第57回(2016年度)エコノミスト賞

『金融政策の「誤解」』

2022.02.18

エコノミスト賞選考委員会は「第57回(2016年度)エコノミスト賞」の受賞作に早川英男著『金融政策の「誤解」』(慶応義塾大学出版会)を選んだ。授賞式は5月中旬に開催予定。早川氏には賞金100万円と賞状、記念品を、出版元の慶応義塾大学出版会には賞状を贈る。

 対象作品は16年1~12月に刊行された著書。主要出版社の推薦作品や読者アンケートも踏まえ、選考委員会で審査を行った。候補作にはこのほか、清田耕造著『日本の比較優位』(慶応義塾大学出版会)、鶴光太郎著『人材覚醒経済』(日本経済新聞出版社)、柴田悠著『子育て支援が日本を救う』(勁草書房)、山田久著『失業なき雇用流動化』(慶応義塾大学出版会)、岩壷健太郎他著『コモディティ市場のマイクロストラクチャー』(中央経済社)が挙がった。

 エコノミスト賞は1960年に創設され、日本経済および世界経済について、実証的・理論的分析に優れた作品に授与される。歴代受賞者からは多くの有為な人材を送り出し、「経済論壇の芥川賞」とも称される。

(編集部)

早川英男(はやかわ・ひでお)富士通総研経済研究所エグゼクティブ・フェロー

1954年愛知県生まれ。77年東京大学経済学部卒、日本銀行入行。83~85年、米プリンストン大学大学院(経済専攻)留学(MA取得)。2001年日銀調査統計局長、07年名古屋支店長、09年理事を経て、13年4月から現職。日銀在職期間の大部分をリサーチ部門で過ごした。

◆講評 日銀の実験的政策を独自に整理 長期戦の誤算と「出口」を指摘 選考委員長・樋口美雄

 今年度は分野の異なる力作が多かったために、最終審査には例年になく6冊の書籍が残り、白熱した議論が展開されたが、最終的には選考委員全員の総意により、早川英男氏の『金融政策の「誤解」』に2016年度「エコノミスト賞」を授与することに決定した。早川氏に心よりお祝いを申し上げたい。

 早川氏は元日銀のエコノミストとしてよく知られた論客であり、本書は最近の非伝統的金融政策およびその波及経路を独自の視点から整理し、金融政策をめぐる一連の議論に一石を投じた力作である。最近の金融政策に関しては限界説もささやかれているが、過度に肯定的にも否定的にもなるのは適切ではない。当初の効果に一定の評価を与えつつ、「日銀に何ができて何ができないか」など、今後の金融政策のあり方に関して大変明快にかつバランスよく議論を展開している。

 ◇リフレ派は「楽観主義」

 本書は全体で五つの章から構成されている。

 第1章と第2章は、非伝統的金融政策を論じたパートである。第1章で理論的な概念整理が行われ、第2章で日銀による緩和政策の効果について議論されている。その主張は明快で、日銀の量的・質的金融緩和は実験的政策であり、それが成功するとすれば「短期決戦」のケースに限られたことが指摘される。異次元の金融緩和は、その有効性に関して学界でコンセンサスはなく、実験的な性格が強かった。確かに、緒戦においては驚くべきプラスの成果を収めた。

 しかし、本来はそこで効果を過大評価せず、緩和規模を縮小する「勝ち逃げ」策が必要であった。緩和をその後も拡大した結果、いまや当初目標に掲げた2%インフレ目標の達成は遠のき、日銀が使い得る政策手段にも限界が強く意識され始めている。著者は、異次元の金融緩和がこのように長期戦になっていることが、日銀にとっての大きな誤算であったとする。

 第3章と第4章は、デフレの原因を論じたパートである。第3章でいわゆる「リフレ派」の考え方が主観的主義・楽観的主義に基づくとして批判的に検討され、第4章で日本のデフレ・マインドがなぜ続くのかを実証的な観点から明らかにしている。著者は日本経済の長期低迷の原因はデフレではなく、日本経済が低成長から抜け出せないのは潜在成長率が低下しているからだと主張する。必要な処方箋は金融政策に過度の負担をかけるのではなく、成長戦略で潜在成長率を高めていくことであるとする。

 第5章は、いわゆる「出口」戦略を論じたパートである。日銀は金融緩和からの「出口」を議論するのは時期尚早とする。しかし、「出口」が始まれば、金利上昇によって金融システムが不安定化することが懸念される。巨額に累積した財政赤字は、日本国債を大量に保有する金融機関にとっては大きなリスク要因である。このため、著者は、そのリスクを取り除くうえで、財政再建、とりわけ社会保障改革を行うことが不可欠であると主張する。

 本書は、新しい分析を駆使するというよりも、既存の分析結果をうまく組み合わせて独自の論理を展開し、自らの主張を正当化するというスタイルである。ただ、関連の文献の概念をコンパクトに的を射て整理する能力は素晴らしい。近年、持論を展開する論者の多くが、さしたる論拠もなく議論を展開することが多いなかで、本書で展開されている論点や文献紹介は、本問題に関心のあるビジネスマンやエコノミストだけでなく、アカデミックな研究者にとっても大変有益な情報を提供してくれる。

 著者はすでに名声の高いエコノミストであり、若手の登竜門的な観点でエコノミスト賞を考えるならば、賞には適さないかもしれない。しかし、この点を考慮しても、本書の完成度は高く、現在の日本経済に対するインプリケーションは大きく、「エコノミスト賞」に最もふさわしいと判断し、選考委員会は本書に同賞を授与することを決定した。

 ◇比較優位性理論の有効性

 結果的には授賞には至らなかったが、最後まで賞を争ったのが清田耕造氏の『日本の比較優位』であった。本書は伝統的な国際貿易理論であるヘクシャー=オリーン・モデルを拡張することによって、1980年から2009年の日本の国際貿易の変遷を分かりやすく説明している。たとえば日本は熟練労働の豊富な国であり、従来、この集約的な財を純輸出し、非熟練集約的な財を純輸入してきたが、近年、その比較優位性が失われつつあることが示される。

 経済成長の背後で産業の高度化のメカニズムが働き、資本蓄積という要素賦存の変化があることが確認される。本書における比較優位性理論の有効性を示した検証結果は誠に重要であり、学術的な貢献は大きい。ただ半面、この理論にとらわれるあまり、現在、日本経済が直面している国際経済的課題に十分触れられておらず、「エコノミスト賞」の趣旨に沿うとはいえないとの意見が、一部の選考委員から寄せられた。

 清田氏の書籍と並んで、最終候補に残ったのが、鶴光太郎氏の『人材覚醒経済』であった。本書は、人口減少社会に突入した日本経済にとって、働き手の量的確保と質的向上を可能にする「人材覚醒経済」の実現が不可欠で、このためには多様な雇用形態を増やし、より良いマッチング、性格スキルの向上を実現していく必要があると指摘する。本書は現在の日本経済が直面している課題に真っ向から立ち向かい、その具体的改革の方向性が示されている点で高く評価される。一方、提案されている改革の効果や弊害の分析がさらに強化されれば、より説得力を増すことができたのではないかとの指摘があった。

 このほか、柴田悠氏の『子育て支援が日本を救う』も高く評価された。本書は政府の子育て支援策が、単に出生率や女性の労働力参加率、個々の企業の労働生産性の向上につながるのみならず、マクロの経済成長率や生産性の向上、財政支出・収入にどう影響するかを実証分析し、エビデンス・ベースド・ポリシー(実証的な根拠に基づく政策)の重要性を強調した点で注目された。ただ本書の実証分析のほとんどは経済協力開発機構(OECD)28カ国の国際比較時系列分析のデータに基づいて行われており、これが有力な示唆を与えることは間違いないが、各対策の数量的なマクロ効果を言及するには、一部に分析の粗さが見られるとの指摘があった。


◇エコノミスト賞選考委員

■委員長 樋口美雄(慶応義塾大学教授)

■委員  井堀利宏(政策研究大学院大学教授)/深尾京司(一橋大学教授)

     福田慎一(東京大学教授)/三野和雄(同志社大学特別客員教授)

     金山隆一(『週刊エコノミスト』編集長)