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株式会社モスフードサービス 代表取締役社長

中村栄輔

https://www.mos.jp/
EISUKE NAKAMURA

1958年、福岡県生まれ。82年、中央大学法学部卒業。88年、モスフードサービスに入社。法務部長、社長室長、店舗開発本部長を経て、05年、執行役員 営業企画本部長に就任。その後、開発本部長、国内モスバーガー事業営業本部長などを経て、16年、代表取締役社長に就任。

 東京の大学を目指し、浪人を機に九州から上京して中村代表は、そこで初めてモスバーガーに出会った。「初めてモスのハンバーガーを食べた時、思わず“うまい”と声が出たのを覚えています。毎週のように通い、参考書を広げて過ごすうちに店員さんも私のことを覚えててくれて。いつ行っても温かく迎えてくれました」と振り返る。

 弁護士を目指していた中村代表は法学部に入ることはできたものの、司法試験は一筋縄ではいかなかった。大学卒業後も勉強を続けていたが、「そろそろ定職に就かないと」と考えていた時に、偶然モスフードサービスの社員の知人から入社を誘われた。なじみのあるモスバーガーで働いてみたいという気持ちはあったので、一般の入社試験を受けて採用された。

 法律を勉強していたことから法務部門に配属され、入社直後から株主総会に同席するなど、役員クラスと接する機会が多く、先代社長で創業者の櫻田慧氏にも名前を覚えてもらった。当初は弁護士の夢をあきらめきれず、働きながら司法試験の勉強を続けていたが、いつしか仕事に夢中になっていった。

 若くして法務部門の管理職を任された中村代表は、櫻田氏から「“アントレプレナーシップ”を持って仕事をしてほしい」と告げられた。「起業家マインド」という意味の、聞き慣れない言葉だった。確かに中村代表は法務の知識には自信があったが、経営に関しては知らないことが多かった。「もっと勉強しなければ通用しない」と考え、仕事終わりに大学院の夜間コースに通って経営学を学んだ。修士論文が間に合わず、本来2年のところを3年かけて修了した。その後、社長室長に就任し、櫻田氏に大学院の修了証を見せると、自分のことのように喜んで固く握手を交わしてくれた。ところがその3カ月後、櫻田氏は急逝してしまう。

 創業者亡き後、会社は混乱に陥った。中村代表は社長室長としての責任を負うために辞任を申し出たが、慰留を受けて最終的に残ることを決めた。「会社に残る以上、すべて“ゼロベース“で仕事をしようと決めました。社員が“イエス“と言わない時は、すべて自分に原因があるというスタンスです。それまでは『どうして分かってくれないんだ』と相手のせいにしていましたが、相手の腹に落ちるような説明の仕方や資料の作り方を心がけるようになりました」

 中村代表が社長に抜擢されたのは2016年のことだ。法務部などバックオフィス中心のキャリアは、現場からのたたき上げでトップに上り詰めた先代とは対照的だ。「私でいいのだろうかと思いましたが、変革を求められていると受け止めました」と語る。就任直後から、社内体制の見直しに着手し、役員も含め全社員が同じレベルで忖度せずに意見を言える環境を整え、現場の声や少数意見にも耳を傾けながら意思決定を進める仕組みをつくっていった。決めたことが失敗に終わっても、何が良くなかったのかを話し合い、次につなげようとする前向きな風土に変わってきたという。

 「中学で野球、高校と大学でサッカーに明け暮れた経験が、今の経営スタイルの土台になっています」といい、「サッカー型」のマネジメントを組織運営で意識している。サッカーは、ゴールの位置が決まっているので、そこに至る道筋はピッチ上のプレーヤーである社員の裁量に任せて見守ることで、成長を促す。トラブルやイレギュラーが発生した際に生きてくるのは「野球型」のマネジメントだという。中村代表が監督として、社員一人一人に役割を与え、状況に応じて迅速かつ的確なサインを出す。そうして新型コロナウイルス禍や原材料の高騰のような大きな困難を乗り越えてきた。今後も困難を乗り越える度に強くなるような組織を目指しているという。

 「自分自身で一生懸命考えよう」「自分自身で意思を決定しよう」「自分自身でリスクを負って仕事をしよう」――櫻田氏が信条として掲げた言葉だ。中村代表はこの言葉こそ「アントレプレナーシップそのものだ」と気づき、大切にし、社員たちにも伝えている。ただし、どれだけ頭の中で思っても行動に移さなければ意味がないので「半歩でもいいから前に踏み込むこと」を加えた。

 社名に込められた「人や自然を愛する」という創業者の思いを大切にしながら、今後も海外展開を進め、国内でもハンバーガーチェーンの枠を超えた新しい業態に挑戦していくという。中村代表は、理想の経営者像を「常に“熱い心”と“冷静な頭”を持った経営者」と明かす。「どれだけ時代や環境が変わっても、いくつになっても、学ぶ姿勢と青春の気持ちは忘れずにいたい」と前を向く。