大学卒業後、三菱電機株式会社に入社。半導体事業本部での業務を経て、2000年にインテル株式会社に転職。営業本部からiA64共同開発プロジェクトマネージャー、マーケティングマネージャーを経て、2013年にOEM営業部長に就任。2014年には執行役員兼第二営業本部長に就任。後に、IoT&Computer営業本部長、Automotive Salese GroupにおけるAsia Sales Director、新規事業推進本部長兼戦略室長、第一営業本部長、経営戦略室長兼パブリックセクター事業本部長を歴任。2024年、代表取締役社長に就任。
あらゆる領域でデジタル化が進み、至るところで使用されている半導体。大野氏は、人々の身近で同社の製品が使われていることが強みだという。「例えば、マルチファンクショナルプリンター。多くの方がオフィスで大きなプリンターを見かけるでしょう。そのようなものにも私たちの製品が多く使われています」と説明する。半導体製品はデジタルデバイスにとって欠かせないものなので、新たなデジタルデバイスの開発や増加に伴い、半導体のニーズは高まっていく。
一方、同社の事業は、”モノ”としての半導体を広めていくだけに留まらないという。「社会のために何ができるかという点も私たちは重視しています。創業者の一人、ロバート・ノイスは『Do something wonderful』という言葉を残しています。『真の意味で社会貢献ができるような、いい仕事を』というメッセージだと私は解釈しています。そのようなカルチャーが当社には色濃くあるのです」と語る。
大野代表が半導体事業に携わり始めたのは、新卒で入社した三菱電機で半導体事業本部に配属された時だった。宇宙衛星や衛星開発に携わりたいと考えていた大野代表だが、キャリア初期には分からないことも多かったという。「大学では商学を専攻しており、マーケティングの知識はあったものの、半導体については知識が乏しかった。しかし学んでいくにつれて、徐々にその魅力に気づいた。半導体とはさまざまな製品に使われている部品ですが、表に出てこない黒子のような存在。デジタル社会において欠かせないものに携わる楽しみを見出したのです。加えて、日々技術革新が進んでいく領域のため、常に学ぶことが欠かせない。変化も非常に多く、そのダイナミックさに引かれていきました」と振り返る。
その三菱電機時代の交友関係がインテル入社への大きな後押しとなった。それは、大野代表が「もう一人の大野」と呼ぶ大野(現宮﨑)進司氏の存在だ。同じ部署で業界について意見を交わしてきた〝戦友〟だ。「当時の三菱電機はパソコンにさまざまな部品を卸していたこともあり、インテルの製品戦略を見ながら会話していました。ふとしたことでインテルのホームページを見ると、採用が行われていたのです。そして彼に背中を押され、応募すると、すぐさま人事から連絡があって、採用されました」と振り返る。濃厚な2年半を過ごすことのできた三菱電機時代は、非常に貴重なものだったという。
2024年6月に代表取締役社長に就任した。大野代表は「これまで自社製品を設計し、自社工場で製造した上でお客さまに完成品をお届けしてきました。加えて、現在当社に求められているのは、半導体の設計や製造だけでなく、さまざまな半導体製品の委託製造をしていくこと。さまざまなお客さまの要望に応えるため、自社で設計していないものも製造してお届けしていきたい。従来にない製造サービスを展開していきます」と語る。
さらに、「半導体の技術は、数年経つとすぐに古くなってしまう特性があります。この領域は常にイノベーションが絶えないからです。そのため、研究開発を欠かさず、時代とともに前進していくことも必要。また、あまり知られていませんが、日本は半導体の研究開発の中心的な場であり、素材や装置の面で強みをもっています。今後はその強みを生かしながら、他企業と連携し、研究開発事業も推し進めていきたい」と力を込める。
デジタルテクノロジーの中でも特にAIの進化が急速な時代において、同社もその潮流の最中にある。大野氏は「AI向けにさまざまな製品展開をしていますが、課題も存在します。例えば、AI使用における電力消費や個人情報の取り扱い、さらに著作権の問題など課題は多岐にわたります。それらの課題を当社のみで全て解決するのは難しい。だが、さまざまな関係者と協力することで課題解決に貢献したい。そして、最終的には社会のためのAIを広げていきたい。そのための取り組みを”AI Everywhere”と呼んでいます。多くの人々が安心安全に使えるAIを目指し、今後も注力していきます」と前を向く。