的で、あらゆる情報を収集して瞬時に計算し、感情を交えずに正しい判断を下す。この前提により経済学は数理モデル化がしやすくなり、学問の体系化に弾みがついた。

 

 しかし、実際に経済活動を行う普通の人間は、中途半端な情報で判断したり、理性よりも感情が先立ったりする。行動経済学は、こうした合理的な人間像では説明できない現象を探して類型化する。ナッジなどの形で対策を提案することもあり、現実の政策や企業活動、個人の問題に応用しやすい。

 

 他方で、行動経済学の知見を理論化して、主流派経済学のモデルに組み込む試みも始まっている。人間の陥りやすい失敗や弱さを数理モデルに取り込むことで、より現実を説明しやすい学問になる可能性もある。

 

 主流派経済学は、経済政策や金融政策の理論的支柱。日銀の異次元金融緩和政策もその一つだ。だが、金融緩和で人々の「期待」に働きかけ続けても、狙い通りに物価は上がっていない。欧米の長期の物価低迷も、主流派経済学では説明が難しい。

 

 社会や経済の構造が変わったことで、主流派経済学は行き詰まりつつある。行動経済学が目指す内側から経済学を変える試みは、経済学に新しい方向性を示すものでもある。

(花谷美枝・編集部) 

週刊エコノミスト 2017年12月12日号

発売日:2017年12月4日

定価:620円