1981年宮城県生まれ。大学卒業後、世界中を歴訪し、ダイバーシティーについての知見を広げる。2009年に株式会社ハンズグループに入社。子会社役員や代表を歴任し、2019年グループの代表取締役兼グループCEOに就任。2021年、純粋持株会社としてハンズホールディングス株式会社を設立し、現在に至る。
創業者マインドで経営する2代目社長
総合建築事業や業務請負事業を中心に、多様な事業を展開するハンズホールディングス。徳村有聡社長は、2代目の社長に就任早々コロナ禍に見舞われたが、「社長として1000億円企業に導く」という目標を立て、制度・仕組みの見直しやホールディングス化、企業理念の一新など、さまざまな改革を実行し、5年で売り上げを約2倍に伸ばした。「何代目であっても、社長は創業者であれ」と語る徳村氏の思いを聞いた。
ハンズホールディングスは、事業会社の創業から38期目を迎え、商業施設を中心とした建築事業、人の技術を活用した業務請負事業を中心に事業を展開している。徳村氏は2019年、創業者から2代目として社長を継いだ。
徳村氏は「暫定でもいいからまずは目標を立てようと思った」といい、「1000億円企業を目指す」という目標を掲げた。その達成のための戦略の一つとして、2年後の21年に事業会社5社によるホールディングス化を果たした。
「先代社長は建築系の会社を創業し、平成を突っ走ってきた尊敬できる人で、売上高100億円の目標を公言し、見事に平成の終わりに売上高100億円に到達しました。ゼロから立ち上げる馬力とカリスマ性があり、良くも悪くも古い時代の経営者然としたところがある人でした」と語る徳村氏は、自身はタイプも違うが、覚悟を決めて継いだ以上、先代の功績以上の実績を残したいと、「ゼロから100億円の売り上げ」と同等の「売上高10倍」の成長を目標に「1000億円企業」を掲げたという。
社長に就任して徳村氏は徹底的に業務の棚卸しを開始した。急な社長就任だったが、09年に入社してから、常にシミュレーションしてきたことが功を奏し、素早く行動に移せたという。「創業した30年前と今とでは、状況も価値観も大きく変わっているにもかかわらず、何となくそのまま残されてきたルールがたくさんありました。ルールとは、定めることが目的ではなく、何か理由があって設けられるもの。原点に立ち返り、『いつ・誰が・何のために決めたのか』を徹底的に調べ、不要なものはどんどんなくしていきました」
社長交代での会社の変化に昔からいる社員から反感は出なかったのか。「社長の下でしごかれて仕事をしてきた頃から、私ははっきりものを言うタイプでしたので、合わないと思って自然と辞めていった人はいましたが、特に反感を買ったことはありません。大切なのはメッセージの伝え方で、何も過去を否定したいわけではなく、時代に合わせて変わっていかないと生き残れないということをしつこく伝え続けることで、自然と理解してもらえるようになりました」と語る。
目標を掲げ、業務の徹底的な棚卸しを行ったあと、ホールディングスを設立した。事業会社が多様な事業を展開していたため、いつの間にかバラバラになってしまった企業理念や社訓、コーポレートカラーなどブランディングをホールディングスとして統一し、経営企画やデジタル戦略、人材開発などの未来を担う投資部門を一本化させた。その間、コロナ禍に見舞われたが、「さまざまな制限があり、できることは限られたが、とにかく時間がなければできないこと、その時にしかできないことを徹底的に実行した。結果、赤字も出ず、多面体企業であることの重要性を実感しました」と振り返る。
徳村氏は「企業の代表者は、その時代、その瞬間における企業の創業者。2代目であろうが、代表者は創業者マインドで経営すべき」と語る。そのため自身の後継者にも「3代目も4代目も、自分が創業者として経営していってほしい。私を踏襲してほしいとは思わない」と願っている。
社長就任から6年目を迎え、サプライチェーンの混乱や労働人口減による人手不足は「コロナ禍の有無に関係なく、予想できた」といい、今後採用と育成に力を入れていくという。「海外人材の採用も含め、未経験であっても志のある人が覚悟を持って取り組めば活躍できる場を作りたい」といい、「新たな事業を起こすアイディアが山ほどあり、採用と育成が軸になる。知識や経験がなくても、一人前になって活躍できる育成を仕組み化したい」と語る。
「経営者たるもの教育者であれ」という徳村氏。「社長がやるべきことはこれだけ、といってもいい。志のある人が学べる環境を用意し、楽しく活躍できる社会を作っていかなければならないと思っています」と先を見据える。