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ヒューマンホールディングス株式会社 代表取締役社長

佐藤朋也

https://www.athuman.com/
TOMONARI SATO

1963年生まれ、兵庫県出身。87年、関西学院大学商学部卒業後、日興証券(現・SMBC日興証券)に入社。本郷会計士事務所(現 辻・本郷税理士法人)を経て、91年、前身となるザ・ヒューマンに入社。グループ各社の取締役を歴任、02年にヒューマンホールディングス代表取締役社長に就任。

 1985年、佐藤代表の父・耕一氏が同社の前身となる「教育未来社」を立ち上げた。最初に手掛けたのは職業訓練を行う教育事業だった。ホテルマン養成を皮切りに、フラワーアレンジメントや英会話日本語学校、予備校、医療事務、介護やアートまで多岐にわたる講座を開講した。「教育を提供して終わり」ではなく、受講者がスキルを身に付け、社会で活躍するところまでをサポートすることを目的として、人材事業を展開し、人材派遣、人材紹介を行ってきた。

 1999年には介護事業に着手。介護保険制度の施行前夜で、教育事業ではホームヘルパー養成講座の受講者が急増していたこともあり、自社で受け皿を作り、これからやってくる高齢化社会に対応する事業として拡充していこうと考えたのだ。ネイルサロンやスポーツ、ITなどの分野でも同様に知識やスキルを習得した人が活躍できる場を設け、〝世のため人のため〟に人を育て、社会へ送り出すべく、教育を起点としてビジネスを広げてきた。

 一方、佐藤代表は新卒で大手証券会社に入社し、営業マンとして日夜奔走していた。「労働時間が長く、つらいことも多くありましたが、お客様に喜んでもらうことが働くモチベーションになりました」と振り返る。28歳で同社に入り、人の役に立つことが自身の喜びにもなることをより強く実感するようになったという。

 同社が提供する価値の一つに「SELFing」がある。「なりたい自分を見つけ、実現する」という意味の造語だ。

 「顧客にSELFingを提供する以上、まずは社員が体現しないといけない」と佐藤代表は話す。社員たちが活用しているのが、メジャーリーガーの大谷翔平選手が高校時代に書いたことでも話題になった「マンダラチャート」をもとに開発したツール「SELFingシート」だ。3×3のマス目の中心に目標や夢を書き込み、達成のために必要なことを分析して周囲の8マスを埋めていく。

 「真ん中に書くのは仕事に関することでなくても、なりたい自分の姿を素直に書けばいいんです。『かっこいい男になる』と書いた社員がいましたが、『かっこいい男は仕事ができる』と、彼は若くして管理職に昇進しました」と笑う。「“なりたい自分”という明確な目標がないと、努力する方向性が見えてきません。また、目標を実現するための長期的なビジョンがあれば、何か失敗しても『これも一つの過程だ』と捉えることができるんです」と語る。

 「世のため人のため」に佐藤代表が実現しようとしているのは、深刻化する日本の労働人口不足問題の解決に向かう姿だ。自社のリソースを生かして四つの視点から問題に切り込んでいる。

 一つ目は、海外人材の活用だ。人材事業では、海外のIT人材にグループで30年以上の実績を誇る日本語教育を提供した上で来日をサポートし、国内のIT人材のニーズがある企業へ派遣する事業に注力している。二つ目は、人材育成、リスキリングだ。教育事業の中でリスキリングのコンテンツを拡充し、働く人のスキルアップや成長産業への人材流動を目指す。三つ目は、国内労働力の確保だ。「国内には潜在的な労働力があります。」といい、育児や介護中のために働きに出られない人材を同社の保育事業や介護事業でサポートして、働きたい人が安心して働ける環境を提供する。そして四つ目は、「生産性の向上」を挙げる。RPA(業務を自動化するツール)をはじめとしたIT・DX支援によって業務の効率化を図る考えだ。

 佐藤代表は「『人』を原点として事業を展開してきたからこそ、労働人口不足の課題に対して当社の持っているリソースで貢献できると思います」と胸を張る。

 同社はCSR活動の一環としてスポーツ事業にも取り組んでいる。プロバスケットボールチーム「大阪エヴェッサ」を運営し、選手と地元の小中学生との交流やバスケットボールの寄贈、バスケットボールやチアリーディングのスクール運営など「スポーツで創業の地である大阪を盛り上げたい」という思いで活動している。また教育事業で運営する国内初のフィッシングカレッジでは地元富士河口湖町と連携し、湖畔や湖底清掃を積極的に行っている。他にも、マンガ・イラストカレッジやパフォーミングアーツカレッジの学生が地元警察署の啓発ポスターやCM制作に協力するなど、各地で地域と密着した取り組みを行っている。佐藤代表によると、地域と連携することで、地元での就職にもつながるという。

 佐藤代表は「なりたい自分」になれたのだろうか? 「学生の頃から、早く成長して一人前になり、起業したいと思っていました。その時に思い描いたイメージに近い大人にはなれていると思います。今年で62歳、会社はグループ創業40周年。今後も社会のため人のために貢献できるビジネスを育てていきます」と前を向く。