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医療法人社団一仁会 日本橋インプラントセンター 理事長

玉木 仁

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Tamaki Hitoshi

1960年生まれ。1982年に新潟大学教育学部卒業後、方向転換して歯科を志し、歯学部に入学。1993年に新潟大学歯学部卒業。2001年にインプラント専門施設である日本橋インプラントセンターを設立しインプラント業界では確固たる地位を確立している。2010年に東京医科歯科大学歯学博士号を取得。現在に至る。

インプラント治療の先駆者が母校へ恩返し

東京駅八重洲口前。日本のビジネスの中心地で30年近くにわたって歯科診療を続けてきた日本橋インプラントセンター。インプラント治療を専門とし、業界の日進月歩を現場の最前線で見つめてきた玉木仁理事長は、母校の新潟大学歯学部で若手研究者のための教育基金の創設を発表。歯科業界を担う若者のための環境整備をスタートさせた。

日本でまだインプラント治療が一般的でなかった頃にその有用性を認め、治療を続けてきた玉木氏は、多くの患者がインプラント治療の恩恵を受けるようになった今もなお、研究を突き詰める日々を送っている。「こんな方法や材料があれば手術時間が短縮され、患者の負担が少なくなるかもしれない。日々、そんな事ばかりを考えています」と話す。

そんな自問自答を繰り返す中で、インプラントの骨造成の際に使用する吸収性遮断膜の開発を手がけた。従来の手術時間を大幅に短縮し、患者の負担を減らすことが期待でき、パートナーの協力を得て、治験を経て特許を申請、承認を待つ段階までこぎつけたという。

玉木氏は「この材料をうまく使用することにより、煩雑で時間が掛かる骨造成手術がより簡単、確実に行う事ができ、従来の手術時間が3分の2から半分まで短縮できるでしょう。実現すれば患者はもちろん、インプラント手術を行う歯科医師にとっても、日々の手術が容易になる。それだけ多くのメリットを含んだ開発ができたと自信を持っています」と期待を寄せる。

玉木氏は後進の育成にも意欲的だ。最近では研修活動のほか、未来ある歯科医師へのさらなる貢献の形として、母校の新潟大学歯学部で教育基金の創設を行うことを明らかにした。

「新潟大学医学部には、以前から塚田医学奨学基金という若手教官と研究者を対象にした研究助成がありました。しかし、どこの大学でもそうですが歯学部の若手研究者が利用できる基金が不足しています。そのため歯学部の方でも若手のための教育基金をつくりたいと考えました」と語る。

海外では、卒業生が母校に寄付を行ったり、基金を創設したりして学生を助成する例はいくつもあるようだ。「しかし日本での基金設立は一般的とは言えず、若者に還元していく機運はまだまだ醸成されていない」という。

実際に玉木氏は、アメリカで作家・投資家として成功したマダム・ホーの著書を読み、彼女のSNSでの投稿を見て、彼女が若手研究者のために母校の南カリフォルニア大学で奨学金制度を設立したこと、ノブレス・オブリージュの概念を知り、いつか自分も歯科医としての土台を作ってくれた母校に恩返しを行うと決意したという。「自分の母校の学生や若手研究者のために良い環境を作りたいと思い続け、いよいよそれが実行に移す基盤ができて非常にうれしい。若い人たちのために少しでも助けとなれたら」と笑顔を見せる。

 

玉木氏は「母校に恩返しをする医師が一人でも多く増えていくことが一つの望みでもあります。そうした社会の循環は今後もっと必要になってくるのではないでしょうか」と期待している。

玉木氏は30年以上にわたり歯科医師を続けてきた原動力を「楽しさ」だといい、「インプラント治療も楽しいから追求し、ずっと続けることができています。面白くなかったらとっくの昔に辞めています」と言い切る。 「正直に言えば、単にお金儲けがしたいという思いで医師の仕事を選ぶべきではありません。医療の現場に携わっていく以上、困っている人を助けたい、患者を救いたいという思いがもっとも大切だと思っているからです。その中でも私にとっては歯科医の仕事が非常に意義のあるものだと感じていますし、心からこの仕事に誇りを持ってきました」

そんな思いを持って玉木氏は多くの患者を救ってきた。インプラントは難しいといわれた96歳の女性が噛めるようになり、「生きていられるのは先生のお陰」と感謝されたり、若い女性がインプラント治療をきっかけに結婚し、子宝に恵まれたり、脳梗塞で半身麻痺になったお年寄りがインプラント治療を受け、「生きる意思を与えてくれました」と語ってくれたりしたことが忘れられないという。後進に同じ喜びを味わってもらうためにも、玉木氏は貢献を続けていく。

普段の診療では目の前の人を笑わせることが大好きで、自身も笑顔いっぱいで患者に接する人間味あふれるコミュニケーションが魅力の玉木氏。「この先もずっと患者、そして教育基金のために力を尽くしたい」と未来を担う若者に温かいまなざしを向ける。自分にできる社会貢献の形を模索し続け、それを実行に移していく。