日本経済の稼ぎ頭である自動車産業。日本の技術力が集約される産業であり、世界でも一目置かれていることは間違いないだろう。一方、自動車事故によって多くの人の命が奪われていることや、二酸化炭素排出量の多くを占めていることなど、問題の原因として注目が集まることも多い。自動車産業の持つ経済性や技術を発展、維持しつつ、課題解決にも導く可能性を秘めているのが、完全自動運転EVの量産を目指し、2021年に創業したTuring株式会社だ。若きリーダーである山本一成代表取締役に、起業の理由、現状、課題、今後の展望について聞いた。
自動運転は、センサーや周辺領域の高精度3次元データなどを利用して、車体の動きを制御する方法が一般的だ。ところが、Turingではそういった特殊なセンサーを搭載せず、カメラで捉えた画像データとAI技術を使用。カメラで車両の周辺画像を読み込み、AI(人工知能)が白線や前走車といった情報を検知、判断し、操作をしているのが特徴だ。AIを実用化に近いレベルまで活用できるのは、山本氏の経験があるからだろう。同氏は開発した将棋AI「Ponanza(ポナンザ)」で、世界で初めて名人を下したという実績の持ち主だ。
「AIやコンピュータ将棋界隈で名を知られるようになっただけで、実社会に変革をもたらせたわけではありませんでした。ですから、この技術を利用し、低迷している日本経済や実社会にインパクトを与えたいと考え始めたのです」と語る。
日本のGDPの多くを占めるのは、いまだに自動車産業であり、世界に対しても引けを取らない生産能力がある。そして米国ではテスラ社がそうであるように、IT(情報技術)企業の参入も顕著だ。「白物家電や半導体産業の衰退の歴史を振り返ったとき、今ここで参入しないと、日本の産業はますます遅れてしまう」という危機感も起業を推し進めた。
「We overtake tesla」(テスラ社を追い越す)は、創業当時から掲げている標語だ。
「例えば当社が『AIでワクワクを提供する』と言っても、抽象的で何を伝えたいのかわからないですよね。わかりやすさも理由ですが、EVの製造で業界をけん引し、今や自動車メーカーの中で世界一時価総額の高いテスラ社を追い越せば、一番になれるのは間違いありません」と笑みを浮かべる。
ITに強いTuringがソフトウェアを売るのではなく、テスラ社のようにハードまで作るには理由がある。自動車会社の下請け企業になってしまえば、業界の一部に組み込まれてしまい、産業を育てることができないからだ。現実が厳しいからといって、自らを理解ができる範囲内に収めてしまっては、未来を変えることはできないと同氏は考える。
「技術が足りないことも、財布事情が厳しいことも、法の制約があるのも想定内です。しかし、テスラ社もまた規制に苦しんでいますし、愛好家ばかりに囲まれているわけではありません。無難なところに着地せず、掲げている標語くらい強いことを言ってもいいのではないでしょうか」と力強く語る。
2022年8月には千葉県柏市の公道で走行実証、同年10月には北海道一周を達成。高速道路を走ることや、レーン変更程度は可能であることは確認できたが、想定の範囲内であり、まだまだ目標には程遠い。完全自動運転を実現するには、プログラムが交通ルールで明文化されていない事象までを理解することが必要だという。
例えばドライバーは、歩行者が車の存在を認識しているのか、スマートフォンを見ているのか、実は隣に子どもが隠れているのかといったことを確認しながら運転を行っている。また、黄色の実線を超えることは禁止されているが、現実的には道路を走る自転車や違法駐車を避けるために、越えてしまうこともあり得る。
「交通ルールをプログラムするだけで運転ができるのであれば、とうの昔に実現しています。お金や法規の問題だけでなく、単に技術力が足りていないのです。しかし、目標が高いということと、実現できていないという二つの事実が同時にあることは矛盾になりません。昔からこのような難しい勝負ばかりをしてきたので、やりがいがありますね」と自信を見せた。
Turingは、2025年に100台程度のパイロット生産を開始、2027年には10,000台規模のライン工場の制作に着手、そして2030年に10,000台の生産を達成することを目標にしている。またその上で、完全自動運転EVを生産する企業として、初の上場を目指している。難しそうにも聞こえるが、2023年1月に第1号プロトタイプ車両を完成させて「1台限定」ながらも販売を開始し、すでに成約・納車していることからも、実現は不可能ではないだろう。そしてこの目標の達成は、世界における二つの共通課題の解決につながる可能性がある。その一つは、二酸化炭素排出量の削減。もう一つは、自動車事故による死傷者の減少だ。自動車業界にはいまだに、必要以上にチリ合わせや塗装の美しさにこだわる風潮も存在するが、それに対し、「私が将棋AIにこだわり続けるくらい、もったいないことだと思います。その執着心をもう少し次世代のための課題解決に使うべきではないでしょうか」と投げかける。「やれば意外とできるものです。若い人にも自信を持って挑戦してほしいですね」と呼びかける山本氏の挑戦は、日本経済を活気づけるだけでなく、世界中の多くの人に明るい未来をもたらしてくれるだろう。
Turing株式会社
代表取締役
1985年生まれ。愛知県犬山市出身。2017年に開発したコンピュータ将棋プログラムPonanza(ポナンザ)が佐藤名人(当時)を下す。東京大学大学院卒業後、HEROZ(株)に入社し、リードエンジニアとして上場まで助力。2021年にTuring株式会社を設立し、代表取締役に就任。愛知学院大学特任教授、海外を含む多数の講演など対外的な活動にも力を入れている。