1952年生まれ、兵庫県神戸市出身。大阪工業大学工学部経営工学科卒。1977年、日本オリベッティ株式会社入社後、本社営業企画や東海事業所長等を勤めた後、退職。1991年、株式会社日本M&Aセンター設立に参画。2008年、代表取締役社長に就任。2021年10月より株式会社日本M&Aセンターホールディングス代表取締役社長を兼務。2024年4月から現職。
三宅会長が日本M&Aセンター設立に参画した1991年当時は、M&Aそのものが日本ではなじみのないものだった。むしろ、譲渡は企業にとって恥ずかしいこと、譲り受ける企業は乱暴だというイメージすらあったという。三宅会長は「最初の10年はM&Aが日本にまだ根付いていなかった時期。私たちもノウハウを構築するのに一生懸命で、ビジネスとして展開できていませんでした」と振り返る。一方で、同社の事業を歓迎する顧客もおり、三宅会長は社会的意義の大きさを感じていた。
当時の逆風にも負けず、同社は根気強くM&Aの啓発活動を続けてきた。「譲渡企業にとって、会社を残すことは創業社長や従業員にメリットがある。譲受け企業にとっては、新たなビジネスチャンスが生まれ、成長のトリガーになる。それがM&Aです」と話す。
M&Aの社会的意義を実感した三宅会長は「より多くの人々に喜びを与えていきたい」と考え、同社のスケールアップを図った。成長戦略に切り替えたことが功を奏し、2006年に東証マザーズ、2007年には東証一部に上場。そして2008年、三宅会長は同社代表に就任した。
M&Aが世の中に理解され始めたのは事業開始から15年ほどたったころだという。大企業のみならず、中小企業から個人商店までM&Aを検討する時代が訪れたのだ。その背景にあるのは深刻な後継者不在問題。三宅会長によると、「2025年までに日本の中小企業経営者の約245万人が70歳以上になるといわれています。さらに、そのうち約127万社では後継者が定まっていないというデータもあるのです」という。加えて、「そのような状況では、企業を譲渡するか、廃業するかを選ばざるを得ません。仮に廃業した場合、借金だけが残ることも少なくありません」と実情を語る。
また、企業の廃業は地域経済の悪化にもつながると指摘。「納入業者は売り上げを失い、消費者が物を調達できなくなる事態も想定されます。そして、長年働いてきた従業員が路頭に迷う可能性も高いのです」とし、事業承継においてM&Aが重要な役割を果たすことを強調する。M&Aの悪印象や偏見が多くあった時代から一変、現代の日本においてM&Aは、事業の存続に大きく関わっている。
技術の発展が目覚ましい昨今だが、M&A業界にもその波は押し寄せている。三宅会長は今後もM&AはBtoC化が進むと予測した上で、同社のDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進している。「『BATONZ(バトンズ)』というM&A・事業承継支援プラットフォームを提供しています。目的は企業の譲渡企業と譲受け企業をオンラインでマッチングすることです」とし、「M&Aは企業同士の結婚のようなもの。以前は仲介者として私たちが企業同士を結びつけていましたが、今はデータベースを基に、AI(人工知能)を駆使したマッチングも行っています」と説明する。
長年M&A業界に身を置いてきた三宅会長。その極意について「M&Aビジネスは『クールヘッド』と『ウォームハート』の両方が求められます」と語る。「長年経営してきた会社を譲り渡す悔しさや寂しさに共感すると同時に、過度に流されてもいけない。会社の現状を把握し、リスクを分析した上で成約まで実行する必要があるためです」という。
企業存続の成否につながるM&A。その性質からハイエンドなビジネスといえるが、加えて現代ではテクノロジーをいかに駆使できるかも重要な要素となっている。「今の時代はAIやインターネットの知識も必要です。頭脳と共感力、そしてITのノウハウ。それらを備えた人材が勝ち取れる世界があります」と力を込める。
数多くの社会課題を抱える日本で三宅会長が目指すのは、日本創生と世界進出だ。「今や日本国内ではリーディングカンパニーと呼ばれるようになりました。しかし、私たちのミッションである地方創生、さらにその先の日本創生を達成したいのであれば世界に目を向けないといけません。世界で存在感のある企業でなければ、注目されることもないでしょう」と明かす。同社は「~最高のM&Aをより身近に。~ 私たちは、想いをつなぎ、安心してM&Aに取り組める社会をつくります。日本、そして世界で。」をパーパスとして掲げる。M&A仲介事業のパイオニアとして、世界に羽ばたき、企業の存続と発展に貢献し続けるだろう。