第59回(2018年度)エコノミスト賞

■6年ぶりに該当作なし

 

 第59回(2018年度)「エコノミスト賞」選考委員会(委員長=深尾京司一橋大学教授)は19年1月から選考作業を行った。委員の中で議論が交わされたが、今回は全員一致で「授賞作なし」と結論付けた。授賞作なしは第53回(12年度)以来6年ぶりだった。

 今回、対象となったのは18年1~12月に刊行された著書。主要出版社の推薦も踏まえて、主要著書を絞った上で、選考委員会で二度にわたり詳細な審査をした。(編集部)

 

 最終選考に残ったのは以下の4点。

 

▽『生産性 誤解と真実』(森川正之著、日本経済新聞出版社)

 

▽『金融危機と対峙する「最後の貸し手」中央銀行』(木下智博著、勁草書房)

 

▽『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(伊神満著、日経BP社)

 

▽『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(牧野邦昭著、新潮選書)

 

 

■講評 4作品、最後まで検討も 一歩及ばず授賞見送り 選考委員長・深尾京司

  第59回(2018年度)のエコノミスト賞選考は、2回の選考委員会を通じて議論が交わされた。最終選考には、森川正之氏の『生産性 誤解と真実』、木下智博氏の『金融危機と対峙する「最後の貸し手」中央銀行』、伊神満氏の『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』、牧野邦昭氏の『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』の4作品が残った。しかし熟慮を重ねた議論の結果、残念ながら「授賞作なし」と委員全員の意見が一致した。

 

 ◇「生産性」「最後の貸し手」

 

 選考過程で最後まで残ったのは、今日の先進国経済にとって今一番旬なテーマである「生産性」について分析した森川正之氏の『生産性 誤解と真実』である。森川氏は、冒頭で日本の生産性について意義付け、計測方法を解説した上で、働き方、教育、企業の新陳代謝、第4次産業革命、国際貿易などと生産性の関係を分析している。広範な問題を分かりやすく説明しており、海外における先行研究のサーベイも驚くほど充実しているため、生産性に関する百科辞典のような本になっている。

 

 著者は経済産業研究所副所長であり、「エビデンスに基づく政策形成(EBPM)にも貢献することを意図している」(序章)ためであろう。実証研究の政策的含意や、政策効果の計測にも気を配っている。また、「誤解と真実」という副題にもあるように、随所で生産性にまつわる俗説について、正しい視点を提示している。多くの分析は、査読付き英文雑誌に掲載された著書自身の研究に基づいており、学術的にも評価できる。

 

 ただ、生産性向上は難しいという悲観的なトーンが全巻を覆っている点には、複数の委員が違和感を持った。物価水準の違いやサービスの質の違いを考慮しても、日本の労働生産性は米国より3~4割低い。その原因としてはおそらく、女性や高齢者の能力を十分に活用せず、また労働の企業間移動を妨げている日本的雇用慣行や、大企業と中小企業間で生産性や賃金の大きな格差を生み出している二重構造問題が重要であろう。確かに構造問題の解決は困難であり、個々の施策の効果も小さいかもしれない。しかしそれでも、経済システムの大規模な改革を構想し、それに必要な施策を積み上げていくことが今求められているように思われる。また、人工知能のような計測が難しい諸問題にチャレンジしているためやむを得ない面もあるものの、アンケート調査に基づく分析にやや頼りすぎている点も残念だった。

 

 木下氏は、資金調達難に陥った金融機関に対して中央銀行が資金供給すること、すなわち「最後の貸し手」機能に焦点を定めて論じている。冒頭で、最後の貸し手機能の制度やその効果と費用に関する基本知識を解説した上で、各章を割いて日銀、米連邦準備制度理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)の制度や具体的事例を詳しく説明している。最終章では、金融危機の再来に備えて、最後の貸し手機能を発動する要件の「あるべき原則」を提言している。

 

 リーマン・ショックに代表される近年の金融危機の経験から、中央銀行の「最後の貸し手」機能においても従来とは異なる対応が必要であることが明らかになりつつある。中央銀行の役割を、金融政策の観点から論じる著書は珍しくないが、このような観点から新しい最後の貸し手機能のあり方に焦点を当てた著書はほとんど例がなく、本書は貴重だ。また、著者は大学で法学を専攻し、日銀に勤務した経歴を持つためか、制度面については、豊富な文献に基づき、詳細に分析し、関連分野の専門家にとっても有益な情報を多数提供している。

 

 一方で、経済学的な理論・実証分析がやや少ない印象は否めなかった。また、全般として細部にこだわった議論が多く、このテーマが今日の日本経済でどれほど重要かという、より本源的な問題への踏み込みが十分ではないのではないか、という疑問も残った。

 

 ◇「共食い」「日米開戦」

 

 既存企業は、新製品が旧製品を「共食い」する恐れのためにイノベーションに注力するインセンティブが低い可能性がある。伊神氏は、ハードディスク(HDD)市場に即して、この問題を理論的・実証的に分かりやすく解説している。論旨は明快で、ゲーム理論や実証方法に関する説明も水際立っており、新しい経済学の力を感じさせる本である。世界の最先端で研究を行っている若手研究者の著作というだけで高い価値があり、また経済学研究を目指す若者を鼓舞する教育効果も大きい。

 

 しかし、気の向いた週末に書いたとあとがきで述べているとおり、力を抜いた啓蒙(けいもう)書の性格が強い。また、イノベーションの問題は、効果の計測や、社会の対応、資本市場の役割、産業政策との関わり、スピルオーバーなど多岐にわたるが、本書は、これらの問題の多くに言及しているものの、HDD市場を中心にした論文の解説の性格が強いため、幅広さと現代の経済社会へのインプリケーション(示唆)の面で物足りないとの指摘があった。まだ40代前半と若いだけに今後、本格的な経済書執筆に時間を割いてくれたら、どんな良書になるのだろう、と期待が膨らむ。

 

 1939(昭和14)年に陸軍省で組織された有沢広巳を中心とする研究班は、日米露独などの経済力を計量的に推計し、対米、対露戦の勝算を冷静に予測した。しかし報告会後、資料は廃棄され、日本は対英米戦を開始した。牧野氏は、この秋丸機関について詳細な研究を行った。

 

 この機関については、参加した中山伊知郎の全集に掲載された座談会でも話題となるなど、昭和戦前期に関する歴史研究ではよく知られてきたが、調査開始から報告会、予測が戦争抑止に生かされなかったまでの経緯の解明や、資料を発掘して報告書全体の内容を再現する試み、などは読んでいてスリリングであった。

 

 冷静な経済社会分析に基づき重要な政策決定が下されることが少ないという日本の深刻な欠陥は、例えば今日の少子化対策や台頭する中国への対応にも見られるように現在も続いており、その面では現代的な意義も否定できない。しかし今日の日本経済からみた本書のテーマの意義は大きくないとの意見が多かった。また、開戦へ突き進んだ経緯について行動経済学を援用して分析した部分は、説得力に欠けるように思われた。

 

 ◇編著も候補を検討

 

 エコノミスト賞は原則として、「経済論壇の芥川賞」をコンセプトとしており、若手による著作、あるいは筆者にとって初めての著作を主な対象としている。また、単著を原則としているが、良書であれば共著も授賞作としてきた。

 

 しかし、最近の経済学界では、査読付き学術誌での論文刊行で実績が主に評価されているのが実情だ。必然的に若手学者は単著で日本語の経済学書を出す動機付けが低くなり、執筆に時間も割けない。経済学に限ったことではないが、複数の学者による共同研究も増えている。今回、エコノミスト賞で該当作なしとなった背景にも、若手研究者による単著が少なくなっていることがある。

 

 このような変化を踏まえ、単著だけでなく編著も、統一したテーマについて緊密な連携の下で編まれた良書は積極的に候補作として検討すべき、との意見も多かった。

◇エコノミスト賞選考委員

 

■委員長 

 

深尾京司(一橋大学教授) 

 

 

■委員 

 

井堀利宏(政策研究大学院大学教授)

鶴光太郎(慶応大学教授)

福田慎一(東京大学教授)

三野和雄(同志社大学特別客員教授)

藤枝克治(『週刊エコノミスト』編集長)