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大阪ラセン管工業株式会社 代表取締役社長

小泉星児

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Seiji Koizui

1979年生まれ。兵庫県芦屋市出身。2001年に大阪ラセン管工業に入社し、同年取締役に就任。2014年、超柔軟な金属チューブ『ワームフリーフレックス』の開発を主導。2015年、代表取締役に就任。2019年には、自身の発案により世界最小口径1.6ミリの気密性のある金属チューブ『マイクロミニフレックス』の商品化に成功した。

世界レベルの金属チューブを追い求め、新たなニーズを開拓する

金属製でありながら柔軟性に富み、気密性があり、半導体製造装置や宇宙開発などに活用されるフレキシブルチューブの専門メーカーとして、1912年に創業した大阪ラセン管工業株式会社。6代目の代表取締役社長を務める小泉星児氏は「プロ集団の中で、私一人が唯一の素人」と自認し、業界の固定概念にとらわれない斬新な発想で新製品を生み出し、社内の労働環境も改善してきた。

2001年に、父が経営していた不動産会社へ入社し、キャリアをスタートさせた小泉氏は、建物のプランニングを手掛ける仕事にやりがいを感じていたが、急きょ大阪ラセン管工業の後を継ぐことになった。これまでと全く異なる分野に飛び込んだ小泉氏は約1年半、現場の技術部長から同社の製品や基礎知識について徹底的に指導を受けた。その最中、同社を躍進させる製品を手掛けることになる。

「ある日倉庫で、極端に柔らかいフレキシブルチューブをぐを見つけました。それは、ごく一部の顧客のために造っていた製品だったのですが、この製品のラインナップ化すれば面白いのではないかと思ったのです」と小泉氏。当初、その発想に周囲からは「需要を見いだせない」と反発もあった。しかし、「世の中にないものだからこそ、需要を生む可能性がある」との考えで製品化に踏み切ると、その思いは的中。超柔軟な金属製フレキシブルチューブ『ワームフリーフレックス』は、ゴムや樹脂の代わりに次々と採用されるようになり、同社を代表する製品の一つとなった。

父の死去に伴い、2015年1月に代表取締役社長に就任。その時、小泉氏は社員との結束を強めるため、「この会社では、私だけが素人です。だから、プロである皆さんの力を信じています」と素直な気持ちで語りかけた。昔ながらの経営者気質であった父親とは違い、立場に関係なく意見を交わし、互いに支え合える環境を作りたいという思いもあったという。

その思いはすぐに結実する。それまで世界最小口径だった内径3.3ミリの『スーパーミニフレックス』と、ほぼ同様の製品が他社から販売されると、すぐに小泉氏はその約半分の内径1.6ミリの開発に乗り出す。「今の技術では2.4ミリが限界だと言われていましたが、開発メンバーに相談すると『がんばってみましょう』と引き受けてくれました。経験が浅い私を、なんとかサポートしようと思ってくれたのかもしれませんね」と、笑う。その後、小泉氏は何度も現場と連携を取り、メンバーの士気を高めながら、2019年に極細フレキシブルチューブ『マイクロミニフレックス』が完成。「造り方は企業秘密ですが、現場の技術者の勘所や経験値が注ぎ込まれた製品です」と社員が一丸となり作り上げた自信作を誇る。

大阪ラセン管工業の技術力は今や広く業界に知られ、新型のH3ロケットの部品にも採用されたほどだ。「2018年11月に、航空宇宙・防衛産業に特化した品質マネジメントの国際規格『JISQ 9100』の認証を取得しました。技術を磨くだけではなく、みなさんがあっと驚くものを作り、広く知っていただくことも大切にしています」と語る。

今年で創業111周年を迎え、次なる時代へのビジョンとして、創業以来脈々と受け継いできた技術の研鑽と顧客の信頼を得ることをより強固にするため海外での製造拠点を廃止し、徹底してメイドインジャパンにこだわりたいという。「コストを重視すれば、海外拠点という選択肢もあります。ただ、より良い品質を追い求めるためには、心を通わし、互いに信頼し合える仲間の存在は必要不可欠です」

その思いを象徴するエピソードとして、小泉氏は「とあるお客様の工場には3系統のフレキシブチューブを含む配管があり、その中の1系統は絶対に不備があってはいけないとのご相談がありました。結果的にその系統だけは、うちの製品を使っていただいているのです。そうした信頼を、今後も大切にしていきたいですね」とうれしそうに語った。

次々と新製品を生み出し、業界をリードし続ける大阪ラセン管工業。その活況を生み出す小泉氏は、社員が働きやすい環境を作るため、工場の冷暖房完備や、資格手当を拡充し社員が広く活用できる仕組みを構築。また、営業社員の声を拾い上げ、東北や九州エリアに営業拠点を増やした。社員の働きやすさに目を向けた結果、社員の働くモチベーションの高さで、製造業では安定した定着率を誇る。

昨年から今年にかけた110周年~111周年の2年間を独自の周年記念とし、小泉氏自ら発案した記念のオリジナル記念酒や、周年記念の特別ロゴも製作した。「他の会社がやっていないこと、私たちだからできることを模索していく。それが強みになっていく。その思いを大切にすれば、次の222周年もお祝いできる」。小泉氏は笑顔で未知の分野を開拓し続ける。