西田厚聡・東芝元社長死去 WH買収を率いた豪腕 巨額買収の是非語らず

 あっけない幕切れだった。12月8日、東芝の社長、会長を務め、ウエスチングハウス(WH)の買収を決断した西田厚聡氏が死去した。73歳だった。

 

 2006年、想定された価格の2倍以上の54億㌦(6400億円)でWHを買収、この時に生じた「のれん代」と、自身が率いたパソコン部門の不正会計が、東芝の屋台骨を揺るがす経営危機を招いた結果となった。

 

 

 本誌は6月20日号「東芝と経産省」の取材で6月、横浜市の自宅に再三訪問し、インターホン越しにWH買収金額がなぜ6400億円までつり上がったのか聞いた。 

 

 西田氏は、「2回目の入札で2700億円を提示し、東芝が勝ったという連絡を受けたが、その後に三菱重工業が思い切った価格を出したいので3回目の入札になった」「重工の3回目の入札価格はうちに近かった」と述べ、4回の入札を経て、東芝が落札した経緯を語った。

 

◇語気を荒げた、ある発言

 

 また、三菱重工の西岡喬会長(当時)が、当時の記者会見で「(高値づかみした東芝は)つぶれる」と述べたことに対し「けしからん、ああいうことをを外に言うのはフェアではない」と語気を荒げていた。

 

 一方、WHの巨額買収そのものの是非については、「結局は買収した会社をどうマネージ(管理)していくかの問題。買収そのものが正しかったのか、間違っていたかは10年、20年経たないと判断できない。現在の経営陣は、自分たちのマネジメントの問題をすり替えようとしている」と反論した。

 

 しかし、6400億円という価格の妥当性や勝算については答えなかった。西田氏の買収構想の中には、世界に広がるPWR(加圧水型原子炉)で100基以上ある原子炉への燃料供給と保守業務が、当時19万人を擁する「東芝帝国」の人材と技術力を安泰にする無限の荒野に見えたのではないか、と問い掛けたが、答えてもらえなかった。

 

 死去から3日後の12月11日、東芝の原子力をはじめとする電力部門の主力工場である横浜市鶴見区の京浜事業所で、発電用タービン累計出荷容量2億㌔㍗達成記念の記者見学会が開かれた。工場の歴史は古く、1925年、芝浦製作所鶴見工場として設立され、45年5月29日の横浜大空襲で被災している。主力のタービン工場は、63年の操業で55年近い歴史を持つ。

 

 京浜事業所では3000人以上が働き、年間売り上げは約3000億円。この半分が火力、原子力発電所を含むタービン製造で占められている。ニッケルやクロムなどの合金鉄で作られたローター(回転体)は70㌧にもなり、これにチタン合金のブレード(羽根)を数千枚も組み込むことでタービンとなる。時速2800㌔で回転するタービンに許される誤差は、70㌧に対し100㌘以下だ。

 

「匠の技」(柴垣徹京浜事業所所長)を支えているのは工業高校出身の技術者。西田氏は、社長在任中、「年に1回程度は工場に足を運んでいました」(同)という。

 

◇裁判が終わったら…

 

 本誌は西田氏にインタビューを申し込んだところ、不正会計を巡って東芝が西田氏を含む歴代3社長らを相手に損害賠償を求め東京地裁に提訴、審理が続いていることを理由に応じなかった。しかし「何度も足を運んでくれ、丁寧に報じるつもりがあることはわかった。裁判が終わったら、一番最初にインタビューに応じる」と話してくれた。

 

 対面してじっくりと、その言葉を聞きたかった。

 

(金山隆一/酒井雅浩・編集部)

関連する記事・ebooks

CIAと英公文書が明かす 東芝と経産省失敗の本質

CIAと英公文書が明かす

東芝と経産省 失敗の本質

 

 東芝の現在の経営危機を招いた原因のひとつは、2006年の米原子力会社ウェスチングハウス(WH)買収であることは論をまたない。

 WH買収の25年前にあたる1981年8月11日、米中央情報局(当時はDCI、現在はCIAに統合)は報告書『ゼネラル・エレクトリック(GE)の原子力発電製造中止の影響』をまとめた。A4用紙2枚の簡略な報告書は、機密指定もない。しかし、その内容は今日の我々を驚かせる。続きを読む