あなたが考えていることに対して、周りの人たちが「それは綺麗ごとだよ」とか「理想と現実は違うよ」と言うかもしれません。しかし、綺麗ごとや理想に向かって努力しているときこそ、人生で最も尊い時間です。理想に向かわずただ日々を淡々とこなすような生き方は、ものすごく勿体ないです。私はいつも理想の達成に向けて生きていますし、その時間は非常に楽しいですよ。
弊社は、プラント・半導体・食品・冷凍冷蔵などの配管工事・機器設置・防熱工事、それに伴う機器ユニットの製作や架台の作成、「エックス線(レントゲン)」による非破壊検査をしています。強みは、これらのサービスを一貫してできること。最近はどの業界も職人不足が課題ですが、弊社は多くの社員職人を抱えており、協力業者さんも多いので、依頼された大体の仕事は受けられます。また、この業界は3Kや職人の高齢化などの課題も尽きませんが、弊社は平均年齢35歳と若い職人が所属していますし、業界では珍しく女性躍進や障がい者雇用にも力を入れています。現在は10人の女性職人が活躍していて、義足・片腕が全く動かない人も一緒に頑張ってくれています。
私は母子家庭出身で、常に生活に不安がありました。勉強は好きではなく、高校に進学するつもりもありませんでしたが、東北大会3位の成績を収めるほどハンドボールが強かった中学校の部活動に所属していたことから、当時の校長先生が高校進学を強く勧めてくれました。こうしてせっかく高校に入ったものの、授業は出たり出なかったりで、夜遊びもしょっちゅう。高校卒業後は大学に進んだものの、すぐに退学してしまい、水商売や派遣で生活していました。生意気だったので、先輩とぶつかることも多く、学生時代からの素行の悪さも直らず、何をやっても長く続かない。ダメ人間の典型でした。
転機となったのは、20歳のとき彼女の妊娠が分かったことです。普通の家族に強い憧れを持っていた私は、心を入れ替え、コンクリート解体の現場仕事に就職して家族のために真面目に働きだしました。初任給は20万でしたが、一生懸命働いた対価の20万には心の底からの感動がありました。「これでもう親に嘘をつかず、心配をかけずに胸を張って生きていける」、そううれしく思ったことを鮮明に覚えています。その後、配管工に転身してからは親方や先輩から褒めてもらえることも多く、大人に褒められることに慣れてない私は単純にうれしくて、より一層仕事に打ち込みました。当時は過酷な現場が多くて心身ともに大変でしたが、そこで自身の力量が一気に伸びました。独立を考え始めたのは、その頃でした。
それまでは、この業界は上下関係などが厳しいことから、理不尽の上に成り立っていると感じていました。でも、仕事自体は社会のインフラを支える重要な役割を担っているので、若くして頑張っている人たちがもっと評価され、高い給料をもらえて、安心して働き続けられる環境をつくりたいという思いから起業に踏み切りました。我が強く、癖のある人が集まる業界ですから、起業当初は皆をまとめることに苦労しましたが、自分の会社で働く人を絶対に幸せにしたいという強い思いが支えになりました。今後より多くの案件を受けるために、2025年1月に仙台市内に新工場を竣工。引き続き男性社員の育休取得も推奨しながら、新工場には託児所も設けて、女性も子育て世代も働きやすい環境を整えていきます。
これからも弊社の経営理念「異体同心」のとおり、皆で仲良く強固な組織を実現しながら、70歳を過ぎても働き続けてもらえる会社にしていきます。良い製品をつくり続けながら、いい人間が育つ会社を育てていきたいです。良い人間がやるから良いものができる、このことを体現していきたいと思います。働く人全員をお金持ちにはできませんが、少なくとも全員が中流階級になれる会社ならつくれるはずです。目の前の一人ひとりを大切にしながら、「俺たち頑張って良かったよな」と思える仕事をして、業績を伸ばしていきながら、他社ができないことができる会社を実現していきます。そうしていつか、この業界の風習や習慣を変えていきたいです。
「とにかく人の役に立ちたい」これが私の原動力です。自慢できるような強みや凄みは何もありませんが、一つだけ断言できることは、私は本当に運がいいということ。周りに良い仲間が集まってくれたお陰で、今があります。この業界は怖い社長が多い印象がありますが、私は自らよく笑い、よく笑わせることを心掛けています。笑っているだけで幸せは舞い込んできますし、笑いのある場所にしか幸せも人も集まりませんから。日本の未来を担う若者の皆さんにも、何にでも頑張って挑戦してもらいたいですね。理想を追い求める充実した生き方をしてほしいと思います。
1985年生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。高校卒業後、コンクリート解体の企業に就職。 その後配管工に転職し、2010年に25歳で個人事業として独立。12年4月、宮城県宮城郡でさくら株式会社を設立。その後23年に株式会社三和鋼産を設立、株式会社ユニーを買収。24年には小中高対象の進学塾、株式会社ハイパーラーニングを買収。現在は建設業に加え、教育事業にも力を入れている。座右の銘は「変毒為薬」。