第53回(2012年度)エコノミスト賞

6年ぶりに該当作なし

2013.09.12

◇選考経過

 第53回「エコノミスト賞」(2012年度)選考委員会(委員長、奥野正寛流通経済大学教授)は、13年1月から選考作業を行った。その結果、「残念ながら適切な業績を見いだすことができなかった」として、今回は授賞を見送ることとなった。同賞が「該当作なし」となったのは、第47回(06年度)以来、6年ぶりである。

 12年度の選考対象は、12年1月から同12月までに刊行・発表された著書または論文。選考は、まず主な出版社や全国の学識経験者、『エコノミスト』誌読者を対象にアンケートを行い、その結果を参考に、選考委員会が詳細な審査を行うかたちで進められた。最終選考に残ったのは以下の3点だった。

▽『家計・企業の金融行動と日本経済―ミクロの構造変化とマクロへの波及』(祝迫得夫著、日本経済新聞出版社)

▽『法と経済で読みとく雇用の世界―働くことの不安と楽しみ』(大内伸哉、川口大司著、有斐閣)

▽『動学的コントロール下の財政政策―社会保障の将来展望』(上田淳二著、岩波書店)

 その結果、選考委員会としては「3作品ともに力作ではあるが、100%の自信をもって推すことができない」との結論に達し、12年度は該当作なしと決定した。

■講評

◇アベノミクスの有効性を解く鍵となる3冊が最終選考に

選考委員長 奥野正寛(おくの まさひろ)

 (流通経済大学教授、慶応義塾大学特任教授)

 2012年度のエコノミスト賞の選考は、2回の選考委員会を通じて、選考委員の間で長時間にわたって熟慮に熟慮を重ねた議論が交わされたが、残念ながら「授賞作なし」という結果に終わった。

 民主党から自民党に政権が移行し、首相が安倍晋三氏に代わるとともに、大胆な金融政策、機動的な財政政策と民間投資を喚起する成長戦略を提唱する「アベノミクス」が注目を浴びている。「失われた20年」と称される日本経済の低迷や長期にわたるデフレをアベノミクスの「3本の矢」で本当に克服できるのかどうか、全国民は期待と共に懐疑の念をもって見つめている。

 第1に、デフレ不況の背景には、企業部門が内部留保という形で多額の貯蓄を行い、資金的な問題はないのにそれが民間投資に結びつかないという事実がある。それにもかかわらず、本当にリフレ金融政策によってデフレギャップを解消できるのだろうか。

 第2に、失われた20年の間にばらまき型の財政出動が繰り返され、膨大な額の政府債務が積み上がった。高額の補正予算を中心とした安倍内閣の財政政策は、政府財政をさらに悪化させないだろうか。そもそも長期的視点から見たとき、政府財政の維持可能性を回復するためにはどの程度の増税や歳出カットが必要なのだろうか。

 最後に、規制改革や成長産業を拡大させる産業政策の必要性は誰しもが認めるが、残された成長政策にはそれに抵抗する既得権益やそれを妨害する制度矛盾がまとわりついていて、よほどの政治的リーダーシップがないと実現困難である。その典型が労働市場であり、非正規労働者や失業者の拡大にもかかわらず、前時代的な法制度が改革を阻害していることも否めない。

 本年度のエコノミスト賞の選考で、第2回選考委員会まで残ったのは、まさにアベノミクスの3本の矢の有効性を解く鍵となる3冊だった。日本の金融問題を扱った祝迫得夫氏の『家計・企業の金融行動と日本経済』、労働市場を考えさせる大内伸哉氏と川口大司氏の『法と経済で読みとく雇用の世界』、財政の維持可能性を俎上にのせた上田淳二氏の『動学的コントロール下の財政政策』がそれである。

◇研究書と啓蒙書が俎上に

 選考過程では、祝迫著と大内・川口共著の2冊という対照的な書物が、最後まで検討対象となった。

 祝迫氏の著書は、わが国の家計と企業の資産選択行動を、統計データの丹念な分析や国際比較などによって考察した、良質な学術研究書である。

 本書の前半では、1990年代以降の日本の家計貯蓄行動の変化を検討し、家計貯蓄率の低下の理由や資産選択行動の背景を丹念な実証分析を背景に明快に分析する。また近年、負債を削減し貯蓄を増やしてきた日本企業の金融行動が雇用の削減と表裏一体の関係にあることを指摘するなど、丁寧な分析を行う。

 後半では、膨大なわが国の財政の維持可能性をファイナンス理論の現在価値モデルを使って整理するとともに、米国発の金融危機以降の国際金融市場の動向を分析し金融危機がマクロ経済学の研究に与えたインパクトを検討するなど、タイムリーなトピックを扱っている。全体的に驚くような大発見はないものの、バランスよくまとまった議論が展開されており、個々の主張もおおむね妥当である。

 他方、大内氏と川口氏の共著は、労働法の専門家と労働経済学の研究者の共同作業によるユニークな啓蒙書である。

 解雇規制、最低賃金、正規・非正規社員の格差、男女間賃金格差、障害者や高齢者の雇用問題など、現下のわが国の労働市場に関わる様々な重要問題を取り上げ、その実態を含めて丁寧にかつ最新の成果を使いつつ、労働法学と経済学の2つの立場からの解説を行っている。

 このような対話の必要性を生み出した背景として、経済学の立場からは、情報の経済学の発展によって労働市場における市場の失敗の原因の究明が進み、ゲーム理論の導入によって分析対象を外部労働市場から内部労働市場へと拡張できたこと。法学の立場からは、高度成長期の長期安定雇用の下での正社員中心の日本的労使関係から、非正規労働者や失業問題に目を向けざるを得なくなった時代背景が存在し、グローバル化の進行に伴う企業の国際競争力の強化という時代要請が、労働供給サイドから労働需要サイドへの視点の転換を必要としたこと、などが指摘される。

 祝迫著は水準の高い学術書だが、前半と後半を通じた一貫したメッセージが存在しないことが、大内・川口著はすぐれた啓蒙書だが、日本経済を正面切って取り上げておらず独自性のある分析が少ないことが、それぞれ不満や弱点として指摘された。結果として、長時間にわたる熟議の末、残念ながら授賞作なしという結論に至った。将来性の高い経済学研究者として、祝迫氏と川口氏の今後に期待したい。

◇財政問題の研究書も

 第2回選考委員会では上田氏の著書も検討された。動学的コントロールの考え方から、社会保障における現在の政策とそれを支える税制の問題点を考察し、今後の人口動態の変化を前提に、現在の政策が継続された場合の財政状況を50年後までシミュレーションした研究書である。

 日本のデータを使ってある程度制度的な問題にも気を配りながら、本格的な分析を行った初めての書として、本書の貢献には一定の評価が与えられた。しかし、金利などの鍵となる変数が外生的に置かれ、問題が一般均衡として解かれていない点や、世代重複モデルを用いた類似の研究成果も十分に考慮されていない点などが指摘され、最終的に検討対象から外された。

 なお第1回選考委員会では、今喜典氏の『中小企業金融と地域振興』も検討された。わが国の地域振興はいかにあるべきかを、中小企業金融という観点から理論・実証両面から分析した研究書である。著者がこれまで地道に重ねてきた実証研究を、中小企業金融による産業支援・地域経済対策という観点から1つの研究書としてまとめている点が評価された。著者の年齢がすでに60歳を超えていることもあって対象から外されたが、地域金融の専門家として長年積み重ねてきた研究成果をまとめた書物として評価すべき書籍である。


◇エコノミスト賞選考委員

委員長 奥野正寛(流通経済大学教授・慶応義塾大学特任教授)

委員  浅子和美(一橋大学教授)/井堀利宏(東京大学教授)/福田慎一(東京大学教授)/三野和雄(京都大学教授)