政策は予想を制御できるのか=池尾和人〔出口の迷路〕金融政策を問う(37)

異次元緩和。財政見直しを動かして物価水準を上げるという提案。共通するのは、人々の心を政策で動かせるという傲慢さだ。

 

池尾和人(立正大学教授

 約5年ほど前に、異次元緩和(量的質的金融緩和)が開始された時点では、レジーム・チェンジを目指すとされていた。レジーム・チェンジとは、複数の均衡(レジーム)が存在し得る状況下で、一つの均衡から別の均衡への移行(ジャンプ)を図ることを意味している。


  デフレ均衡から緩やかなインフレを伴う均衡に移行するためには、人々のインフレ期待(予想)が非連続的に上昇することが必要であった。異次元緩和によって、そうしたインフレ期待の非連続的上昇を引き起こせるという触れ込みであった。


  ところが、実際にはそのようなことは起こらなかった。ただし、特定の政策的な働きかけによって人々の期待の大幅な変化が起こらなかったからといって、そもそも人々の期待が非連続的に変化するものではないと考えるべきではない。


  人々の期待ないし予想は、独自のダイナミクス(動学)に基づいて変動するものだとみられ、ときによっては急激な変化を示すこともある。特定の政策的措置によって、期待が変化しないことも、あるいは意図しない方向へ変化を起こすこともあり得る。


  しかし、人々の期待形成のダイナミクスをわれわれはよく理解できているわけではない。それゆえ、政策の発動にあたっては、そのことが人々の期待にどのようなインパクトを与えるかを慎重に判断する必要があると考える。

Bloomberg
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◇財政拡大の効果も予想が左右

 

  この間、金融政策の限界を実際に感じざるを得なくなったことから、再び財政政策に景気対策として期待する向きが増えてきている。しかし、オールド・ケインズ経済学の議論をそのまま復活したような主張は論外といわざるを得ない。


  かつて日本では、いわゆるリフレ論者を中心に、マンデル=フレミング・モデル(開放経済版のIS─LMモデル)を持ち出して、変動相場制下では財政政策は有効ではないと論じる向きがみられた。もっとも、こうした議論は正しくはない。


  マンデル=フレミング・モデルは古いモデルなので、金融政策のスタンスを貨幣供給量でみている。すなわち、金融政策のスタンスが一定とは貨幣供給量が一定という意味に解されている。そうであれば、財政支出の増大は金利上昇をもたらし、それによる自国通貨高によって輸出が減少してしまうことから、相殺されて総需要の拡大は生じない。


  しかし、現実の金融政策運営は金利コントロールである。それゆえ、金融政策のスタンスが一定とは金利が一定ということだとみなされるべきである。金利が一定であれば、マンデル=フレミング・モデルのような(将来に関する予想が現在に影響しない)静学的なモデルでは、財政政策は有効だという結論になる。


  ただし、現代経済学の重要な知見は、経済政策の効果をそもそも静学的なモデルで論じることが適切ではないというものである。財政政策に限界があるという見方も、リカードの中立命題的な効果が働くことを論拠としている場合が多い。


  リカードの中立命題的な効果とは、足元で財政赤字が拡大した場合には、その赤字を埋め合わせるために将来時点で増税や歳出削減が行われると民間主体が予想することになり、それに備えて貯蓄を増やす(支出を削減する)という効果のことである。こうした効果が作用すると、財政支出を拡大しても、民間支出の縮小と相殺されてしまって総需要の拡大効果は乏しいことになってしまう。


  静学的モデルでは見逃されているが、財政政策の効果を考える際に重要なのは、将来の財政運営がどのようなものになると予想されているかという点である。


  財政規律が維持されていると予想されている限りは、リカードの中立命題的な効果が作用し、赤字財政であっても均衡財政の場合と同等の効果しかもたない。しかしながら、既に膨大な累積財政赤字を抱えている日本の現状において(図)、もし財政規律は失われたという方向に予想が変化すれば、大変な経済混乱を惹起(じゃっき)してしまいかねない。

 ◇財政見通しが悲観に振れるとき

 

 物価水準の財政理論(FTPL)の代表的論者であるプリンストン大学のシムズ教授は、マネタリストの理論が一次元的、すなわち貨幣供給量という1変数のみが問題であるのに対して、自らの議論は、二次元的だと主張している。すなわち、「現在の実質財政収支」と「今後の実質財政収支の現在価値合計」という二つの変数がともに重要になる。


  前者の「現在の実質財政収支」は足元の財政収支尻の大きさを物価調整した値であるのに対して、後者の「今後の実質財政収支の現在価値合計」は、来期以降の将来にわたる財政収支尻の値を物価調整した上で、現在価値に直して合計したものである。政府は1年限りの存在ではないから、単年度の収支尻の値だけではなく、来期以降の将来にわたる収支尻を適切な形で足し合わせた値がどうなっているかが問題になる。


  この二つの変数は、反対方向に動くこともあり得る。例えば、現在の実質財政収支は悪化していても、今後の実質財政収支の現在価値合計がそれ以上に改善すると見込まれているということがあり得る。こうしたときには、FTPL的にはインフレにはつながらない。


  もしかすると現状は、こうした場合に近いのかもしれない。そうだとすると、財政再建を先送りしていても、あるいは財政赤字の拡大につながるような措置を少々とったとしても、何事も起こらないかもしれない。しかし、そうした財政運営を続けていると、今後の実質財政収支の現在価値合計に対する見方がいずれ悲観に大きく振れるときが来るという可能性は考慮しなくてもいいのか。


  こうした可能性を主張する者をオオカミ少年扱いするだけにとどまらず、意図的に今後の実質財政収支の現在価値合計に対する見方を少しだけ悪化させることで、インフレ目標の達成につなげようという考え方も存在する。ヘリコプターマネー論やいわゆるシムズ提案の基礎には、こうした考え方がある。


  しかし、人々の(いまの場合は、今後の実質財政収支の現在価値合計に関する)予想を都合よく少しだけ下方に修正させるというような微調整(ファインチューニング)が政策的に可能だと本当に考えるのだろうか。そうした人間の理性的能力を過信する設計主義的な考えは、過去の歴史においても多くの悲惨をもたらしてきたのではなかったのか。


  現在の日本におけるマクロ経済政策の運営は、目先のことだけを考え、自分たちの任期の終わった後はどうなっても知らない(後任者の責任だ)という刹那(せつな)主義に支配されているのではないとすれば、マクロ経済を政策を通じて制御する絶対的な能力が政府にはあるという前提に立ったものでしかないと思われる。しかし、マクロ経済を政策的に制御する大いなる能力が政府にあるというのは、過信でしかなく、ある種の傲慢に陥っているといわざるを得ないのではないか。


  筆者は、経済は複雑系であり、そうした複雑系を制御することはきわめて困難であるという認識に立って、慎重な経済政策運営をするべきだと考える。そのような考えをとるのであれば、人々の期待を不安定化させることがないように十二分に配慮しつつ、金融政策・財政政策ともに正常化の道筋を追求すべきだといえる。出口の迷路から脱却することを早く考えなければならない。


 (池尾和人・立正大学教授)

いけお・かずひと


 1953年京都府生まれ。75年京都大学経済学部卒業、80年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学、経済学博士(京都大)。岡山大学経済学部助教授、京都大学経済学部助教授などを経て、95年慶応義塾大学経済学部教授。2018年4月より現職。