今までなかったマーケットを開拓し、新たなニーズを生み出し続けるアイリスオーヤマ。業界の常識や既存の市場にとらわれず、消費者が本当に求めていることを追い続けている大山会長は「商品力だけでなく、もっと快適に毎日を送れるような生活スタイルや価値観の提案力が大事」と力を込める。「親からもらった命は一生に一度しかないわけですから高い志を持って、常にチャレンジすることが、ご先祖様や両親に対しての責務だろうと思います。これからを担う若い人たちも、自分が住んでいる地域をもっと住みやすく、もっと快適な場所にするために頑張ってもらいたい」と思いを語った。
独創的な商品を生み出す原点は「需要創造」
家電を中心に、さまざまなカテゴリーで年間1000アイテム以上の常識を覆す革新的な商品を開発しているアイリスオーヤマ株式会社。その始まりは1958年、東大阪の小さな町工場だった。生活者の潜在ニーズを顕在化させる「需要創造」をモットーに生活提案型企業としてマーケットを創り出してきた大山健太郎会長に聞いた。
プラスチックの成型加工を行う町工場を営む父を持つ大山会長は、高校3年生の夏に父をがんで亡くした。8人兄弟の長男として、家族を支えるため父の町工場を継ぐことを決意した。「それまではただの学生だったので、お金はもちろん人脈も情報もない。でも、僕には19歳という若さがありました。この若さを強みにしようと、朝8時から夜の8時まで働いて、さらに社員が帰った後も一人残って機械を動かしました」。
何とか赤字が出ない程度に経営を続けたが、大山会長は「このまま一生下請けで終わりたくない」という気持ちを持ち始めた。「顧客にも大事にしてもらい、順調に業績を伸ばしていましたが、やはり下請けは下請け。イニシアチブは取れない。どうせやるならメーカーとして事業展開をしたい。そのためには自社商品開発しかないという思いに至った」と振り返る。
そこで水産業に目を付け、養殖などで使用される資材がガラス製が多かったため、プラスチックの成型加工を手がけていた大山会長は、その資材をプラスチックで開発し、プラスチックの資材メーカーとして、新たな一歩を踏み出した。「養殖用の資材からカゴやざるなどに水産関係の仕事がぐっと増えました」と振り返る。
当時新素材だったプラスチックの需要は高く、農業分野にも手を広げるなど全国的に事業を拡大、業績も右肩上がりとなり、拠点を大阪から仙台に移した。だが、これからという時期にオイルショックが起きる。急激にプラスチック商品のニーズが高騰し、それが落ち着くと供給過多で市場が崩壊、同社も倒産の危機に陥った。
そんなときに突破口となったのが、大山会長の「需要創造」という考え方だった。「不況でも、利益の出るビジネスをするため、人と同じことではなく、人がやらないことをしようと考えた。強みを生かして潜在ニーズを顕在化させる『需要創造』を行い、新たなマーケットを作ろうと考えました」と明かす。
高度経済成長期、豊かになった社会で、今までとは違った形の快適さ、満足さが求められているに違いないと考え、潜在的な不満や欲求を解決する商品を開発し、新たな需要を生み出すことで商機を見いだそうとした。最初は農業資材を扱っていた経験から、その技術を当時伸び始めていたガーデニング製品に生かし、その後、園芸ガーデニングに関心のない層をターゲットにペット用品にも進出。快適性を追求することでニーズを作り上げ、新しい生活スタイルを提案するアイリスオーヤマの商品は、次々と人々の生活に浸透し続けていった。
大山会長は「今ある市場ではなく、まだない市場を生み出すことがポイントだった」と語る。「ほとんどの企業は、今ある市場をターゲットにマーケティングをしますが、私の場合は自分が生活者の代弁者として、生活者の視点で不満や課題を見つけることで市場を作ってきました。いわば生活する中でのソリューションです」と説く。
日常生活で「こんなものがあったら便利」と感じたものを具体的に商品化することで、客の不満や欲求に応えられる。広告宣伝をするより店頭に並べることで、「これが欲しかった」と実際の利用シーンで評価されたという。
常識を覆すアイデアで日本を代表する企業にまで成長させた大山会長は「企業の担う役割は、競争優位より、生活者の視点から『世の中を変えたい』と思うこと。そしてそれにチャレンジすること」だと強調する。「商品を作るにしても、競合に比べて価格が安い、高い、同じ値段であれば品質や機能がいいかどうか。そういう中で切磋琢磨していくことも素晴らしいと思うが、私自身は日常的に変わってほしい、こうあるべきだろう、と思ったことを実現できるものを提案していくことも重要だと思っています」と語る。
今までなかったマーケットを開拓し、新たなニーズを生み出し続けるアイリスオーヤマ。業界の常識や既存の市場にとらわれず、消費者が本当に求めていることを追い続けている大山会長は「商品力だけでなく、もっと快適に毎日を送れるような生活スタイルや価値観の提案力が大事」と力を込める。「親からもらった命は一生に一度しかないわけですから高い志を持って、常にチャレンジすることが、ご先祖様や両親に対しての責務だろうと思います。これからを担う若い人たちも、自分が住んでいる地域をもっと住みやすく、もっと快適な場所にするために頑張ってもらいたい」と思いを語った。