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スポーツコミュニティ株式会社 代表取締役

中村伸人

https://sports-community.co.jp/
Nobuto Nakamura

1974年、神奈川県生まれ。学生時代より体操競技で全国大会などにも出場。大学院修了後、スポーツ専門学校の教員となる。学生募集をする広報担当として、入社当時200人だった学生数を3年間で1200人に増やした経験を持つ。2002年、スポーツコミュニティ株式会社設立。体操教室を全国で展開、国内2万人以上の会員数を誇り、台湾への進出も果たす。

子供たちを豊かに育てる「体操教室」で世界を目指す

体育館などの公共施設を活用した固定施設を持たないスタイルで、全国各地に子供向け体操教室を展開するスポーツコミュニティ株式会社。代表取締役の中村伸人氏は、幼い頃から体操に親しみ、スポーツに支えられてきたため、「子供たちにスポーツの楽しさを伝え、指導する仕事がなくなることはない」と語る。日本国内はもとより、台湾、そして中国へ、体操教室で世界進出を目指す中村氏に、今後の展望を聞いた。

両親ともに教員で、幼少期よりずっと体操に慣れ親しんできた中村氏。体を動かすことが好きで、体操以外の記憶があまりないほどだという。「本当に体操が好きで体操をやっていたので、友達から野球とか他のスポーツをやろうと誘われても、あまり行かなかったですね」と話す。その後も、地域の体操大会での優勝や、高校進学後に団体戦での優勝を経験するなど体操が主軸であり、むしろそれ以外の選択肢を持つことがほとんどなかったという。
高校卒業後は、体育学部のある大学へと進学。それまでと同様に体操に打ち込みつつも、学生らしい生活も満喫したと振り返る。「大学時代は、高校の時にあまり味わうことができなかった体操以外の時間を過ごすことも大切にしていました。毎日誰かの部屋に集まって飲んだり話したり、そういう時間がとても楽しかった。人生で一番楽しかった時期かもしれません」と振り返る。体操も、高校時代までの厳しい指導・練習から、自主的な練習が中心になっていった。「どう練習するのか?」を自ら考え実践していく、このことも中村氏にとって大きな変化だった。ある時、大学院生の中村氏の元に、高校時代の恩師から「小学生2人に体操を教えてほしい」という連絡が来た。アルバイトで教えるのではなく、授業料や時間、内容など全て自分一人で自由に決めていい代わりに、ケガや事故が起こった際の責任も持つという依頼だった。
初めはプロ意識に欠ける部分もあったというが、自ら考え実践していくうちに、2人だった生徒がわずか半年ほどで25人に増えた。「週2回母校で教えていましたが、毎日違う場所に教えに行けば、仕事になるのではないか?と手応えがありました。この時の経験や感じたこと一つ一つが、まさに今のビジネスに大きく影響しています」と語る。
卒業後は「人に教える仕事がしたい」とスポーツ専門学校に就職した。授業以外に、生徒募集の広報業務も担当し、自ら企画立案・実行できる環境だったため、まず従来の学校訪問を止め、その代わりに体育の授業への出張講座をスタート。テーピングやストレッチなどの講座の後に学校のPRも行なった。この策が功を奏して、入社当時200人だった生徒数を1200人以上に増やすことができたのだ。

成功体験から自信を付け、学生時代に思い描いていた「施設を持たない体操教室」を具現化したいと中村氏は独立を決意した。「打ち合せや営業活動から始まり、夕方は生徒の指導、夜は事務作業と翌日の準備という毎日で、早く結果を出さなくてはと、日々プレッシャーとの戦いでした」と振り返る。
印象に残っているのは、ゲリラ的に行った公園でのトランポリン体験会だ。「ファミリーや子供たちが集まる公園にトランポリンを持っていき、無料だから飛んでいいよと声を掛けると、あっという間に100人もの列ができる。トランポリン一つあれば勝負できる」と確信した。教室でも毎回トランポリンを使用し、子供たちが楽しく通えることを大切にしているという。
「どんなに文明が発達して価値観が変わっても、子供にスポーツの指導をする仕事は未来永劫なくならない」と力を込める中村氏。スポーツを通じて人間的に成長できたからこそ、伝えられることがある。スポーツで培われた経験や技術を次の世代に伝え、子供たちと触れ合うことでさらに自分たちも成長していく。「スポーツの現場は社会の縮図と同じです。だからこそ、子供たちの成長過程で学びとなる場面が多いのです」と語った。

スポーツ少年団や部活動など「スポーツはボランティアで教わるもの」から、「プロの指導者に教わるもの」という意識に変えることで、スポーツビジネスを確立していきたいという。そんな中村氏が今注力しているのが台湾進出だ。
「台湾の体育の授業に跳び箱や鉄棒がないのは知っていました。それでも、自分たちのやり方がどこまで通じるのか試してみたかったのです。その結果、想像以上にうまくいきませんでした」
鉄棒を知らない子供に逆上がりを教えようとしても難しい。やはり、その国に向けたカスタマイズの必要があると悟った中村氏。さらに台湾の老舗体操教室をM&Aしたことで、お互いのよい部分をうまく生かしたハイブリッドな教室を展開していきたいと意気込みを語る。
その先にあるのは、中国への進出。少子高齢化が進む日本では、マーケットの縮小は避けられない。事業存続のためには世界に視野を向ける必要があるという。「今までは国内で評価されれば成功でした。でも、これからは世界です。世界を基準に戦える、世界を目指せる時代になってきたと思います」スポーツを通じて、子供たちを豊かに育てる。世界を見据えた、中村氏の挑戦はまだまだ続く。