エコノミスト未来賞2024

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時勢を見極めピンチをチャンスに

笠原会長が経営者への道に乗り出したのは29歳の時。勤務していた製薬会社が化粧品メーカーを買収したが、オーナーの経営がうまくいかず、当時エリート社員として期待されていた笠原会長が役員として抜擢され、会社の立て直しを図った。「正直大成功とはいかなかったのですが、ここで美容業界の構造を学んだのが大きかった」と振り返る。その経験を生かして、化粧品のOEM販売会社を起業した。1年で粗利率80%、1億円以上の利益を上げる成功を収めた。しかし、「化粧品を扱っていると自社の販売組織を設けたくなるが、大手の牙城の前ではなかなか歯が立たない」と方向転換を余儀なくされた。そんな時に登場したのが、ホームケア用美顔器だった。

「当時は1台あたり本体機器25万円、化粧品10万円のような価格で、月500台ほどの受注があって、相場というものがないような状況だった」という。さらに大手家電メーカーが参入して、再び状況が一変。笠原会長は次の一手を打った。「90年代あたりからエステティックサロンが成長し、大手が出現するにつれて競争が生まれました。そのタイミングで業務用にシフトしたんです。経営効率上はそちらの方が収益性が高かった」と業務用美容機器販売を軸にした事業展開を図った。

科学的視点を重視しユーザーファーストを実現

さらなる飛躍を目指した笠原会長は世界に目を向けた。「日本では美容機器は『雑貨』の扱いだが、実のところ限りなく医療機器に近い。例えば中国では価格破壊が進んでおり、生き残りをかけてどう戦略を策定するか、まさに知恵比べのようだ」と語る。そこで仏カンヌで開かれる美容関連の展示会に出展。大手メーカーのような知名度がなかったが、ピエール・カルダンやMCMなどの超一流ブランドとの契約を実現させた。「大手は提携の話があっても社内で検討する時間がかかってしまう。同じ状況にあっても熱意をもって、意思を明確にして、迅速に決断を下したからこそ、一流ブランドも受け入れてくれた」と振り返る。海外展開では、中国での企業買収がとん挫するなど苦難も経験したが、「売上を焦らなければ利益が出る」と粘り強い挑戦を続け、海外での信頼を獲得してきた。

積み重ねてきた信頼の裏にあるのは科学的根拠の重視。本来、医療機器ではない美容機器には厳密な科学的エビデンスは強く求められない。しかし、笠原会長は数多くの医師の監修を受け、脱毛の施術時の痛みなどを数値化して科学的に測定することで信頼性を担保している。現在主力商品となっているのがレーザー脱毛機器だが、当初は輸入品を取り扱っていた。後に安全性を追求しながら、連射ができるものに改良。エステティックサロンでも好評を得ているという。さらに信頼性を高めるという意味で、東京・大阪・九州に営業だけでなくメンテナンス部門を設置。専任技術者によるサポート体制を提供することにも力を入れている。

「この業界では“安かろう、悪かろう”のところもあるが、当社の特徴は高品質高価格帯であること。科学的なエビデンスをベースにしつつ、しっかりとしたメンテナンスを提供している。施術もお客様にとって楽であれば、価格が高くとも受け入れてもらえる」と胸を張る。

日本発ブランドとして根強く世界に挑む

世界を視野にした展開という意味で、笠原会長は「北斎」「若冲」という商標を獲得し、化粧品、アパレルのブランドを展開している。もちろん日本が誇る絵師の葛飾北斎と伊藤若冲から取ったものだ。「最初は横文字のブランド名も考えたが、世界で通用する日本のブランドとしてインパクトがあるものにした。まずフランスから展開をして、一流のデパートでしか扱っていないようなブランドにしていきたい。そこからビバリーヒルズやニューヨークなどに進出し、世界に展開していく」という構想だ。

「ブランド戦略として見習うのは菓子の老舗『とらや』です。フランスのエルメスが尊敬するブランドとしてとらやを挙げている。それはエルメスより長い歴史があり、一朝一夕で確立したものではないということで、小手先で売るのはやめて、がまんをして育てていかなければと思います」と語る。

長年の経験から培われた戦略眼でコロナ禍でも着実な成長を遂げたという笠原社長。「美容機器業界は、中国や韓国など海外で開発された技術がどんどん入ってきて、競争は激しくなっている。インターネットの進化も含めて“激震”が走ると見ています。そこを生き抜くためには信頼できる企業であることが一番だと考えています」と前を見据える。

「もう80歳になりましたが、まだまだ成し遂げたいことがたくさんある」と語る笠原会長の目には世界規模の大きな夢が広がっている。

Profile

グローバルサイエンス株式会社

https://www.globalscience.jp/

会長

笠原 征夫

1944年東京生まれ。中央大学卒。電通や製薬会社、化粧品会社勤務を経て、33歳で化粧品のOEM会社を設立。その後、美容機器の開発に着手し、グローバルサイエンス株式会社を設立。現在は医療機器の開発なども開始し、先端の美容医療を目指している。

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