円高恐れず好景気で引き締めを=重見吉徳〔出口の迷路〕金融政策を問う(18)

今、起こり始めているのは、「景気後退に備えて緩和余地を作っておく」という世界の引き締め競争だ。

 

重見吉徳(JPモルガン・アセット・マネジメント グローバル・マーケット・ストラテジスト)

 日銀は、世界経済が同時好景気に沸く現在のうちから、長期金利の誘導目標をゆっくりだが着実に引き上げ、同時に「これは出口に向けた一歩である」と明示することが望ましいだろう。

 

 重要なのは、金融市場に対して「一歩、後ろに戻ることができている」という対話をすることであり、逆に言えば「必要ならば、再び一歩前に踏み出すことができる」という政策の余地を示すことである。

 

 これは当然のように足元で円高圧力を生むだろう。しかし、円高とひとことで言っても、次の二つのうちの、どちらの円高が望ましいだろうか。筆者は、現時点で後者を選択しなければ、やがて前者が起きると考えている。

 

 (1)米国が将来、景気後退に陥り、米連邦準備制度理事会(FRB)は積極的な金融緩和で対応するが、日銀は現時点において出口を見送るために、金融緩和の余地が(将来時点で)相対的に小さくなる結果、円が買い戻される。

 

 (2)海外景気の勢いが強く、海外の長短金利に上昇圧力が生じている現時点で、日銀も出口に立ち、円が買い戻される。

 

 (1)の出口を見送る選択肢では、現時点では一段の円安になる可能性があるだろう。しかし、円の実質実効レートの歴史的低水準や、限界にまで膨らんで自律的に縮小しつつある量的質的金融緩和の現状を踏まえれば、米国が景気後退に陥る将来時点においては、大幅な揺り戻しの円高が生じると考えるのが自然だろう。

 

 一方、(2)の出口に立つ選択肢では、現時点も円高となり、将来時点も円高の可能性がある。仮に両者のケースで、将来時点のドル・円レートの着地水準を同じと置いても、変動幅、すなわち実体経済や金融市場に対する影響は、(1)の出口を見送る選択肢の方が大きいと思料される。

 

 筆者は、日本国内の実体経済とインフレ期待の安定にとって、(2)が望ましいと考えている。

 

 まず、現時点を考えると、国内経済は完全雇用に限りなく近いため、幾分の円高という引き締め圧力を許容することで、景気の持続不可能な過熱を防ぎ、景気の山をなだらかにすることができる。それは、今の景気拡大を延命させることと同義である。

 

 次に、米国が景気後退に陥る将来時点を考えると、現時点で出口に一歩でも二歩でも踏み出している分、FRBの金融緩和によるドル安・円高を防ぐための手立てを幾分確保しているため、景気の谷の深さを緩やかにすることができる。もし「その程度では不十分で対応不能」と考えるなら、なおさら速やかに出口に立つべきだろう。

 

 ◇今のつらさを選んだFRB

 

 以上を言い換えれば、経済政策がカウンターシクリカル(景気循環抑制的)になるのか、プロシクリカル(景気循環増幅的)になるのかということである。

 

 より一般的な言葉で表現すれば、「良い時に他よりも少しつらい思いをする見返りとして、将来つらい時に他よりもつらさを和らげる手段を持っておく」ほうが、「良い時にもっと良い思いをする代償として、つらい時に打つ手がなく、もっとつらい思いをする」よりもよいはずではないだろうか。

 

 この前者を既に実践したのが、ほかならぬFRBである。米国は景気が良いうちに、ドル高を背負い、これを乗り越えることができたように見える。このFRBの引き締め姿勢について「将来の緩和余地を確保したいため」との議論がある。重要なポイントは、それと同時に、米国が景気後退時に通貨安という手段を確保しているということであり、裏を返せば、日本は円高に見舞われるということであろう。

 

 金融政策は、マクロ経済学であると同時に、ゲーム理論でもある。言い換えれば、他のプレーヤーが存在する。自国の経済状態だけを考えて政策を実行すればよいのではなく、他国がどのような政策を取ってくるかを予想し、そればかりでなく、他国もまた自国がどのような政策を打ってくるかを予想していることも把握しながら、自分たちの政策を検討する必要がある。

 

 

 ここで重要なのは、緩和競争や通貨安競争があったのなら、全く同じ理屈から、引き締め競争もありうるということだ。

 

 振り返れば、緩和競争とは、自国に通貨安を積極的に呼び込むための競争ではなく、自国の通貨高を避けるための競争であった。他国(特に貿易赤字の大国、米国)が大胆かつ継続的に金融緩和を実行するならば、自国(特に貿易黒字の小国)もこれに追随しなければならない。たとえ当該赤字国の通貨安(=ドル安)が本来ならば長期の国際不均衡(インバランス)を解消するために資するはずのものとしても、緩和に追随しなければ自国は通貨高に陥り、引き締め圧力が生じてしまう。貿易赤字の大国による金融緩和は、当該国にとってはマクロ経済学だが、貿易黒字の小国にとってはゲーム、つまり駆け引きでもある。

 

 対する引き締め競争とは、景気後退に陥った時に、他国に比べ、より大きな緩和余地を残しておくための競争であり、やはり景気後退時の自国通貨高を避けるための競争である。この競争は、どこかの国の景気が他に先んじて良くなり、当該国が金融引き締めを開始する時にスタートする。

 

 日銀や円という観点から考えれば「今、出口に立たなければ、将来の景気後退時に、金融緩和の余地が相対的に見て小さいために、少なからぬ円高圧力が生じる」恐れがあるし、この意味では、景気が非常に良好な現在のうちに出口に立つ方がよい。

 

 確かに、インフレ目標を何が何でも達成し、オーバーシュート(目標を上回る状態)までも許容することで、インフレ期待を高めにアンカーする(固定する)かどうかは、将来の経済・金融政策運営や為替レートの長期均衡水準にとって非常に重要かもしれない。ただ筆者は、日本がそれだけ高インフレの期間を経験する前に、米国は景気後退に陥ると見込む。

 

 ◇同時引き締めの危うさ

 

 また今、出口に立つと「前回の日銀引き締め時(06年)の二の舞いになる」との指摘もあろうが、前回、日本が景気後退に陥ったのは、日銀による引き締めのせいではなく、米国の景気循環のためである。そして、それは今回もまた同じことであろう。

 

 残された期間が長くないならば、今の日銀にできることは、好景気だからこそ出口に立ち、幾分の円高も許容しつつ、将来に金融緩和の余地を確保しておき、来るべき景気後退での円高やディスインフレの圧力を最小限にとどめ、次の機会をうかがうことだと考える。今、手を打たなければ、インフレ率のオーバーシュートの前に、インフレ期待の大幅なアンダーシュートが生じてしまう恐れがあるだろう。

 

 ただし、これはゲームである。他のプレーヤーがいることを忘れてはならない。皆が同じことを考えて、皆が出口に立とうとすれば、これまで巨大な流動性に支えられて上昇してきた株式市場をはじめとする世界の相場が一気に巻き戻され、終焉(しゅうえん)を迎える恐れがある。現在のように世界の景気が良い状態の時は、多くの国が同時に引き締めを選択する可能性があり、過剰流動性相場の下で大きな危うさを抱えていることを念頭に置く必要がある。

 

 

(重見吉徳、JPモルガン・アセット・マネジメント グローバル・マーケット・ストラテジスト)

 ◇しげみ・よしのり

 

 

 大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。農林中央金庫に入り、投資業務などに従事。野村アセットマネジメントで運用業務、アール・ビー・エス証券の外国債券ストラテジストなどを経て、2013年から現職。