物価2%は好景気の必要条件ではない=門間一夫 〔出口の迷路〕金融政策を問う(28)

日本のはやはり上がりにくく、それでも不都合はない、と5年間の経験は示す。極端な政策を続けていいのか。

門間一夫(みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト)

 

 多くの国で、「物価の安定」を確保することは金融政策の役割とされている。しかし、「物価の安定」とは具体的にインフレ率が何%のことなのだろうか。絶対的な決め手はないが、1990年代以降、世界的にインフレ目標の考え方が広まり、実際の経験が積み重ねられる中で、先進国では2%程度のインフレ率が妥当という相場観が形成されてきた。


 文字通りの「物価の安定」ならゼロ%のはずだが、なぜ2%の方が望ましいのだろうか。言われている理由はいくつかあるが、最も重視されているのは、景気後退時の利下げ余地を確保する観点からの、いわゆる「のりしろ」である。


 名目金利は基本的にゼロ%までしか下げられず、一部の金利をマイナスにできるとしてもその幅にはおのずと限度がある。従って、正常時の金利水準はゼロ%よりも十分高いことが望ましい。そのためには、正常時の金利水準に大きく影響する長期平均的なインフレ率は、ゼロ%ではなくて2%ぐらいのプラスが良いとする考え方で、グローバルスタンダードとなっている。

 若田部昌澄(右)、雨宮正佳両副総裁に替わった日銀新体制のかじ取りは。
若田部昌澄(右)、雨宮正佳両副総裁に替わった日銀新体制のかじ取りは。

◇2%の理由は利下げの「のりしろ」

 

 これに対して、長らく日銀はやや異なる考えを持っていた。それは日本の物価動向が特殊だからである。
 日本で「デフレ」が問題とされ始めたのは98年ごろからである。その後の15年間の平均的なインフレ率はほぼゼロ%であり、他のG7(先進7カ国)諸国平均に比べて2%程度低い(図)。興味深いことに、それ以前のバブルを含む期間をとっても、日本のインフレ率は他のG7諸国に比べて、やはり同じように2%程度低かったのである。理由ははっきりしないが、こういう現実がある以上、日本で企業や家計が「物価が安定している」と感じるインフレ率は、諸外国の場合よりも低いのではないか、したがって2%のインフレ目標は日本には高すぎるのではないか、と日銀は考えてきた。


 しかし、こうした日銀の考え方は世間に受け入れられなかった。「失われた20年」の原因は主としてデフレにあり、問題がデフレにある以上、その責任は日銀にあるという認識が、海外の著名な経済学者を含む有識者の間で優勢だった。日銀が他国並みの2%インフレ目標を掲げないから、日本の期待インフレ率は低迷を続け、経済の活力も削(そ)がれているというわけだ。


 日銀には独立性もあるが説明責任もある。多くの有識者の支持が得られない政策は、最終的には正当性を保てない。政府の経済政策との整合性も考えなければならない。結局、日銀は2013年、アベノミクスの登場とともに2%インフレ目標を採用する。


 その後、最近に至るまで日本経済は潜在成長率を上回る成長を続け、企業収益も過去最高を更新し続けている。労働市場はバブル期並みまで改善し、家計の所得も25年ぶりの高い伸びになっている。生産年齢人口の減少が続き、消費税率が3%も引き上げられたにもかかわらず、経済は大きく好転したのである。異次元の金融緩和だけがその理由ではないが、それが経済の局面転換を支えてきた意義は大きかったと思う。


 同時に、異次元緩和の5年ではっきりわかったことが二つある。


 第一に、日本はやはり物価が上昇しにくい国だということである。異次元緩和を始めた時は、マネタリーベースを2倍に増やせば2年で2%インフレが実現すると日銀は考えていた。実際には、マネタリーベースを5年で3・5倍まで増やしたが、今もインフレ率はエネルギー価格を除けば0%台半ばにとどまっている。ゼロインフレは日本社会に定着し、人々が空気のように当たり前と感じるものになっているのである。


 第二に、2%インフレが実現できなくても大きな不都合はない、ということもわかった。企業や家計のマインドは大幅に好転し、景気拡張期間はあと1年足らずで戦後最長を更新する。日本では、持続的な経済成長が、ゼロインフレに近い物価情勢と矛盾なく両立するのである。2%インフレは、経済が元気を取り戻すための必要条件ではなかった。


 もちろん、先述した「のりしろ」の観点を踏まえると、2%インフレが実現するならそれに越したことはない。だから日銀が今後も粘り強く金融緩和を続けることは正しい。しかし、マイナス金利、長期金利のゼロ%固定、株の買い支え、バランスシートの無期限拡大、という極端な政策を長く続けることまで正しいとは言い切れないだろう。これらが金融システムの健全性、金融市場の機能、家計の資産形成などに対して長期的にどのような含意を持つのか、誰も責任を持って明確には答えられないのではないか。人類にとって未知の領域だからである。

◇実現は望めず、リスクは未知

 

 もちろん、経済が危機に瀕(ひん)しているなら、どんな手を使ってでも危機を避けるというある種の無謀さが必要である。しかし、今の日本経済は、多くの企業で人手不足が経営課題とされるほど需要超過の状態にある。一方、過去5年の経験を素直に受け止めれば、日本では、どんな大胆な金融緩和を行ったとしても2%インフレを実現できる保証はない。経済情勢から見れば既に不要な異次元の政策を、未知のリスクを蓄積しながら、実現の保証がないうえに、実現しなくてもそれほど困らない2%インフレのためだけに続けるのは、どこかおかしくないだろうか。


 日銀の見通しどおり19年度前後に2%インフレが実現するなら問題ない。しかし、5年も10年もマイナス金利を続ける事態は避けるべきだろう。たとえ2%インフレが実現しない場合でも、長期にわたって極端な手段を採らなくても済むよう、物価安定目標の位置づけを適切な時期に見直した方が良い。


 「のりしろ」は無いよりはあった方が良いので、2%インフレを最終的な着地点と考えるのは妥当だ。ただし、その実現まで長期にわたりかねない金融緩和の中身は、金融システムや市場機能など、中央銀行として重視すべき他の事柄とのバランスが取れたものであることが望ましい。そして、そのバランスを判断する際には、今見える副作用だけでなく、長期的に顕在化するかもしれないリスクへの配慮もあった方が良い。


 もっとも、こうしたリスクの評価は極めて難しい。次善のアプローチとしては、実体経済が良好ならあえて未知のリスクをためないようにする、という判断を可能にする枠組みが有効だ。例えば、インフレ率だけでなく需給ギャップにも十分高いウエートを置いて政策判断を行う、という考え方には理論的、国際的にも正当性がある。


 こうした考え方に従えば、需給ギャップが明確なプラスまで改善している現状では、類例のない極端な金融緩和の継続が最適という結論にはなりにくいのではないか。また、スウェーデンのように、インフレ率が1~3%の範囲なら基本的に問題ない、という柔軟性を物価安定目標に持たせることも一案だ。


 金融政策のベネフィットとコストを厳密に評価するのが難しい以上、その評価が多少間違っていたとしても大きな問題が起きないようにする工夫は必要だ。そうした観点から、進むべき方向は2%目標の相対化、柔軟化だと考えられる。


(門間一夫・みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト)

◇もんま・かずお

 


 1957年北海道生まれ。1981年東京大学経済学部卒。88年米国ウォートンスクール経営学修士。81年に日本銀行に入行。2007年調査統計局長、11年企画局長を経て、12年理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)。16年に日銀を退職し現職。