18
鈴興株式会社 代表取締役社長

鈴木 博彦

http://suzukoh-970.co.jp/
Suzuki Hirohiko

1981年生まれ、静岡県浜松市出身。中学校を卒業後、プロサッカー選手を目指し南米ブラジルへ渡航。2年目に右目の網膜剥離を発症し帰国、6回の手術を受けるも右目を失明。ショックから精神疾患を患い、1年以上の闘病生活を送った後、2000年に鈴興株式会社へ入社、2016年から現職。

社員の健康を大事に 持続可能な事業を

主に工業用として使用されるさまざまなカテゴリーの商品を取り扱う総合商社、鈴興株式会社。自動車用アルミホイールや工場向けエネルギー燃料から電化製品まで1000種類以上の商品を扱っている。コロナ禍も成長を続ける鈴木博彦代表取締役社長は、自身の若い頃の闘病経験から「社員の心身の健康を大事にし、事業を持続可能な形で行うことが社会貢献」と語る。

静岡県浜松市は、昔から工業の町・ものづくりの町として知られており、楽器や電子技術など多様な産業が存在する。鈴興株式会社は1970年、自動車用アルミホイールメーカー「エンケイ株式会社」の商社機能会社として、浜松市に設立された。エンケイは、鈴木氏の祖父が創業し、叔父が2代目を継いだ。

「我々のような商社は自ら製品を生み出せないので、仕入先とお客様がいて初めて商売として成り立ちます。職人の商品への愛情を理解し、それをお客様にしっかりとお届けすることが欠かせません。長年、損得勘定を抜きにしたサービス精神や思いやり、人間力を大切にしてきました。従業員全員がそれをしっかり理解していることが一番の強みです」

鈴木氏は中学卒業後、プロサッカー選手を目指してブラジルへ渡り、プロのユースチームへ所属する。労働ビザ取得とプロ契約を目指していたものの、不運にも右目の網膜剥離を発症してしまう。日本で6度の手術を受けたが右目を失明。そのショックから1年以上の闘病生活を送った後、父の勧めもあって19歳で鈴興に入社した。

「両親や先生はブラジルに渡ることに反対でしたが、、最終的に父が会社に借金をして、私を送り出してくれました。このような形で帰国する事になってしまい、その償いや罪悪感で入社しました」と明かす。

当時、室内喫煙は当たり前で、お酒や麻雀で商談を決めるなど、昭和の体質が残っていた。闘病経験から健康意識が高かった鈴木氏は、そんな文化の変革を決意し、分煙化と健全な商談を推進した。「日を追うごとに償いの精神から会社を守っていくという責任感に心境が変化をしていきました」と語る。

30歳で専務に就任してからは、事務作業をシステムで効率化し、捻出した時間を社員教育に充てた。「社外の営業セミナーや、全国でおこなわれる商業展示会に積極的に参加をしてもらい、文化を変えていきました」と振り返る。

同社では、企業理念に「人間尊重、相互信頼、共存共栄」、経営理念に「客信社事」を掲げている。「客信社事」は、顧客・信頼・社会貢献の三つを満たしたとき初めて仕事をもらえる、という意味が込められており、鈴木氏は「社内でも輪をつくり、仕入れメーカー様ともお客様とも輪をつくる。思いやりとおかげ様の精神、礼儀作法を常に心に留めています。どんなにAIや自動化が進んでも、結局イニシアティブを取っているのは人であり、ビジネスは人対人である事実は今も昔も変わりません」と解説する。同社の朝は全員でのラジオ体操と掃除、朝礼という流れで始まる。人として、会社としての基本を創業から54年間続けている。

自動車業界のEV(電気自動車)シフトへの対応や、物流の2024年問題対策、物流コストの上昇の価格転嫁など課題は山積みだ。「お客様が必要としている商品の入出荷など、自動ではなく、実際に人が行わないといけない仕事がまだまだたくさんあります。製造工程で使う材料やエネルギーの供給はどんなときでも遅延せずに続けなくてはなりませんので、さらなるサービス向上を目指していきます」と決意を新たにする。

鈴木氏は「事業を持続可能な形で行うこと」が「客信社事」の一つである社会貢献だと言う。そのために年3回の賞与や個々のスキルに応じた報酬アップ、会社負担での生命保険加入、人間ドックの受診支援など従業員満足度の向上に努めている。また、さらに、災害時の寄付や汚水対策などの環境活動にも尽力している。

そんな鈴木氏が、事業を通じて目指すものとして、「平和」を挙げる。「日本人は本当に恵まれていて、大体の人は家があるし、3食食べられるし、飢餓状態で路上で亡くなる人の数も圧倒的に少ない。これは世界的に見ても普通のことではありません。現代社会は頭の中が飽和状態になっているため、3食しっかり食べ、充分な休息と睡眠を取る。そんな当たり前の毎日が日々実現し、満足することができれば、現状の領土争いなどの悲惨な争いは減り、平和に近づくと信じています」と訴える。

そして「いきなり大きなことはできませんから、まずは社員の心身の健康を大事にすることから始めています」と足元から平和の種を撒き続けている。